番外編 1

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考える時間も、隙も、与えまいとしていたのか。短いやりとりで独裁的に主導権を握られながら、舌が絡みつく。 玄関から続く濃すぎるキスによって、無意味な力しか入らない手。 膨らんでいた憧れから、蔑まれる言葉を突然殴りかけられ、鼻の奥は痛まった。 「そうだね。違うね?じゃあ恋人としかこんなことしないんだよね?キミの恋人の名前。二文字。言ってごらん?」 秘密の匂いしかしない、簡素な先生の家の中。光って見えたのは唇同士が繋がる透明な糸と、先生の目の奥。 突如高圧的に与えられる欲に戸惑いながらも、何度も受け入れていたキスに全て奪われていた。 憧れの人と、恋人。 その響きに震えた心臓も確かにあった。 「怜…さ、んっ…」 「なに?多香子」 「え、先生が、呼べって」 「呼ばれたから反応しただけ。多香子は呼ばれたのに返事もできないの?名前を呼ばれたらお返事、でしょう。いつまで先生させる気なの」 「ご、ごめんなさい…?」 「忘れないでね。名前を呼ばれたらお返事だ。じゃあ痛いけど頑張ろう、多香子」 「っ、…は、い…」 「従順。ハジメテ…貰うよ」 素肌を晒される間も、目の前の男性が同じ姿になる間も続いたキス。 誰にも触れられたことのない肌を撫で回されると同時に、頭のなかまで乱される。 そうして開かれていく大人のシアワセ。本当の幸せを知った今思い出すと…暗示をかけられているようでひどく薄っぺらい。 「え…れ、怜さん…?入りませっ…そんなの……!や、ぁあ?!」 「なに言ってるの?濡れてるから入るよ。ほら」 入り口に触れられ直に感じる、表現しがたい濡れたもの同士の接触。 得体の知れない感覚と痛みに襲われ、やっと逃げだすという選択肢をみつけた体をすんなり許してくれるわけはない。腰をつかむ指が食い込んでくる。 「やぁ…っ!や、やだ…いたぃ…!」 「相手の、名前を呼んで…『好き』って言ったら、痛くなくなるかも」 「す、き?」 「痛いの嫌でしょ?とりあえず1回言ってごらん」 「れ、いさん、好き…。…いたぃぃ」 痛くなくなることなんか全然なくて。 泣きながらお願いしてもやめてくれなくて。 見上げているのは憧れの男性なはずなのに、心も体もどこもかしこも冷たい。
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