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いやあ……、いい湯だなあ……。
「って、なんでここでのんびりとお風呂に入らないといけないんだよ」
思わずセルフツッコミ――正確に言えばノリツッコミ――してしまうぐらい、この状況は変な状況であった。
メアリに連れられてやって来たのは、銭湯ワタナベ。そこはぼくもメアリも足繁く通う――ぼく含め三級市民の家にはお風呂が標準装備されていないのだ――行きつけの銭湯だった。だから知り合いも多く通っているし、今日も何人かと顔を見合わせた。何だ、今日も会ったのか、なんて思ったり思わなかったりする訳だ。やっぱり風呂って命の洗濯――なんて何処かの誰かが言っていたような気がするけれど、それを踏まえるならば、風呂というのは毎日入らないといけないよな。荒んだ心を癒やしてくれるのは、やっぱり風呂なのかもしれない。どうして風呂がいやしてくれるのか、って? 知るか、そんなの。ぼくは科学に詳しくないんだ。
「そもそも……」
今の時間――昼過ぎともなると、未だ銭湯を利用する客はゼロに近い。しかしながら、この銭湯ワタナベは二十四時間営業しているため、いつどの時間に入りに来たって構わない。もっと言えば、深夜に突然風呂に入りたいからと言ってここに来たって、全然問題ない訳だ。番台に居る老齢の女性――ぼく達は『女将さん』と呼んでいる――は嫌な顔一つしないで招き入れてくれる。
いや、女将さんも人間なんだから少しぐらい嫌な表情しても良いんだけれどな。
人間は三日ぐらい睡眠を取らないでいると死ぬみたいなことも聞いたことがあるし、きっと何処かぼく達の知らないタイミングで睡眠を取っているのかもしれないけれど。実際、入ろうと思えば男湯だけでも二十人ぐらいは同時に入れそうな浴槽と洗い場を、あの女将さん一人で掃除しているとは到底考えにくい。こういうところだから掃除ロボットでも導入されているのかもしれないし、それとも機械には湯気が天敵だから導入されていないのかもしれない。人海戦術で何とか賄っているのかもしれないし。……それはそれで大変そうな香りしかしてこないのだけれど。
「メアリ、そっちはどうだ?」
ぼくは声のトーンを大きくして、仕切りの向こうにある女湯に声をかける。
相手は勿論メアリだ。メアリはプネウマと一緒に入浴している。こっちは一人だが、あっちは二人。そりゃあ、最初からそんなことぐらい分かっていたけれど、いざこれを実感してみると寂しいものがある。早く三人で動きたいものだけれど、メアリはいったいどうしてここにやって来たのだろうか?
まさか、風呂に入りたいだけのためにやって来たなんて言わないだろうな。
「全然。良い湯加減だよ。プネウマちゃんもお風呂楽しんでいるみたいだし」
お風呂って、楽しむ物で間違いなかったっけ?
いや、でも子供の頃はそういう思い出がなかった――訳でもない。親と一緒に銭湯にやって来た時は、毎回ワクワクで一杯だったような気がする。広い浴槽はプールのようだったし、サウナにシャワーも面白い。あの頃の子供って、どんな物でも遊びに変えてしまっていたのだから凄いよな。今は全然駄目だ。脳細胞が麻痺しているような気がする。
肩まで浸かって百秒数えて、身体を流して外に出る。女性は長風呂だって聞いたことがあるし、実際メアリも長風呂のことが多いので、ぼくはゆっくりと着替えることにした。どうせ誰も居ない貸し切りの更衣室なのだ。遠慮することは何一つなかった。
更衣室にはラジオが一台置かれていた。ラジオもぼく達三級市民にとっては貴重な娯楽の一つだ。テレビもあることはあるけれど、それもまたこういう公共施設――銭湯は公共施設という分類で良いのだろうか――にしか置かれていない。
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