一章  匿名性の死

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 一つ目の仮面は、今勤めている区役所での仮面だ。  高卒程度試験と特別区採用試験の筆記試験を突破して、なんとか最終面接までこぎつけたあのとき。俺は、どうすれば面接を突破できるか必死に考えた。  大手企業に勤めていたものの独立し、自らの会社を成り立たせるため寝食も忘れて働いた挙句に過労死した父とは別の道を行きたかったし、女手一人で俺を育ててくれた母に誇れる仕事をしたかった。それに公務員になれば自分と異なる価値観の人間の死をいつも望んでいる少しおかしな俺でも、真っ当に、世界から疎外されずに生きていけるような気がしたから、どうしても区役所で働きたかったんだ。  事前に区役所に何度も足を運びそこで働いてる人を観察し、一般の企業より穏やかな性格の人が多いと読んだ俺は、なにを言われてもにこにこと愛想良く返し、周囲の人々の心の機微を敏感に読み取り、思いやりある対応を常に行う絵に描いたような好青年のキャラクターを自分の中に作り上げることにした。  生来の自分とは正反対の仮面を作り上げるのは大変だったが、その甲斐あって面接は合格。 「人間味があっていいね」  と、面接で言ってくれた上司の下、区役所広報課で働くこととなった。  この仮面のおかげで八月の終わりのあの時まで、広報課での職務を果たしながら母と二人、穏やかな暮らしを送る事ができていた。  二つ目の仮面は、TWITTERでフォロワー数三万を越える、アカウント名「PEACE WALKER」の仮面。  区役所の面接試験突破で気を良くした俺は、自分の考えたキャラクターでもっと沢山の人の心を動かしてみたくなり、TWITTERで垣間見える世間の空気のようなものをうまく読んで、世間が欲しがっている言葉を書き連ねてみることにした。  単純なところでは、多くの人が愛する猫や犬を愛でるような書き込みや、そこからひねり出される面白エピソードを書いた。ペットなど飼ったことはなかったけれど、ネットに溢れる動物好きの言葉を、パクりだと悟られないよう自分の仮面の言葉に置き換えて書いたら、それなりにいいねが貰えてフォロワーが増えた。  近所にいた野良猫があくびしている動画に「一緒にお昼寝したい~!」とコメントを付けて呟いたときなど、三万いいね越えのバズり方をした。面白かった反面、実感としてまるで理解できない猫の魅力の底深さが恐ろしくなった。  そしてなにか事件が起こればしたり顔で、多数派が気持ちよくなれるようなちょっと捻った正論っぽいものを書き込んでいった。政治とか芸能人とか、世間が大好物のネタに俺自身ほとんど興味がなかったのが逆に良かったのか、ただただ受けるためだけに書いた俺の書き込みは定期的にバズって、この間、目標としていたフォロワー三万を越えるに至った。 「フォロワー三万越え、ありがとうございます! これからもいつも前向きに、猫ちゃん膝に乗せながら全力疾走していきたいと思います!」  時折、自分自身は全く共感できない、自分的いいねゼロのツイートを見て「なにやってんだろ」と思うこともあったが、なんであろうと沢山の人たちに認められるのは気持ちよかったし、からっぽな俺の生き様が世間を凌駕したようで痛快だったので、止める気にはならなかった。
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