まずは…昔の俺のこと?

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だから、子どもの頃は大好きなサッカーに一生懸命になってたし、自分が医者になって祖父の後を継ぐなんてあんまり思っていなかった。低学年までならともかく、中学生になってもクラブチームでサッカーに時間をかけて、休日のたびに試合だ遠征だって飛び回って過ごしてた。 そして家族はそれを認めてくれた…というか、全面的に応援してくれてた。 こんなところにも、祖父の考え方が現れていたかもしれない。 直系の、たった一人の孫である俺に対して、何一つ強要することもなければ勉強しろとプレッシャーをかけてくることもなかった。 だから、俺が医者一家の息子だと知らないやつは多かっただろうと思う。 本当に…すごい人だ。 だって自分の一人息子が医者にはなったものの、自分の後は継がないと表明してるんだ。そこにたった一人の孫がいたら、普通は期待しないか? 直接聞いてみたことはないけど、きっと内心では願っていただろうと思う。 そうでなかったら、俺が整形外科をめざすことを報告したときや、ここに戻って働かせてほしいと頭を下げたときに、あそこまでうれしそうな顔をしてくれたはずがない。 でも幼いころの俺には、そんな気持ちを一切感じ取らせずに好き勝手やらせてくれた。 そうやって育ててもらった俺は、自然と相手に対して自分の意見を押し付けないことを身につけているかもしれない。 妻である美波に対しても、俺は付き合い初めから本当にそんな感じで接していたから、俺としては結構大事にしてたつもりだったのに、美波の方は長いこと俺のことをただのセフレだと思っていたという悲しい記憶がある。 大きな怪我を追って俺のところに来た選手には、どうしたいかをまず確認するようにしている。少しでも早く選手として完全復帰をめざすのか、引退も視野に入れてコーチとして動ける程度をめざすのか。場合によっては日常生活まで戻せればいいということだってある。 一人一人の人生があって、俺ができることはもちろん力を尽くすけれど、一番大事なのは本人の意思だと思ってるかな。
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