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蹴りあげることも出来そうなほど、初めて急所をつくことに成功した気持ちは晴れやかだった。
苦しげに歪んだ顔。咳き込む体は手首を放りだし、屈みながら離れていく。
家路を急ぐ足が増えてきた歩道の脇で苦しむ男。無表情に見つめる女。
視線を感じてもなにも気にならない。
憧れだけだった。
誘導された『好き』だった。
でも。
感じていた憧れも、叱り飛ばしてやりたい自分も捨てない。
「痛かったですか?」
「そりゃ、こんだけ咳き込、んでるんだから…分かるでしょ」
「ハジメテってそんなものらしいです。クソ野郎な元恋人が言ってました」
これぐらい、言ってやってもいいよね。
「そんなに好きなこの見た目は…どうぞ雑誌なり画面なり、離れたところから眺めるだけしていてくださいね、怜さん」
「…ますます従順な頃に戻してやりたくなるよ」
「名前を呼ばれたらお返事でしょ?」
「それじゃ、気が向いたら連絡してね。多香子」
「なんにも聞こえません」
都合よく栓のできる耳は紅大から借りた。
気持ちも揺るがず、改めて過去と話をつける度胸は彼と過ごしてきた時間がくれた。
引ったくるようにキーケースを受け取り、咳をしながら離れていく背中を見送る。
彼の手にはリボンで飾られた子ども服ブランドの紙袋と、行列ができるお店で有名なカフェのケーキ箱。
ちゃんといいところもある人なはず、だ。
…私にはクソ野郎なだけで。
「連絡することはないです。一生」
連絡先はあの紐が手首から消えた直後、今朝と同じ視線に見守られながら、ゴミ箱のマークを押したから。
踵をかえしたスニーカー。
沸き上がる気持ちに足がまっすぐ向いた場所は、もちろん。
朝とは違う気持ちに呼吸が騒ぐ。
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