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『お願い。今度、コーヒーを買ってきてくれない?』
会えるのはいつも偶然。定期的に通っていたわけではないし、彼女も当時の旦那の都合によってそこにいる日が決まっていた。
買ってきたコーヒーはもう7度目。いつもふたり分をひとりで飲んで帰っていたが、その日ようやく渡せた。お願いされてから1ヶ月もかかった。
「美味しい。久しぶりに飲んだわ」
非常食のような食べ物と最低限の水。
彼女と共に、置き去りにされる物。
どうしてここにいるのかと聞くと、自己紹介のように教えてくれた。
「家に別の女を連れ込みたいから邪魔なのよ。私もここにいた方が暴力を受ける事もないし、安らぐわ」
家からも出ないらしい。
痣が増えるだけだからと。
コンビニで買った普通すぎるコーヒーを、まるで至高の1杯のように味わってくれる。買ってきた甲斐もあるってものだ。
「相変わらず暴走しているの?酷いケガ」
「勲章だ」
2日前、派手に転んで腕は赤黒かった。
前に誰もいない道には爽快感も何もなく、ただ『近くには誰もいない』寂しさを見せつけられていた。引き連れている人数とは裏腹な、孤独。
崇拝してくる眼差しに、後ろに乗らないかと誘ってみても後退りされる。
『自分なんかが悠さんのバイクに』
その境界線なんなんだ。普通の世の中との境界線が嫌でグレてんじゃねぇのかよ。
そんなつもりもないのに『調子乗ってんのか』とケンカを売られる事もあるし、バイクで転ぶ事も多々ある。『お疲れさまです』程度の気軽さの、ひねくれた挨拶のようなものだと思うことにしている。暴走と傷なんてふたつでひとつだ。
「この前面白い奴拾って後ろに乗せたんだ。乗ってくれた」
必死にキャンキャン鳴いてきた。
何が『メットねぇのかよ!』だ。
ねぇよ。
暴走中のトップがメットつけてたら似合わねぇだろ。ここに来る時は捕まってもめんどくさいから、信号も守るしつけるけど。
「ひとりじゃなくなったの。良かったわね」
「そっちは相変わらずか。隠したりしねぇの」
初めて会った日は、転んでできたのかと思える程の片腕の痣しか見えなかった。
隣に腰を下ろしたその日、全身を見た。
半袖から伸びる腕、Vネックから覗く胸元、スカートから覗く脛下。姿勢正しく隠そうともしない、肌に残る多数の痣。
変な感想だ。
『格好良い』なんて。
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