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 試合時間は残り三十秒を切っていた。後ろから山之内が叫んで教えてくれた。  焦る。  どんなに渾身の打突を繰り返しても、一本を取ってもらえない。  待てがかかり、開始線へ戻る前、江口先生の姿が目に入った。江口先生は一直線な目を俺に向けていた。一皮剥けろと言いたげな目をしていた。  悔しい。あいつが卑怯な言葉を口にしたんだ。分かってくれや。そう思いたい気持ちをぐっと堪える。そう思ってしまえば、俺はまた逆戻りだ。  文句のない一本を取るしか俺には方法がない。なんとしても、あいつらに優勝を届ける。それが、今までの俺から抜け出す唯一の道だから。  だが、人は、そうやすやすとは変われないのだ。  小六ながら、俺はそんなことを身を持って体感した。大人になった今でも、この日のこの試合を俺はずっと覚えている。  渡辺が鋭い胴を打ってくる。止めて鍔迫り合いで互いに押し合いが始まった。俺も、渡辺も、荒い息を吐いた。その吐息の合間、渡辺がまた蛇のように笑った。  嫌な予感がした。 「はあ……はぁ……。おい。お前の彼女の大女に言っとけ。試合場ば汚え血で汚すなって」  渡辺は逃げるように引き技を放ち、俺から遠ざかった。にやけ、馬鹿にした顔で俺から逃げた。俺の精神状態を更に追いこむための作戦だ。分かっていた、そんなことは。  だが、それ以上に許せなかった。  俺の仲間を侮辱され、京子の女としての部分をこいつは汚えと言いやがった。  許せなかった。  そこからは、あまり覚えていない。 「陣! 十秒っ!」  俺は振りかぶらなかった。相手の渡辺は、俺がかっかと頭に血を上らせ、向かってきたところに返し技を仕掛けたかったのだろう。そんな準備をしていた。  俺はそんな人間じゃない。頭に血を上らせたら、まだまだそんなんで済む人間じゃなかったんだ。  すっ、と竹刀を引き、俺は渡辺のある部分を見ていた。  がら空きだった。  渡辺の喉は無防備に空いていた。  殺せると思った。
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