7人が本棚に入れています
本棚に追加
病んでいく心
休みの日は大っ嫌い。
何もやることがないから。何もできない自分を嫌でも意識してしまうから。
いっそ彼氏でもいれば気晴らしができたと思う。恋は盲目という。相手のことを見つめて、相手のことだけを考えていれば、惨めで見窄らしい自分のことを考えずに済む。
だけど、都合よくそんな相手なんて現れない。
レストランのバイトをいくら頑張っても、声をかけられるのはオーダーの時だけだし、もし例外的に声をかけられたとしても、つまらないクレームばかりだったりする。
『笑顔、笑顔』
ファーストフードショップのバイトで知り合った住倉沙織先輩は、バイト経験の浅い私に笑顔の大切さを教えてくれた。
忙しいのはわかる。だけど、それはお客さんには関係ない。だから笑顔を見せる。なぜなら笑顔こそがお店の雰囲気を作っていくから。
先輩は器用だった。そして綺麗な人だった。
あのポニーテール。細い首筋。そして真剣な眼差しとお客さんへの笑顔。先輩目当てで何人かのお客さんが常連になっていることは働いていてすぐに気づいた。だけど、先輩はそういうことに極めて鈍感だった。
しばらくして、住倉先輩は保育士さんへの正式採用を勝ち取って、みんなに惜しまれながらバイトを辞めた。
お店の雰囲気は一気に悪くなった。
補充として入ってきた後輩たちはやる気がなく何かを教えても上の空。これではメリハリも何もあったものではなく、やがて私もその店のバイトを辞めた。
この国では毎年二万人もの人が自らの命を絶っているのだという。不景気の時はそれが三万人もいたというのだから深刻な社会問題である。
その数は全世界で、テロや戦争によって死んでいく人の数を遥かに超えている。
生きたくても生きられなかった人々がいる一方で、自らの人生を自分で終えようとする人々がいる。理不尽な世の中だと思う。
だけど、こうして空虚な日常を過ごしているとよく分かる。
誰からも必要とされない自分。何も誇るべきものを持たない自分。何かをしなければならないのは分かっているのに、それができない。そしてそれが怖い。臆病で、みっともなくて、誰にも気づいてもらえない。誰にも影響を与えない自分。限りなく透明な自分。いてもいなくてもわからない自分。……いっそのこと、この世界から消えてしまいたい。
外では雨が降り出したようだった。
冷蔵庫の中は空っぽである。何かを食べるには外へ買い出しに出かけなければならない。
そういえば今日は朝から何も食べていない。だけど食欲がない。食べたくない。
そんな時、突然テーブルの上の携帯電話が鳴り出した。
テレビの電源も入っていない静かな室内では携帯電話の音はやけに大きく響く。
手にとって画面を覗き込む。そこに表示されていたのは、あの『住倉沙織』先輩の名前だった。
私は慌てて通話のボタンを押した。
『突然ごめんね。今、大丈夫だった?』
「大丈夫です。今日は何もない日なんで」
『何もない日? あ、バイトね?』
「はい。どうしたんですか?」
『実はちょっと知り合いからたくさん野菜をいただいてね。良かったら受け取って欲しいの』
「野菜ですか?」
『あ、嫌いだった?』
「いえ、そんなことはありませんよ」
『じゃあ、これから持っていっていい?』
「これから? こっちにですか?」
『そうそう』
「いや、もらうのは私なんだから、私がお邪魔しますよ」
『そう? でも、それじゃ何だか悪い気がする』
「別に悪くないですよ」
『ねぇ、今日ってもうご飯食べた?』
「いや、まだですけれど」
『そう。じゃあ、ウチでご飯しない?』
「先輩の家で、ですか」
『そうそう。しばらくぶりだから、ちょっと話したいし……ダメ?』
「いえ、とんでもないです。分かりました。今からお伺いします」
『ありがとう。それじゃあ、ご飯の支度して待ってるね』
予想外の電話だった。
でも、たった一本の電話で、今日という真っ白な一日に急に色が付いたような気がした。赤か黄色、もしかしたら野菜だけに緑? 自然と笑顔が生まれてくるのを感じる。
改めて今の自分の姿を見返してみる。ノーメイクにパジャマ姿。急がないと待たせてしまう。
立花咲はいそいそと外出の準備を始めた。
最初のコメントを投稿しよう!