プロローグ

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プロローグ

《戦勇の紋章(ブレイブ・スティグマ)》  それは選ばれた者のみに発現する、言わば『勇者の証』である。  ヴァル=ブルーイットの手にこの紋章が現れたのは、七歳の時。  以来、ヴァルは歴史に残る『伝説の勇者』となることを夢見て生きてきた。  そして迎えた今日は、ヴァルの十六歳の誕生日。  ヴァルの住むジュネール王国では、紋章を授かりし者は、十六になると同時に旅立つのがならわしとされている。    今、ヴァルはお城へと召集され、玉座の前に跪いている。  この王様への謁見が済めば、ヴァルはいよいよ勇者としての第一歩を踏み出す。  幼き日からずっと憧れていた冒険への旅立ち。  もうすぐ、その夢が叶うと思っていた。  それなのに――。 「ヴァル=ブルーイット、勅令に従い只今馳せ参じました」  ヴァルは形式通りの挨拶を述べる。  目の前には、ジュネール王の姿。傍らにガタイの良い兵士を置き、自らは玉座にゆったりと腰掛けている。  頭上の煌びやかな王冠。たっぷりと蓄えられた白い髭。身に纏う深紅のマント。まさに王の中の王という風格が漂っていた。 「そなたがヴァル=ブルーイットか。ふむ、良い目をしておるな」  威厳十分といった感じで喋るジュネール王。 「ありがとうございます」  ヴァルは跪いたまま頭を垂れる。 「して、今日そなたをここへ呼んだのは――」 「はい。このヴァル=ブルーイット、すでに旅立ちの覚悟はできております。必ずや勇者として名を馳せ、このジュネール王国と世界に繁栄を――」  ここまでは予定調和だった。  そう、ここまでは……。 「は? なにを言っておるのじゃ?」  王様から降ってきたのは、ヴァルの予想を大きく裏切る言葉だった。  ヴァルは思わず頭を上げる。 「い、いや、だって今日は俺……いえ、私の十六歳の誕生日です。紋章を授かった者は十六を迎えると同時に旅立つのが、この国のしきたりではありませんか?」 「ふむ。確かに、紋章を宿し者の旅立ちは十六を過ぎてからと定めてはいる。しかし、紋章を授かった者が必ず勇者として旅立たなくてはならないという掟はない」  王様の言うことも理解はできる。  例え紋章を授かった選ばれし者でも、冒険に出たくない、あるいは何らかの事情で出たくても出られない場合もあるだろう。  勇者としての旅立ちは強制ではなく、あくまで本人の自由意志。それは分かる。しかし、ヴァルは勇者として旅立ちを自ら望んでいるのだ。 そもそも「それならなぜ、今日自分はお城へ呼ばれたのか?」いう話になる。 「で、では、なにゆえ私は本日ここへ呼ばれたのですか?」 「そなたは街に住むデネロス=ハルフォード氏を知っておるか?」  デネロス=ハルフォード――街の子供たちから『デネ爺』の愛称で親しまれているご老人だ。すでに七十歳を超えているが、かつては高名な冒険者で、大賢者と呼ばれるほど魔道の才に優れていたと噂されている。今は街の隅で小さな道具屋を営んでおり、ヴァルも小さい頃はよく店を訪れて、ちょっとした魔法を見せてもらっていた。 「はい。存じ上げておりますが」 「先日、デネロス先生が城を訪ねてきてな。一つ相談を受けたのじゃ」 「相談、といいますと?」 「先生いわく『ワシももう年じゃ。そろそろ店を誰かに譲って隠居したい。じゃが、ワシには後を継ぐ者がおらん。誰かワシの代わりに道具屋をやってくれる者はおらんかの』とのことじゃった」    話が変な方向に転がり出した。  非常に嫌な予感がするが、まさか……。 「あ、あの、まさかとは思いますが、《戦勇の紋章》を持つ私に『道具屋の主人をやれ』などということは――」 「まさしくその通りじゃ!」  その「まさか」だった……。 「ヴァル=ブルーイットよ、そなたは今日から道具屋じゃ。生まれ変わったつもりで道具屋の業務に勤しむがよ――」 「ふっざけんじゃねえ!」    