カイルの場合。【1】

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カイルの場合。【1】

「母様ー、今帰りました~」    俺が騎士団の仕事から戻ったら、母様は居間で正座をしてルーシーに説教を食らっていた。   「──リーシャ様、わたくし申し上げましたわよね? 今回の締切は2日、つまり明日でございますよと」   「ルーシー、でも私のスケジュール帳には8日ってなっててね、あー今回はゆとりあるなあ、なんて思ってたの。  だからね、決して締切をすっとぼけて描いてなかった訳じゃないのよ。ほんとよ、ほらほら見てスケジュール帳!」    母様は背筋の伸びた綺麗な土下座をしながら、必死に自分のスケジュール帳を開いて見せていた。    いつも思うが、母様はルーシーに勝てた事がないのに微妙に無駄なあがきをするのは何故なんだろう。   「聞き間違えたのはリーシャ様でございます。わたくしではございませんわ。大体発売日の決まっている月刊誌の締切がそうそう変わるとでも?」   「言われてみればそうなんだけれども、ほら、私締切が狭まる事には抵抗するけれど、広がることには無抵抗主義って言うか、黙して語らずって言うかね」   「ただのサボりたがりを正当化するのはお止め下さい。そんなことより明日までに後何ページ残っているのでございますか?」   「えっと……5ページ手つかず、かな」    グラリとルーシーが揺れた。   「手つかず、かな、で済ませられるページではないじゃありませんか! サリー! サリー!」    ルーシーが響く声でサリーを呼ぶと、バケツを持ったサリーが厨房から現れた。   「やあねルーシー、今厨房の床のしつこい油を落としていたのに何の──」   「エマージェンシーエマージェンシー。本日は徹夜が確定しました。マカランにその旨伝言を。  5ページ手つかずが発覚。締切は明日の昼。  本来の仕事の方も早急に終わらせるよう願います」   「ひぃっ! 5ページ……」    持っていたバケツを取り落としそうになったサリーが、   「……リーシャ様、背景は、背景はベッドと花瓶位で宜しいんですよね? ね?」   「──えっとね、ヘイズの働いてる大学の図書室。本沢山並んでるところでゲイルと見つめあってエロい空気が流れて次回に続く、と」   「図書室……」    サリーが視線を遠く窓の外に飛ばしたところで、   「とりあえずリーシャ様には夕食までに人物の下書きだけでもざっと終わらせて頂くので、本業を終えたらポットに目一杯濃い目のブラックコーヒーを」   「そ、そうね。分かったわ」    慌ててサリーは掃除に戻って行った。   「もう私38ようー立派なアラフォーなのよー、徹夜とかもう無理なのよー。今回は休載にしましょうよー」    ルーシーに書斎に引きずられるように連れていかれる母様に、   「わたくしもとっくに無理の効かないアラフォーでございます。サリーはアラフィフですわよ。  ミヌーエ王国に呼ばれたと言っては取材旅行で休み、アーデル国から移動遊園地が来るからと招待を受けては作者急病で休み、このところ断れない予定でちょいちょい休みすぎなんですから、働ける時に仕事しないでどうするんですかっ」    と言われて、   「……そうよねぇ……ルーシー、私が寝そうになったらGペン刺してね……」    と諦めた口調で呟いた。   「リーシャ様の体に傷をつけるのは死んでもお断りです。ブラックコーヒー流し込みますから大丈夫ですわ」   「ミルクー、ミルクが入ってないと苦いのよぅ」   「甘ったれた事言ってる場合ですか」    仕事部屋と読んでいる図書室の扉がルーシーと母を飲み込んで閉まるのを黙って見送り、俺は手を合わせた。        ミヌーエ王国に呼ばれるのは確実に俺のせいであるが、母様も父様も文句を言いながらも楽しそうにフレデリック王配殿下と釣り三昧である。マデリーンも一緒に行ってしまう事もあるので俺もお供する。  俺も釣りは好きだが、マデリーンと2人のデートの方が良いに決まっている。    大物を釣ったと目をキラキラさせながら、   「メンタル的な気苦労が多くてツラいのよこれでも」    などと言われても      俺はマデリーンと婚約したので、ミヌーエ王国に行くのは確定しているのだが、彼女の国では20歳が成人の儀となり、結婚は成人を過ぎてからでないと認められない為、1つ上の彼女が成人する来年までは俺は父のいる騎士団に入って心身を鍛える事にした。    俺は既に19になったが、マデリーンの誕生日は半年ほど先なのだ。個人的には同い年になってる時期があるのは嬉しいのだが。少しでも頼れる男でいたい。    油断するとかなり危うい位、マデリーンは剣術に長けているのだ。騎士団でせっせと鍛えているのも負けたくないからだ。    女王制の国だからかも知れないが、ミヌーエでは女性が普通に騎士団で働いているし、社会的にも女性と男性が対等である。    ガーランド国はどちらかというと女性の地位は低いし、主に貴族の女性が仕事をするのは余り良いようには思われない。    