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思ったより低く出た声。引っ掻き回したいわけじゃないからと、落ち着かせるような手に頭を撫でられる。
人当たりが柔らかくなったとはいえ、手当たり次第に交流を広げようとする人でもない。
ましてや、女性と。
「偶然見かけたんだ。彼が女性とふたり、楽しげにしてるのなんか珍しいなと思ってさ。声かけなかったけど」
なにそれ。
なにそれなにそれ。
普段は冷静な態度が多い彼。
笑顔だって家の中以外でしょっちゅう振り撒いているわけじゃない。なのに、颯から見て『楽しげにしてる』ということは、それはもうかなりのいい席だったのだろう。
あの笑顔を、向かいで見た女性がいる。
鍵をかけてしまっておけるものでもないし、狭かった彼の世界が広がることはむしろ喜ばしく思う。だけど。
やっぱり個人的な憧れなんか捨て去って、今日みたく誰から見ても分かるように…薬指につけるべきか。
「聞いてないって顔してる。これはあれだな、浮気だな?」
「あれ、やっぱり引っ掻き回そうとしてる?」
「浮気男が帰ってきたらさ、こう言うといい」
「浮気って決まったわけじゃないのに」
「喉仏キレイだね」
「…まずは言い訳を聞いてからだよ」
まだひとりで撮影が続く颯を残し、着替え終えたあとひとり現場を後にする。
スタッフと彼の話し声とシャッター音を背後に浴びながら靴をはいていると、玄関のノブに小さな袋がかかっていた。
いつの間に用意してくれたのか。
鮮やかな包装のあめ玉ひとつ入った透明な袋には、マジックで書かれたコメントつき。
『おつかれさま。そのやわい内股で親友を癒してあげて。幸せの恋人役またよろしく』
「もう、颯ったら」
聞こえないはずの呟きだったけれど、振り返ると、カメラのレンズを見つめる口の端から赤い舌がちろりと覗いたのが見えた。
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