15人が本棚に入れています
本棚に追加
第一話 制服の猫巫女 〜そのデーモンが、あまりにも強くて〜
──毎日同じ起床時間。
──毎日同じ登下校。
──毎日違う友達との会話。
──毎日違う親との会話。
そんな繰り返しの毎日を刻む事で、彼女の日常はありふれた物の枠に収められている。
特別な事はあまり無い、至って普通の学生と言えるだろう。ただ"一点"を除いては。
✳︎
丘陵地帯から成される姫浜という町での仕事を"あのお方"から任された私。
役目として任された以上は、絶対に果たさねばならないのが私の、"猫"としてのポリシーだ。
この街に迷い、欺き、そして蔓延る迷魂は必ず正しく、等しく空へと還さなければならない。
その為には私の"力"を引き出す為の猫巫女という"依代"を探し出さなくてはならない。
上から町を見下ろして、時には路地裏を巡り、猫巫女の適性者を探す。
時には野良猫から話を聞き、ここ最近の町の様子を聞いてまわったりもした。
そしてつい先日、ようやく一番適正のある依代が見つかった。珍しくいくつか時を浪費してしまったが、遂に猫巫女としての適性を持つ彼女を見つけることが出来た。
後は彼女に接触を試み、私の依代としなければ。
"送り迎え"を実行する日は近い。
✳︎
──いつも同じくらいの起床時間。
──準備でいつもギリギリになっちゃう登校時間。
──毎日同じようでいつも違う、延々出来ちゃう友達との話。
そんな毎日だけを重ねて、私の日常を彩っていたい。
特別な事なんてたまにで良い。私は今が一番楽しいって思えていたから。
登校までちょうど一時間前。
部屋の窓から朝を知らせる日差しが差し込む中、まずはいつもの時間に設定してある私の時計くんから目を覚ます。
ヂリリリと、私の頭上から部屋まで音が鳴っている。それを聞いて目覚めた私はもぞもぞと、布団から最小限の動きで時計くんの方へ手を伸ばして、小言混じりにその音を停止させた。
「⋯⋯目覚ましくんへ。もっと寝ていたいです⋯⋯小夏より⋯⋯うぐっ」
寝ぼけ眼のまま布団からの脱出を果たし、ずるりずるりと自分の部屋から出て階段を降り洗面台へ向かう。
置いてある櫛で髪を整えながら、肩まで伸びた私の髪をヘアゴムで一旦後ろに縛る。
歯磨きと洗顔を済ませ、スキンケアで顔を整えた後は部屋に戻り、制服をクローゼットから取り出して着替える。
メイク道具用のポーチの中身を展開し、顔目掛けて淡々と努力の結晶を積み上げていく。
中学三年からメイクというものに本腰を入れて以降、母親から、友達から習うようになった。一年経った今も軽く済ませる程度にしか出来ないがそれでも良い、隠せるものは隠したいのです。
既にコンビニでもメイク用品が購入出来るようになっていて、プチプラという流行りも生まれており、これは学生でいる間はずっとお世話になる事だろうとありがたみを感じながら、今日もメイクをササッと済ませる。
努力の結晶として塗りたくった後は、髪を左右二つに分けて、肩に当たらない所で括り肩の前に髪を下げて、いわゆるおさげの完成。後は前髪を整える為にアイロンとドライヤーを当てていく。
スタンドミラーの前に立ち、全身をチェックし自分の中でヨシ! と納得出来たら、朝食を食べにリビングへと移動する。朝食も済ませた後は、スマホで気になるニュース記事を片手間に確認する。
これが私の毎朝のルーティーン。
そんなこんなで登校の一時間前には必ず準備に入っているのにも関わらず、何故だか時間との戦いを繰り広げてしまう。
私はいつものように慌てて前髪や制服を整えて、鞄とスマホを手に取り、飛び込む勢いで階段を降り玄関まで駆けていく。靴べらをまるで槍で突撃する兵士のように持って勢いそのままに靴を履き、お母さんに挨拶をして扉を開けた。
「行ってきま〜す!」
しかし門扉に手を添えてすぐに違和感を感じ取り、学校へ向かう足を止めて、違和感の方へ目を向けた。
違和感の正体はすぐに分かった。
門扉から一メートルも無い塀の上で足を収めるように寝座り、耳をツンと立てながら尻尾を左右に振る灰色の小さな猫が、真っ直ぐな眼差しで私を見つめていたんだ。宝石のエメラルドグリーンのように綺麗な瞳が、目を向けた私を一瞬で虜にさせる。
「うわあ! 猫ちゃんだ! か、可愛い⋯⋯耳ピクピクしとる⋯⋯こんなん天使だろ⋯⋯」
添えていた手で門扉を開けながら、漏れ出る言葉と共に目を輝かせながら、猫の方へと近寄って失礼ながらまじまじと観察をする。