母もかなり若い頃からこそこそと文筆業をしていたのだが、伯爵家の令嬢だったのでバレないように苦労したと言っていた。      俺が16になり、学校を出て社交界にそろそろ出なくてはならないという時期になった時に、両親は俺たち兄妹を呼び、父が他言無用と口止めしてから母の仕事を教えてくれた。    目が飛び出そうなほど驚いた。      母様がイザベラ・ハンコックって……俺でも知ってる恋愛小説の大御所だ。    それもエロい方面で男性同士の恋愛モノをメインで書いてる。エロいとはいえ、確か幾つも賞を取っていたし、学校では女の子が何度か頬を染めてきゃあきゃあ言いながら読んでいたのを見た。    アナやクロエも友だちから借りて読んだ事があると言うと、母様は、   「アナタたちにはまだ早いわ! せめて15になってからになさい!」    と拳骨を落とされていた。   『イザベラの薄い本』と言えば乙女のバイブルで、容姿に恵まれない男性の心の安定剤だとか言われている。    特に、不細工な男性への当たりが柔らかくなったのはどうやら母の小説の功績らしい。    そして、ルージュという名前でマンガも描いているようだ。こちらもかなり著名である。  どちらにしろ官能的なのだが。    いつも家で楽しそうにアズキと遊んでたり、謎のダンスをしていたり、お菓子作りや料理をしている母の姿からはちょっと想像がつかなかった。       「アナタたちにこんな親として恥ずかしい話をしたのは理由があるの。……まあ分かるかと思うけど」   「……俺たちが、王族と関わってるからだよね?」    俺が代表して答えた。      そう。なんでだか分からないが、ご縁があると言うのか、クロエも先日アーデル国のジークライン王子と婚約したし、俺もミヌーエ王国のマデリーンと婚約している。アナスタシアは我が国のレイモンド王子と婚約秒読みだが、アナが、   「ギリギリまでレイモンドに別の相手が見つからないかどうか粘る」    と逃げ続けている。    レイモンド王子の事は嫌いではないしむしろ好きだが、王族と言う息苦しい世界が苦手なのだと言う。  友達のままじゃダメかなーと言ってレイモンド王子に泣かれた事もあるらしい。    レイモンド王子によその相手を見つける意思は皆無ののようなので無駄な抵抗ではある。      そして俺がマデリーンと婚約した際に、子爵のままだと流石にまずいのか、父が伯爵位を叙爵した。  表向きは父の騎士団の貢献であるが、父は、   「領地は今でも父さんが広すぎると文句を言ってるのに、また増えるなんて言いたくない。面倒だから爵位だけで領地は返上できないかな義兄さん?」    とマークス伯父さんに相談して、   「出来るかーーっ!」    と突っぱねられていた。      マークス伯父さんはイケメンなのに40過ぎても独身だ。俺にはこそっと、   「妹が美人過ぎると、目が厳しくなるのかどうしても比べてしまうんだよリーシャと。  それって女性にもかなり失礼だろう?」    と早々に結婚するのは諦めて、軽いお付き合いをするだけになったらしい。    ブライアン叔父さんも33になるが、まだ結婚の話はない。ブライアン叔父さんの場合、顔が父に似て彫りが深く二重で色素の薄いいわゆる不細工と呼ばれるルックスらしいので、モテないんだと笑っていた。    俺にはイマイチ顔の善し悪しというのがよく分からない。そもそも友人だって顔の善し悪しで人付き合いをしていないのだ。    父が剣を持っていると隙がなくて格好いいと思うし、マデリーンも赤毛に青い瞳は本人が言うと「綺麗じゃない」そうだが、気にしているそばかすも含めて俺から見たらすごく可愛いし、鍛えた腕や足もすらりと伸びてセクシーだ。    負けず嫌いなので、わざと鍛練の付き合いで負けるとものすごく怒るけど、その怒った顔がすごく可愛い。   「ほうほう、愛されてますねえ」    と弟のブレナンはからかうが、事実なのだから仕方がない。      まあそんな訳で、我がシャインベック家は   『関わりたくない王族と関わっている都合上』母の仕事は何がなんでも秘匿せよとの密命が出ているのだ。      ただし後日、ヒルダ女王陛下にはルーシーのやらかしでバレたものの母の作品のファンになったとかで、「まあ身内になるしな」と言われたときに、あー俺とマデリーンの婚約は決まったと思って色んな意味で泣けたらしい。             「今夜は父様の機嫌が悪くなりそうだなあ……」      結婚してもう20年位経っても未だに、   「この世でリーシャが一番大事だ」    と断言してはばからない父と、   「うちの旦那様がイケメン過ぎて神々しい。でも人柄はもっとイケメン」    と褒め称える母のバカップルぶりには家の使用人も慣れているので、生あたたかーい感じで接しているが、この家に生まれて良かったと思えるほど楽しいし、家族が仲良くて大好きである。    俺はマデリーンともこんな家族になりたいのだ。        
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