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 僕が老人の先生へすごかったですと思わず口に出したのは、この大家京子の一挙手一投足を見てのことだった。  濃紺の防具に身を包む剣士の中にひとりだけ、真っ白な道着と袴に、紅の胴をつけた剣士。一人だけ真剣を持っているのではないかと思うほどの覇気を放っていた。  僕は、稽古の途中からこの大家京子だけを目で追っていた。僕たち四年生より上の六年生や五年生もいる中で、背の高い京子は見劣りしなかった。いや、ここに集う剣士の誰をも凌駕していた。  ぴんと伸びた背筋。美しく、鋭い打突。床を蹴り出し、ふわりと舞う。他の誰より甲高い音を立て、面を穿つ。初めて剣道を見る僕が見ても、京子は圧倒的だった。すごかった、のだ。 「なんでも……ない」  呟いて返すと、京子は立ち上がった。二段下にいるのに、見下ろされている。さっきまで思わず見惚れていた女剣士はそこにはいなかった。いつもの、『女男』である京子がそこにはいた。 「何の用って聞いてんのに、なんでもないって言うっちゃ。情けなかよね。弱か山之内に剣道なんかできんばい。そんなに甘いもんじゃないけんね」  面の中に小手を器用に入れ、それを胴にくるむと、慣れた手つきで縛りあげた。そのまま、のそのそと防具を脱ぐ小暮くんの横をずかずかと大股で横切っていった。小暮くんは京子が体育館を後にしたのをちらりと確認してから、慌てたように防具を片付け始めていた。  学校での京子は弱い男子を軽蔑している節がある。僕や小暮くんは紛れもなく軽蔑されている方だろう。ゆえに、苦手だ。でも、今日、京子から立ち昇る湯気を見て、なんとなく、分からないでもない。そう思った。 「ただいまぁ」   母さんは平然と食事の用意を済ませていた。 「馨、やりますて言うてきたやろね」 「いんや。一月のこんな時期で微妙やけん、入るとしても五年になってからにしますて言うてきた」  母さんは、唖然としたまま左手で顔を覆い、信じられないというように首を振った。 「あんたって子は……」  僕はゲームのスイッチを入れた。温かいお茶を飲んでコントローラーを握った。  やれやれだ。
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