プロローグ

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プロローグ

「黒宮先輩、ちょっと聞いてくださいよ! 街道沿いに芝園(しばぞの)公園ってあるじゃないですか? あそこの女子トイレが夜になると出るみたいなんです!」    背後から女子生徒のはしゃいだ声が聞こえてくる。  だが、黒宮宗介(くろみやそうすけ)は、決して振り返らずに放課後の廊下を進む。 「深夜、トイレに入ると、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるそうなんです。でも、個室の扉を開けて中を確認しても誰もいない。不思議に思いながらトイレを出ようとすると……鏡に赤ちゃんを抱いた血まみれの女が映るらしいんです! メチャクチャ恐くないですか?」    怪談を語るには明るすぎる声のトーン。 (そんな嬉しそうに話されたら、ちっとも恐くなんかねえんだよ)    そう心の中で突っ込みながら、宗介はなおも無視を続ける。 「噂では、そのトイレで自殺した妊婦がいて、その女とお腹にいた赤ちゃんの霊だって話なんですけど、黒宮先輩はどう思いますか?」    質問にも一切応じず、宗介はひたすら正面玄関を目指す。 (いい加減黙れよ……つか、これだけあからさまにシカトされてんだから空気読め!)    しかし、宗介の思いとは裏腹に女子生徒の声はなおも勢いを増す。 「黒宮先輩、もうすぐ夏休みじゃないですか~。夏と言えば、やっぱり心霊スポット巡りですよ! てなわけで、私と一緒にこのトイレを調べに行きましょうよ~。夏の夜ですし、ちょっとくらいならエッチなことも許してあげますから。それでもオーケーしてくれないなら、ずっと先輩に憑き纏っちゃいますよ?」    それを聞いた宗介は、ついに根負けして足を止める。 「おっ、ようやく止まってくれましたね! 興味を持ってくれたのは幽霊トイレですか? それとも、ワ・タ・シですか?」    振り返ると、そこにはぶん殴りたくなるような笑顔があった。  宗介は、深く溜息を吐く。 「どっちにも興味なんてねえよ……。つか、俺なんかに絡んで何が楽しいんだ、一之瀬?」    女子生徒の名前は、一之瀬柊(いちのせひいらぎ)。  学年は宗介の一つ下で、この春、同じ都立高校に入学してきた一年生だ。髪型は軽く茶色に染めたボブカット。背が小さく、目がくりくりと大きいため、どこか小動物のような雰囲気がある。 「だって~、先輩って霊が視えるじゃないですか~。それにお祓いもできますし。だ・か・ら、先輩にくっついていれば、貴重なオカルト体験ができると思って!」    ニコニコと嬉しそうに話す柊を見て、宗介の肩にどっと疲労感がのしかかった。  宗介と柊の出会いは、中学生の頃に遡る。  宗介が中学二年の時、「一つ下に変な女が入学してきた」という噂が広がった。言わずもがな、その『変な女』が一ノ瀬柊である。  目には眼帯。常に着用している黒いローブ。首からぶらさげた髑髏のペンダント。手首には数多の数珠。頭のてっぺんからつま先までオカルトに染まり切った危ない女子――それが一之瀬柊に対する全校生徒の共通認識だった。そのため、普通にしていればロリコン共がホイホイ釣れそうな容姿を持っているにも関わらず、彼女に近寄ろうとする者は皆無だった。  高校に入学した今は、さすがに見た目こそ普通になったが、オカルト好きの変人であることは変わらず。  しかし、本当に厄介だったのは、柊が「変人」と呼ばれるに相応しいだけの旺盛な好奇心と行動力を持ち合わせていたことである。 『命が惜しくば絶対に踏み入ってはいけない』    そう囁かれるような心霊スポットにも、柊はカメラ片手に平気で侵入していた。  その危険を顧みない行動のせいで、宗介が柊と出会った時、彼女は『良くないモノ』に憑かれてしまっていた。柊との縁は、宗介がその『良くないモノ』を祓ってやったことに端を発している。 「中学の時、恐い目に遭っただろうが。少しは懲りろよ」 「懲りるなんてとんでもない! 幽霊って本当にいるんだって分かって、むしろワクワクしたくらいなんですから!」    その言葉を聞いて、宗介はいよいよ頭を抱える。  どうやら何を言っても無駄らしい。 「……もういいや。