さすがのヴァルも我慢の限界だった。というか、そもそもヴァルはそんなに気の長い方ではない。ここが謁見の間だとか、相手が王様だとかいうことは、込み上げてくる怒りで頭から消し飛んでいた。 「こら! 王様に対して無礼であるぞ! 口を慎め!」  王様の側に立っていた兵士が、怒鳴りながら睨みを利かせてくる。  だが、ヴァルは怯まない。 「王様だから何だ!? こっちは勇者だぞ! ふんぞり返って偉そうに喋っているだけの奴とは違うんだよ! いいからさっさとしょぼい装備とはした金を寄こして俺を旅立たせろ! 王様の仕事なんてそれだけだろうが!」 「そ、そんなふうに思われていたなんて、ワシ、ちょっとショック……」    ヴァルが叫ぶと、王様は年甲斐もなくしょんぼりした。 「だ、大丈夫ですよ、王様! 最近では『王様が実は魔王でラスボス』という物語も増えています! 決して影の薄い存在ではありません! 自信を持ってください!」    そして、そんな王様を必死で励ます兵士。  なんなんだよ、こいつら……。 「そ、そう? じゃあ、ワシ、イケてる?」 「イケてます! 輝いてます! ピッカピカに!」 「それ、遠回しにワシのことハゲって言ってない? でも、確かに最近ちょっと薄くなってきたみたいで心配――」 「お前の頭髪なんてどうでもいいんだよ! そんなことより俺の話を聞け!」    ヴァルがもう一度声を張り上げると、王様は不満そうな顔を向けてきた。 「そんなことって、おぬしはワシの毛根を一体何だと思っておるのじゃ?」 「なんとも思ってねえよ! あんたの毛根なんて!」 「これだから若い奴は……。まあ、よい。おぬしにも、いつかワシの苦悩を知る日が来るじゃろう。王の苦悩(ハゲ)……をな」 「カッコつけて言うことかよ! 余計に腹が立つわ!」    キメ顔を作る王様を見て、ヴァルの中で怒りがふつふつと湧き上がってくる。けれど、怒ってばかりもいられない。話を先に進めないと、ヴァルはいつまで経っても勇者として旅立てないのだ。 「いいから話を元に戻すぞ。つか、そもそもなんで俺なんだよ? 道具屋の主人なんて他にできる奴はいくらでもいるだろ?」 「皆それぞれ己の夢や目標、それにすでに仕事を持っておるからの」 「はあ!? それなら俺だって同じだろうが!」 「え? だって、おぬしの夢って『伝説の勇者』じゃろ?」    真顔で言われると、返す言葉がなかった。  十六にもなって「夢は伝説の勇者になること」と言っている少年。  客観的に見るとすごく痛い……。 「…………王様、ここは一つ『勇者とは何か?』ということから考えてみようじゃないか」 「ええい、現実から目を背けるでない! ワシだって自分の毛根と向き合っておるのだぞ!」 「では、『勇者の行く末』とかけて『王の毛根』と解く」 「ほう、その心は?」 「『神(髪)のみぞ知る』。勇者も毛根も互いに己ではどうすることも出来ぬ、言うならば運命。道具屋の件は白紙に戻して、俺に紋章を授けた神の御心に従い、勇者として旅立たせるべきじゃないか?」 「ちょっと上手いこと言えている気がしないでもないが、それって『ハゲには抗えない』ってことじゃろ? 酷いわ~。傷つくわ~。立ち直れないわ~。というわけで、ワシの気が変わることもない」    あくまで自分の髪にこだわる王様。どうしてこんな奴が一国の王なのか、ヴァルには全く理解できなかった。 「訳が分かんねえよ! どこの世界に勇者を旅立たせない王様がいんだって話だ! そうまでして俺を旅立たせない理由って何だよ?」 「親心じゃよ」  王様は急に真面目な顔になって言った。 「親心?」 「勇者という職業はおぬしが思っているよりずっと大変なのじゃ。凶悪なモンスターとの戦闘、仲間との確執、時には信じていた者から裏切られることもあるじゃろう。旅立ったはよいが、途中で挫折して心を壊してしまう者の多いこと多いこと。いや、精神を患うだけならまだ良い。中には、そのまま犯罪に手を染めてしまう元勇者もいるのじゃからな」 「勇者をブラック職業みたく言うな!」 