奪い愛、奪われ愛

5/19
前へ
/369ページ
次へ
雪うさぎと目が合った。 パン屋で視線を感じたのは、赤い木の実も葉も乗らず冷たくもない丸いソフトフランスだった。 お願いを叶えられたのは、頼まれてから5回目。それまではまた毎度、おつかいのパンとコーヒーを彼女の定位置の隣でひとり味わい、帰っていた。 存在がいた事を喜んだのは、そんな4回があったからこそなのか。 当然のように痣が居座る華奢な体。 丁寧に3冊本を重ねた上に、素足が行儀よく揃って足置きとしてあるのが不釣り合いで、彼女の内面と外見のアンバランスさと似ていた。 差し出された両手に袋から出したソフトフランスを乗せてやると、目を輝かせていた。彼女にとってとんでもないご馳走は、食べるだけでは満足しなかったらしい。 「柔らかい」 鑑定でもするかのように眺めつくした後…徐に顔をパンに埋めた。食べたのではなく、埋まった。枕に顔をつけるように。 細かい白い粉が、子どもみたいに顔中ついた。 「幸せ」 「何やってんだバカ」 茅香の方が白くて、柔らかそうで…美味しそうだ。似合わない事を思いながら、にこりと笑った下手くそに化粧したような顔を、ぬぐってやった。慣れてないから乱暴だったはずなのに、抵抗もせず目を閉じて受け入れてくれていた。 キスするとき、そんな顔すんのかな。 その場所を手が掠める度に、心臓の奥にも柔らかいものが触れる。 「ねえ、明日の楽しみはどこ?」 「焼きたて」 「もっと美味しいわよね」 「買ってきてやるよ」 パンだ。 彼女にパンを渡すために来るだけだ。 「なら、悠一郎が来るのを楽しみに時間を潰すわね」 確かに嬉しかった。 すぐに苦しくなった。 コーヒーはふたりの真ん中、境界線のように。 残りのパンを食べる。 「そっちも美味しそうね」 味わっていたレタスとトマトのサンドイッチ。なんだ、具材入った方が良かったのかと考えているうち、近づいていた隣の口。 シャキッ 瑞々しい透き通った音に聞き惚れ呆気にとられる。唇の端についたマヨネーズを撫で取った親指を、ぺろりと舐めていた仕草に、息を忘れた。 「サンドイッチもお願いね」 「どんどん増えるじゃねぇか」 「そのうちとんでもないお願いをするかもしれない。早く逃げておきなさい」 動揺も何もない相手に苛立ちを覚え、歪に潰れたソフトフランスをひとくち奪う。 「お行儀悪いわね」 悪い笑顔が近付くとまたサンドイッチを奪われた。 ソフトフランス、 サンドイッチ、 ソフトフランス… 食べさせ合うようにそれぞれのパンを差し出すようになった頃。近づいてくる頭を引き寄せてしまわないよう、合間にコーヒーを一気に流し込んだ。 境界線を飲み干した俺。 乗り越えて来たのは茅香の方。 逃げろなんて忠告、もう遅ぇ。
/369ページ

最初のコメントを投稿しよう!

185人が本棚に入れています
本棚に追加