番外編 1

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閉じていた目を開くと、掴まれたままの手首。 偶然に飽きたらず、分かりやすいわざとを加え、こちらから声をかけるよう仕向けてきた昔の恋人。 「あれから露利とは?」 「結婚することになりました」 「そうか、おめでとう。これでめでたくダブル不倫できるね」 「なにもめでたくないですよ…」 「じゃあ、重婚だ」 「怜さんらしいプロポーズですね。しません。犯罪です」 人生で1度きりの、1回目。 思い出すと自分を叱りたくなるだけの、薄っぺらい体験と付き合っていた期間。 憧れなんて持たなければと思うこともある。 それでもあの秘密の匂いがしたメモは、1輪の百合に続く本当の幸せへのチケットだ。例え大きな傷を抱えることになろうとも。 今の自分で高校の頃に戻れたら。 きっと怜さんと繋がってはいないだろうから、戻りたくない。 「ありがとうございました。紅大と付き合うきっかけをくれて」 本当は大切に持っておきたかったのに、拾うことを阻まれた切り落ちた紐。別な日にこっそり中庭を探してみたりもした。 でも見つからなかった。 「彼と出会う為の…いい踏み台でしたよ、怜さんは」 「踏み台。酷い言い方するね」 「酷い相手に合わせてあげてるんです。この手で、いろいろ思い出しちゃって」 「従順な頃が懐かしい」 引き寄せられるような動きを拒むのに精一杯。さすがに振りほどくのは難しい。 でも、気持ちは屈伏する気がしない。 きっと、そっくりな容姿をくれた母親が。 見た目だけが好きだと言ってくる怜さんと引き合わせ、紅大に続く道を作ってくれたんじゃないだろうか。 偉大に思いすぎか。でもそう思わせてくれる、図書館から消えた上巻のいきさつだって知っている。 『1人くらい酷い男を知っておいてもいいわね』などと言い、微笑んでくれそうな母親。亡くなってからもずっと見守っていてくれる私の守護神だ。 「びっくりするぐらい母親とそっくりなんです、私。もしも怜さんの前にふたりで並んだら、どうします?」 「それは悩む。シアワセな悩みだ」 「これだからクソ野郎は」 精一杯言葉を吐き捨てた。 当時は見たことのない睨んでくる目。掴んでくる手にも力が入る。 ちっとも怖くない。もちろん動悸も喜びもなにも無い。
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