番外編 1

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見上げる天井に教訓は貼りついていない。 ゆるくまとめていた髪が、枕にほどける。 「僕を見上げているときは『可愛い』なんて言わせないからね?」 颯の前髪は彼の手でほどかれたあと、乱暴にかきあげられ無造作な癖毛全体にまみれていた。 眼光鋭くなった男性の目に、一瞬さ迷った目がぶつかる。 「恋人と過ごす休日と言えば、いちゃいちゃでしょ?」 覗きこんでくる爛々とした目。 昨晩と同じ構図に、目を奪われた喉仏を思い出し、恋人に向ける気持ちと視線を今に持ってくる。 新しい寝具の匂いと相手の違いに落ち着かない心臓も、夜の動悸と勘違いさせる。 今は颯が恋人。 仕事だ。しっかり役目は果たさないと。 「シャツ脱いでみていい?」 「いいね!脱ぎましょう」 簡単なスタッフのやりとりの間も視線は外されない。鼻先を掠めて離れていった、邪魔そうに目の前で脱ぎ捨てられたシャツ。 雰囲気とはずいぶんギャップのある凹凸。 調光機材のおかげもあってか、筋肉の隆起がよりくっきりしている。 颯がすごいのは『すごいところを感じさせない』ところ。 体つきも、内面だってそう。 一見身軽そうなのに、薄手のシャツ1枚脱げば明らかに努力して備えられた筋肉が隆々。 今日の相手役に私が決まったのもおかしすぎる。顔まではっきり写りこまない恋人役とはいえ、特集まで組まれるほど人気上昇中の颯と、しばらく休業していた自分がいきなりこうして共に撮影できるなんて。 きっといろんな手をまわしてくれたに違いないのに、そんなことは一切感じさせないし、アピールもしてこない。 「相変わらず紅大の匂い、してるね」 「一緒に住んでるしね。颯は相変わらずいい筋肉、だね」 「そりゃ鍛えてるし、ね…」 襟元から覗く鎖骨を滑ってきた鼻が、首を通りすぎ、頬をなぞって眉間で止まる。 夜は触れる余裕のなかった喉。目の前の動かない喉仏を撫でてみると、猫のようにゆっくり伸びた。 「好きなの?」 「男の人って感じがして、つい見ちゃう」 「女の人にもあるんだよ?喉仏。出てきてないだけで」 反撃とばかりに喉をくすぐり顎をとらえてくるのは、ハーフパンツをはいているとはいえ視界の中では裸の颯。 とろめいた愛情が、常に下がっている目尻からこぼれ落ちてくる。 キスしてしまいそうな距離だ。 本当の恋人だろうかと、錯覚が激しい。 職業としては、最高の憑依。
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