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「ここが、ゼシル・H・ヴァンガード様の城ね」
長旅を終え、ミーラはようやく目的地についた。
馬車から降りると、ミーラを待っていたのは苔や蔓だらけの古城。とても一国の第一王太子の城とは思えない。おそらく規模が小さすぎることから王城ではないだろうが……まさかここにゼシルが一人で住んでいるとも思えない。城としては小さいとはいえ、一人で住むには大きすぎる。
「今日からこの城に住むのね、私。知り合いは誰一人だっていないこの城で……。パパやママとの思い出のつまった実家には、もう帰れない……」
ミーラは一瞬だけ気が緩んでしまって、涙が溢れそうになった。視界が歪み、大粒の涙を一粒だけこぼしてしまう。
「ダメ。泣いちゃダメよ、ミーラ。魔国アクリウスは国としては小さいけれど魔法技術が発達した素晴らしい国だってパパが言っていたわ。きっと私の知らないワクワクするような魔法がいっぱい学べるはず! そうすれば、私の夢の実現にも近づけるかもしれない」
両頬を叩き、前に進む。そうして、ミーラはようやく未知の扉をノックした。ノックすると、手に埃がついてしまうくらいには手入れが行き届いていない。
「あの、ごめんください」
反応がないので恐る恐る声をかけてみると、ようやくギィッと古い音をたてて、扉が開いた。中から出てきたのは赤毛の青年だ。ミーラと同い年くらいだろうか。
「迎えるのが遅くなってしまい申し訳ございません。ミーラ・M・エトワール様ですね。お待ちしておりました。僕はオニキス・ラクラウド。ゼシル殿下の側近です」
「今日からよろしくお願いします。それで、あの、ここは……」
「あぁ、勿論ここはアクリウスの王城ではありませんよ。ここはゼシル殿下個人が所有している城でございます。理由があってゼシル殿下は普段はここで生活しておりますので、婚約者であるミーラ様もこちらへお呼び致しました」
「そうだったのですね」
ミーラは少ない荷物を持ち、オニキスに誘われるままに城に入る。
城の中は古本の香りがした。ところどころ埃被った本の塔ができている。壁にはミーラが見たこともないような魔法陣の落書きがあった。まじまじとそれを見つめてしまう。
(すっごく複雑に呪文が入り組んでいる魔法陣ね。パッと見じゃどんな魔法か想像もつかない。流石魔国だわ。触ったらどんな仕掛けがあるのかしら)
ミーラは好奇心が疼き、つい魔法陣に手を伸ばしてしまう。
その時だった。
「──それに触らない方がいい。爪が丸一日凄い勢いで伸び続ける魔法が込められている」
「ッ!」
ミーラは顔を上げる。声の主は中央階段の頂上にいた。主は一歩一歩こちらへ近づいてくる。ミーラは息を呑み、固まった。
──骸骨の化け物。
彼を見た人間のほとんどがそう呟くだろう。声の主には眼球がなく、鼻もなく、皮膚もない。本当に頭蓋骨が剥き出しになっており、太く黒い肉の首に乗っかっていた。二メートル程の長身も相まって、迫力がある。頭蓋骨には人間にはないぐねりとひん曲がった大きな角が二本生えていた。眼球があるはずの空洞には赤い光が怪しく揺らいでいる。
まさに、死の王という名に相応しい容姿をしている彼こそが、ゼシル・H・ヴァンガードなのだろう。
ミーラはどう声を掛けていいのか分からず、ひとまず魔法陣からそっと離れる。
──と、そこでオニキスがそんなゼシルの背後に立ち、一本の花が咲いている花瓶をそっと得意げに掲げた。ゼシルがその花に触れると一瞬で花は萎み、散っていく。
「…………」
「…………?」
チラリ、とミーラを見るゼシルとオニキス。ミーラは意味が分からず首を傾げる。ゼシルはこほんとわざとらしい咳をした。
「このように俺の手は触れただけで生命を奪う闇魔法を宿している。それにさきほどのように、この城には俺が趣味で施した危険な魔法陣が数多に描かれているのだ」
「は、はぁ……」
「……。食事も満足にとれないだろう。なんせこの城は森に囲まれており、食糧は生息している魔物くらいだ」
「はい、分かりました」
素直に頷くミーラに逆に黙り込むゼシル。しばらくして、彼は気まずそうな声を出す。
「……分かったのか?」
「えぇ、はい。それがこの城のルールというのならば従います」
はっきりとそう言うミーラに動かなくなる死の王。その様子を見て、腹を抱えて笑うオニキス。
オニキスはひとしきり笑った後、ゼシルの肩を叩いた。
「ふふ、あははは! これで『ミーラ様を怯えさせて帰ってもらう大作戦』は失敗ですね、殿下? 意外にもこの方、肝が据わっているようです」
(あ、なるほど。ゼシル様は私に帰ってほしかったのね)
ミーラはようやく今までの彼らの奇行の意味を理解した。
(そうよね。彼らにとって私は邪魔者なのよね。よく考えたら同盟の証にと王太子の婚約者に私のような白豚がきたら失礼なのでは……でも、私にはもう帰る場所が……)
ミーラは膝をつき、頭を下げる。これはミーラができる最大限の懇願の姿勢だ。
「ゼシル・H・ヴァンガード様。どうかお願いいたします。私はもう自国に帰れません。ここに置いてください。掃除でもなんでもします」
「は……?」
返答はしばらくなかった。どうやらゼシルは動揺しているらしい。
「……違うだろう」
今度はミーラが動揺する番だ。
「申し訳ございません。私、なにか間違ったことを……。魔国の礼儀作法について勉強不足でしたでしょうか」
「違う! お前は今、死の化け物を前にしてるんだぞ!? もっとこう、なにかあるだろう! 泣きわめいて逃げるとか、怯えて絶望するとか……!」
「ゼシル様の意図は分かりませんが、貴方は化け物ではありません。こうして普通にお話出来ていますし」
「だ、だが……醜いだろう、俺は!」
「それを言うなら私だって、自国では“白豚”だと呼ばれています」
「いや、君は十分可愛らしいだろう! 俺の方が──あ、」
思わず出たゼシルの言葉にミーラは顔が熱くなる。ゼシルも「あの、今のは……」としどろもどろになり、気まずい空気が互いの間で流れた。そこで、助け船をだしてくれたのがオニキスである。
「いいのではないですか、殿下? この城も長年二人きりで寂しいですし」
「そういう問題ではないだろう」
「では、ミーラ様は森に放り出すと? 帰る場所もないとおっしゃっているのに??」
ゼシルはオニキスにそう言われると、口をへの字にして、黙り込む。そのまましばらく沈黙していたが、くるりとミーラに背中を向け、「勝手にしろ」とだけ残した。
オニキスがその背後でミーラにウインクする。
どうやら森に野宿する心配はなさそうだ。それにゼシルは案外悪い魔族ではないのはこの数分で理解した。ミーラは少しだけ身体の力を抜き、ほぅっと安堵の息を吐いたのだった……。
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