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貴重品であり、嗜好品であり、消耗品であった。
ラジオも買おうと思えば買えるのかもしれないけれど、ぼくの財布では未だ先が遠い。それに買ったところであまり面白い番組もやっていないしな。大抵はプロパガンダ――政府の思想の宣伝や啓蒙――だし、ラジオドラマとかやっていることはやっているけれど、それだって純娯楽という代物ではなく、やはり政府の管轄に入っている。そもそもラジオ局自体が政府の事業で行われている訳だから、政府の息がかかっているのは火を見るより明らかではあるのだけれど。
ラジオではニュースを流していた。ニュースキャスターが抑揚と滑舌をはっきりした口調で、政府の方針が如何に素晴らしいものであるかを述べている。最早報道ではなく称賛だった。原稿もきっと政府が一から十まで書き記しているのだろう。だからその文章を読み間違えることは絶対に出来ないし、しない。したところでメリットがあるとも思えない。メリットがないのならば、それに従うしかない。従わないところで、自分の生活が良くなる訳もないからだ。寧ろ悪い方向に行くだろうし、下手したらこの都市から追放されるかもしれない。
昔は仮に国外追放されたところで他の国に行けば何とかなったかもしれないが、今はそれは不可能だ。
それは、この世界が国家という枠組みを捨てたからだ。
正確に言うと、国家と国土という概念を一つ上の段階にシフトした。
ぼくが生まれる遙か昔に、この世界で大規模な戦争が起きたと言われている。その戦争は沢山の兵器が使われ、沢山の死者が出た。沢山の浮浪者が出て、沢山の損失が出た。
けれど、メリットもあった。
それは、世界を統一出来たことだった。かつてはずっと二つの勢力――或いはそれ以上――が対立していたようだけれど、その戦争で一つに纏まることが出来たのだ。
それが出来た国家は、世界の仕組みを変えるべく現在の政府を立ち上げた。
戦争が終わってからのタイミングではあるけれど――多くの兵器が空気を、環境を、生物を、汚染する物質を撒き散らしていて、最早取り返しのつかないところまで行ってしまっていたらしかった。
具体的に言うと、作物も育たないし、生物が住むことも出来ない――死の大地。
その死の大地に人間がずっと住み続けることは出来ないし、かといって他の惑星――これも学校で習った知識の受け売りだけれど、この世界は一つの星だそうで、かつては星の外から見ると青と緑が綺麗な惑星なのだという――に移動する程の技術も持ち合わせていなかった。
そこで政府が打ち出したのが、移動型都市だった。
シェルと呼ばれる都市には、数万人規模の人間を収容出来る施設を用意し、その当時最先端だったと言われるエネルギーで駆動するよう試みた。四足歩行で動くその都市は、初めてその試作品を見た政府の高官の言葉を準えて、こう名付けられた。
機械仕掛けの亀、と。
それから幾つもの試作品を経て、実用化出来たのは四十年後。その後徐々に人間が移動して完全に移動しきったのが三十年後。スチーム・タートルが動き始めたのは、開発を始めてから七十年の月日が経ってからのことだった――らしい。らしい、というのは当然ぼくが生まれていないからであって、それはあくまでも学校で得た知識の受け売りに過ぎないからであった。
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