そこまで言うならもう止めねえから、行くならお前一人で行けよ。その代わり、また変なのに憑かれても、もう祓ってやらねえからな」 「あっ、ちょ、待ってくださいよ、先輩!」    宗介は柊を置き去りにして、再び正面玄関に向かって歩き始める。  だが、柊もしつこく宗介の後ろについてきた。 「ねえ~、先輩、どうしても一緒に行ってくれませんか?」 「しつけえぞ。行かねえって言ってるだろ」 「ちぇ、分かりましたよ。じゃあ、幽霊トイレは諦めますから、一緒に映画を観に行きましょうよ!」    諦めたように見せて、別の要望を提示する柊。  転んでもただでは起きない女だ。 「じゃあ、って何だよ? 心霊スポットと映画にどんな繋がりがあんだ?」 「最近公開されたホラー映画が超怖いらしいんですよ! 『エクソリング』ってタイトルなんですけど、白い服を着た髪の長い女がブリッジしながら迫ってくるシーンは、トラウマ必死らしいです!」 「それはホラーじゃなくてコメディだろう……」    かつて世間を震撼させた貞○も、今では野球の始球式で快速球を放る有様。国民的怨霊が国民的ゆるキャラになっている現状を考えると、それも致し方ないのかもしれない。 「先輩、映画ならいいですよね? 危なくないですし」 「よくねえよ。俺は忙しいんだ」 「嘘はいけませんよ! 先輩には、私以外に誘ってくれる友達も、まして恋人もいないじゃないですか!」    聞きようによっては喧嘩を売っているようにも取れる発言だが、柊の言葉は紛れも無い真実だった。  宗介には友達も恋人もいない。流行りのワードを用いれば『ぼっち』というやつである。  けれど、宗介には一人でいることの耐性と必要性が備わっているので、心にダメージを受けることはなかった。 「うるせえな。俺は一人が好きなんだよ。放っとけ」 「見た目は悪くないのに超絶無愛想ですもんね、先輩って。もう少し笑顔で自分から話しかけていけば、友達もできると思いますよ。こうやって」    柊はそう言って、両手の人差し指を頬に当て「に~」と笑顔を作る。  イラっときた宗介は「余計なお世話だ」と告げて足を速めた。 「あ、待ってくださいよ! もう、ちょっとからかっただけじゃないですか! でも、そういうわけですから、今度の三連休はどこか空けておいてくださいね」 「どういうわけなのか全く理解できねえし、俺の予定を勝手に決めるな」    ちょうどその時、正面玄関に辿り着いた。  帰宅予定の宗介は、柊に構わず自分の下駄箱へと向かう。 「こんなに可愛い後輩がデートに誘っているというのに、先輩は何が不満なんですか? ひょっとして、性的なアピールが足りないってことですか? 仕方ないですね~、映画が始まって暗くなったら、おっぱい触っても――」 「お前のそういうところが不満なんだよ!」    やれやれこれだから思春期の男子は……といった顔をする柊に、宗介は軽い殺意を覚える。  正直に言うと、映画くらいなら付き合ってやっても構わないというのが宗介の本音だ。  けれど、今の宗介には柊と映画に行けぬ絶対的な理由があった。 「予定はなくても、映画に行けない理由があるんだよ」 「意味分かんないですよ。予定がないのに行けない理由って何ですか?」    不満そうに尋ねてくる柊に対して、宗介は外履きに履き替えながら、 「単純な話だ。金が無いんだよ」    と、答えた。  これには流石の柊も言葉を失った様子。高校生にもなって、まさか映画を観に行くお金も持ち合わせていないとは予想していなかったのだろう。  だが、事実なので仕方がない。宗介の所持金は、現在五百円少々。映画を観るだけの金額も残っていないのが現実だ。 「そういうことだから悪いな、一之瀬。お前もあまり危ないところにばかり行くなよ」 「あっ……」    固まってしまっていた柊を置いて、宗介はさっさと外へと向かう。  チラリと後ろを振り返ると、ふくれっ面の柊が目に入った。  これ以上宗介を追いかけてくる気配はなさそう、だったのだが――。 「あ~あ、私も先輩みたいに霊が視えたらなあ」    柊は最後にそんな言葉を残して、トコトコと廊下を歩いていった。  そんな彼女の小さな背中を見ながら、宗介は思う。  ――霊なんて視えないほうがいい。
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