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浮気だ、なんて疑いはしていない。
でも、教えておいてくれても良かったんじゃないかと、面白くない気持ちを抱えたまままっすぐ帰る気にもなれず。
撮影現場から家までの最短ルートから少し外れ、休憩できるカフェに足が向かっていた。
濡れていた地面は当然すっかり渇いていて、夕暮れのオレンジ色を反射させる煌めきはなくなってしまった。
視界に入った白いスニーカー。
こぼれるため息。
撮影の間は外していた薬指の輪をはめる。
自分の憧れの為に、普段そこにはない指輪。
彼との思い出を追うように腕時計を見ようとした瞬間後ろからぶつかられ、直後に落下音がふたつ。
言葉もなく離れていく男性の後ろ姿に、動悸は多少襲ってきたがすぐに持ち直した。
衝撃によって歩道に音をたてて落ちた腕時計。もうすっかり自分の一部のように感じるほど、ケンカして忘れたとき以外はどんなときも一緒だ。
バングルタイプの時計は、経年によりサイズが広がり気味になった。
力を加えれば調節はできるだろうけど、壊れてしまわないか心配で、ややゆるいまま使っていた。
それだけの時間を側で過ごしてきた。
感慨深く見つめながら拾おうと手を伸ばすと、側にキーケースも落ちていたことに気づく。
ぶつかった人の物か。足を止める素振りさえなかった背中が、角を曲がって消える。
「落としましたよ!」
聞こえないのか、足早なスピードを追いかけ自分も角を曲がる。
まっすぐな道に出た。
十分聞こえそうな距離しか開いていないのに、再び呼び掛けても止まってくれず、すれ違う人をかわしながら小走りで追いかける。
そのうちに、見覚えのある後ろ姿だと気がついてまたため息が出た。
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