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 月曜と金曜は午後四時を過ぎると、蹲りたくなる。お腹の底に鉛が落ちたような。 「ほら、馨。おにぎり置いとうけん、早よ食べんと」  炬燵の真ん中に平皿が一つ。海苔を巻いた俵型のおにぎりが三つ。いつも手が進まない。食べると、否応なしに着替えてまた学校に行かねばならない。  キッチンから油が撥ねる音がした。姉ちゃんの晩御飯だ。母さんは先に晩御飯を作っておいて、必ず僕と一緒に小学校へ行く。連行されている気分だ。逃げるなんて大それたことはできない僕なのに、母さんは逃げ出さないようにいつも目を光らせている。おにぎりは鮭と梅干と明太子だった。ゆっくり一時間かけて食べる。 「ほら、もう五時よ。いつまで食べとうとね」  出来上がったお味噌汁の香りがして、母さんはクローゼットから剣道着と袴を僕の頭にどさりと乗せた。 「今日、なんか、お腹痛いかもしれん」 「かもしれんなら、大丈夫やね。練習行けるし良かったやん。早よ着て」  菱織柄の剣道着を羽織ると、ひやりと冷たい。まだうまく内側の紐を結べない。片側が大きくなった蝶をそのままに閉じ、外側の腰紐を結ぶ。袴の裾から入ってくる風にまだ慣れない。女子はこれで冬を平気で乗り越えるのか。不思議だ。腰あてにむりやり姿勢を正せられ、靴下を脱いだ。 「はい、行くよ。間に合わんよ」 「やっぱ、お腹痛いとよ」 「じゃあ、江口先生に電話するばい。仮病を使っとるけん、江口先生の家でマンツーマン稽古に変えてもらおう。別の日にしよ」 「……やる。言わんとって。江口先生には」  江口先生……白髭をたくわえた老剣士は、あれから何度となく僕の心臓を収縮させた。老人とは思えないほどの怒声に、床を叩く竹刀の音。その度に僕は寿命を減らしている気がしている。  玄関にはいつの間に用意されていたのか、竹刀袋と防具袋がどっかりと鎮座していた。これがまた重い。藍色の防具袋の紐に竹刀を通して担ぎ上げた。 「行ってらっしゃあい」  呑気な姉ちゃんの見送り声を背に草履を履いて外に出る。  まだ寒い風が吹きつけた。稽古がある月曜と金曜は、夏になってもこのまんまずっと寒風が吹きすさぶのではないかという気になってしまう。
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