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ノートを取りながらよく眺めていたその背中。
「怜さん!止まって!」
「あれ?多香子?偶然だね」
名前を呼ばれるの待ってたくせに。
息をひとつも乱すことなく振り返った元恋人は、驚いた顔をしている。
さらりと嘘つくんだから。ほんとにもう。
「絶対わざとです!」
「いつもと雰囲気が違う服だね。相変わらず良い見た目だけど」
「颯と撮影をしていて」
「那古か。最近女子生徒がよく騒いでる。同級生だって言っても信じてくれないんだ」
「平気な顔して嘘つける人だって、みんな分かってるんですよ」
「あれ、随分言うようになったね。追いかけきてくれて嬉しいよ。期待していい?」
「キーケースなんか落とされたら、誰でも追いかけますってば」
「落としものをする男には気をつけてって教えなかったかな?」
「忘れものをする男性、でしょ!」
まだ落ち着かない呼吸のまま、キーケースを差し出した手。その手首を逞しい手に捕まえられる。薬指には、指輪。
拾った腕時計はつける余裕もなく彼を追いかけてきた。
昔はスピン、今は薄い傷。
隠してくれる時計はなく、リボンも捕まえてくる手の内側。幻覚も見られない。
懐かしい思い出と同じ強さを感じ、うつ向いて目を閉じる。あのときと同じ気持ちには、もうならない。
恋愛と呼んでいいのか、今考えると怪しい怜さんと過ごした時間。
例えるなら、流れるプール。
浮き輪に全身を預けて漂っているようだった。行き先もスピードも、彼の手の調節ボタンひとつで決められる。
なんにも考えず、ただ流されていただけのあの頃の自分は…酷く誘導しやすかったことだろう。
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