番外編 1

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会う日はいつも指定された。 「ああ、それはもういいよ。やってもしょうがないでしょ」 「でもまだ半分しか」 「そんなことより、シアワセ頂戴」 衰えていなかった勉強意欲。生活感薄い部屋のテーブルに本とノート、ペンまで用意してみても片付けられてしまい、すぐに体は浮いた。目的地はやはり分かりやすい。 つけっぱなしのコンタクトレンズから見上げる世界には、ハジメテ以降は終始シアワセしかなかった。 卒業してから現代語訳はまったく進まないまま…借りていた本は開かれることなくその部屋に置き去りにされるようになり、黒い扉はチャイムを押しても隙間も開かなくなった。 ボタンを操作する人がいなくなれば当然、流れなくなったプール。浮き輪に全身を預け、手首のスピンだけ眺めながらひたすらに漂う。 降りようとさえしなければ溺れる心配などないほどの安定感だった。 図書館で再会し、再びボタンを握られかけたとき。ふと鼻をくすぐった芳しい百合の香りに誘われ、初めて自力で流れに逆らうことになる。 必死に水を掻いてプールを抜け出すと、待ち構えていたのはスライダー。 恐る恐るではあったけど、自分で考えて滑り落ちてみたその先。夢中で溺れ合う本当の幸せにたどり着く。 バイクの後ろで背中を借り、泣き続けたあのとききっと。やっと。コンタクトはぼろりと外れ、ものすごい風でどこかに飛ばされてしまった。 改めて裸眼で見渡す自分の世界にあったのは…紅い紐。そして『好き』と勘違いしていた憧れだけ。 今ならどうなるかな。 紅大が突然いなくなったら。 帰ってこなくなったら。 それは1年もの間、休むことなく感じさせてしまった不安と…きっと同じ。
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