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頬が痛い。
沸き上がってくる笑いを堪える為に口を引き結んでいるからだ。
「緊張も飛んでいっちゃったよ」
「良かったな」
案内され並んで座った、高級旅館みたいな和室。縁側の向こう、見渡せる程ある広い庭の方を向いてしまった顔は見られないけど、唇は尖っているはずだ。
「『坊っちゃん』って…!」
「言っても止めてくれないんだ」
この部屋にたどり着くまでも、あまりの広さと、古くから使い慣らされた家の厳かさという物を目の当たりにした。静けさにすら威厳を感じる。
それでも、1番一般からズレていると感じたのはその呼び名だった。肩の力も気がつけば抜ける。
ふと、いつの間にか開いていた襖。
そこにすらりとした女性が立ったままこちらを眺めていた。全身黒の洋服が白い肌を際立たせる。
「沙織」
「沙織先生、でしょう」
「母さん」
「今はそちらの呼び方が妥当でしょうね」
冷たくはないが特別優しそうな気配もしない、そんな口調。
向かいに流れる動作で腰を下ろした。
「こんにちは」
「こんにちは!初めまして!片深多香子と申します」
「女の子が欲しかったから、これでも喜んでいるの」
シワの寄った目尻に、貴雪さんを思い出した。
「しかも結婚なんか毛嫌いしてた紅大が連れてきた子。難しいとは思うけれど、緊張しないでね」
「ありがとうございます」
長い黒髪が、首を傾けた動きに倣って肩を滑る。確かにアレンジする側からすると、クセが無さすぎて苦労しそうな艶とコシだ。
「今年の年末はどうするつもりなの?」
「今まで通り。来年からは一緒に泊まり込めたら、とは思ってるけど」
「ふうん。また毎日会いに戻るのね」
「俺がそうしたいだけだから」
「いつの間に情熱的になったんだか」
からかうような沙織さんに対して、隣の様子は姿勢も態度も変わらなかった。けれど廊下から規則的な軋みが近づき、男性が姿を見せた頃には立てられていた膝は礼儀正しく畳まれていた。その様子に思い出す、緊張。背筋が伸びる。
「沙織さん」
「あなた」
なんて手の届きやすそうな雰囲気の百合なんだろう。記念に摘んで帰ろうかと思わせるほど身近な美しい花が、広がる庭園を背景に咲いていた。
体格も顔も似ている。正しく紅大の父親だ。同じ花でもまったく異なる魅力を目の当たりにした。
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