「そうではない。ワシが真に言いたいのは『華やかな活躍を為し得る勇者は、ほんの一握りだけ』ということじゃ。大半の勇者は、何も為し得ぬまま剣を折ることになる」 「安心しろよ。俺はその『一握りの勇者』になる男、いや『世界一の勇者』になる男だ。何があっても俺の心の剣は折れねえよ」 「おぬしはまず、自分が如何に痛い台詞を口にしているか自覚した方が良いぞ」  自覚はしている。しかし、痛くても譲れない部分がヴァルにだってあるのだ。勇者として冒険に旅立つ。ヴァルはそれだけを夢見て今日まで生きてきたのだから。  それに、今の王様の話にも、いくつか疑問に思うことがあった。 「てかさ、気になったんだけど」 「なんじゃ?」 「王様が俺のことを多少は考えてくれているっていうのは分かったよ。でも、それと俺に道具屋をやらせることは関係ないんじゃないか?」 「どうしてじゃ?」 「いや、だって、俺は腐っても『紋章を授かった勇者候補』だぜ? だったらもっと別の使い道があるだろ? 例えば、そこにいる兵士の代わりに俺を採用したって――」 「はあ? お前、兵士ナメてるの?」    ムっとした表情で兵士が話に入ってきた。  さすがに今の言い方は良くなかったな、とヴァルも反省する。 「ああ、違うんだ。ただの例えで――」 「お前、今年の王宮兵士志願倍率知ってる? 二十倍だぞ、二十倍! 俺たちはそんな倍率をくぐり抜けて今ここに立ってんの! お前が『俺は勇者だ!』って言って木の棒を振り回している間、俺は必死に勉強したり身体鍛えたりしてたの! 分かる? お前とは積み上げてきたものが違うワケ!」    この兵士、ヴァルが思っていたよりずっとエリートだった……。単純に王様の隣に立って『王様にそそうのないようにな』と喋るだけの存在ではないらしい。 (今のは、さすがに俺が悪いよな……。でも、嫌味ったらしいところもあるけど、この兵士もすごい奴なんだな……)  そんなふうに考えを改めようとしていると、兵士が王様の耳元に顔を近づけ何やら話し始めた。 「王様、王様。もう正直に言った方がいいんじゃないですかね?」 「何をじゃ?」 「こいつに道具屋をやらせることになった経緯をですよ」 「え~、だってそれは、いくらなんでもかわいそうじゃん? 『本当はちゃんと勇者として旅立たせる予定だったけど、デネロス先生が急にお願いに来たから、そのあと来ることになっていた彼に全て丸投げしよう』って話になった、なんて。第一、最初にそうしようって言い出したのは兵士君じゃん! 言うなら兵士君が言うべきじゃろ!」 「なに言ってんですか! 王様だってノリノリだったじゃないですか! 『おっ、それイイのう! それでいこう!』って。俺だけに責任を押し付けないでくださいよ!」 「いやいや、ここは兵士君が」 「何を仰います、やはり王様が」 「全部聞こえてんだよ……」  一瞬でも考えを改めようと思った自分が馬鹿だった、とヴァルは思う。  こいつらのは単なる悪ノリ。  ただ、権力者の悪ノリほど厄介なものもないわけで――。 「おほん、まあそういうわけじゃから――」 「どういうわけなのか砂粒ほども理解できねえよ!」 「ヴァル=ブルーイット、只今をもってそなたを道具屋の主人に任命する。あとのことは大臣にでも聞くがよい。では、下がってよいぞ。てか、暴れる前につまみ出すのじゃ!」 「え、ちょ、う、嘘だろ!? てか、暴れられるって分かってる命令を――って、放せ! 放せよ! おい、いい加減にしろよ! 冗談だろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」    謁見の間に入ってきた兵士たちによって、ヴァルは無理やり退出させられる。  こうして、伝説の勇者になるはずだった少年ヴァルの冒険は、始まる前にその幕を下ろしたのだった。
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