私が近寄ると香箱座りをしていた灰色の猫は起き上がり、屈伸をし始め、首に付けられた首輪の鈴を鳴らしながら真っ直ぐ座る姿勢へ移行すると、その宝石にも劣らない綺麗な瞳を丸くさせて、私を怪しむ事なくジッと見つめ始めた。
「⋯⋯か、かわぁ⋯⋯でも首輪があるってことは⋯⋯ご近所さんの子、だよね⋯⋯?」
もしかすると迷子になっていて、飼い主を探してこの辺までやって来たのかもしれない。そんな考えを張り巡らせている内に心配になり、鞄からスマホを取り出して、写真を納めようとした。
「ごめんね〜、じっとしててね⋯⋯」
スマホを猫のいる方へかざし、画面越しから視認しようとしたのだが、その一瞬の合間で猫は塀から姿を消していた。
咄嗟に周りを見渡すがどこにも居ない。あの一瞬の中、どこへ行ってしまったのだろうか。
「帰っちゃったのかな⋯⋯可愛かったけど心配⋯⋯あっやばい、早く学校!」
スマホをしまう時に時間を見てしまった。やばい、歩いていたら遅刻する。
猫の事は気になるがそれはそれと焦りながら駆け足で、私の通う神無咲高校への道を駆けていった。
✳︎
なんとか遅刻せずに済んで昼休みまで過ごせた私は、お弁当を片手に食堂へ向かい、四つ席の空いたラウンドテーブルを確保した後一人スマホを両手に、情報サイトを閲覧しながらまもなく来るであろう友達三人を待っていた。
「うぬぬ〜⋯⋯! 確か明後日の夜中から配信だったよねぇ......待ち遠しいなあ⋯⋯何しろ二年も待ってたんだからっ⋯⋯!」
「お、また何か唸っとるねぇこなっちゃ〜ん」
「西野さん、いつもありがとね⋯⋯席」
唸りながら頭に花を咲き散らす私の向かいからやってきた二人の友達は、予め確保していた席に腰を掛けながら、私に話しかけてきた。
スマホを伏せて、弄られる前にいつもの言い訳を並べ立てる。
「あ、ああ⋯⋯沙莉に綾乃⋯⋯! いや、えっと〜⋯⋯なんでもないの、本当に⋯⋯えっと、読んでた漫画の続きが気になっててね、あはは⋯⋯」
最初に陽気に声をかけたのは沙莉。
私とは別クラスの、ボーイッシュな見た目でひょうきんなオーラを纏った襟足の短い黒髪ショートの女の子。私と同じ坂多府出身だけど、私よりも方言の偏りが強い。隙あらば私に絡んでくる、非常に距離の詰め方が下手な子だと思う。
そして細く透き通った声で私に感謝の言葉を掛けてくれたのは綾乃。
沙莉と同じクラスで、ツインテールの眼鏡っ子。
沙莉とは正反対と言って良いくらい人見知りの性格で、時々髪の右側に編み込みが入っているのは沙莉が暇潰しでやっているみたいで、綾乃本人も寧ろ喜んで受け入れているそうだ。
趣味は読書とアニメで、沙莉から誘われて見た深夜アニメをきっかけに夢中になっていったらしい。今のイチオシはドラゴンがメイド姿の人間に変身して、ご主人の周りの悪を制裁するという内容のアニメ⋯⋯。とにかく私も知らないような作品ばかり鑑賞しているようで。
二人に最初に出会ったのは始業式の時で、私が校内で迷っていた所を二人が見つけてくれて、そこからクラスは違えど仲良くするようになった。
「綾乃、前にも言ったけど私の事は名前で呼んで良いんだよ? 確かに入学式からの友達だけど、もうすぐ二ヶ月も経つんだし、ね?」
「あ、うん⋯⋯ありがとう、こ、小夏ちゃ⋯⋯」
「なんや、めっちゃ幸せ見せつけてくるやん、好き⋯⋯。で、こなっちゃんのそれは、ホンマに漫画なんかぁ?」
「ま、漫画だよぅ⋯⋯! えっと、その、二年ぶりに、漫画の続きが読めるってニュースがあったから⋯⋯!」
咄嗟に辻褄の合いそうな言い訳を陳列してみたが、沙莉の顔は頬を緩めてにんまりとこちらを見つめてくる。完全に隠し事があるのはバレているのだろう。
しかし沙莉はその中身に踏み込む事はあまりない。そうして私の反応を楽しむ為にああして弄り倒して来るだけなのだ。実はその踏み込まないラインを超えないというのは、私にとってはありがたい事でもあるんだけど。
そうやって沙莉に弄ばれているともう一人、私の後ろから落ち着いた声と共に靴の音がコツコツと耳に入った。
「程々にしなさいね沙莉。小夏、隣座るね」
「紬先輩! こんにちは、どうぞどうぞ!」
優しく包むように声をかけながら私の隣に座ったのは、学年が一つ上の紬先輩。整えられた顔立ち、腰まで伸びた真っ直ぐな艶のある髪、性格は一言に冷静沈着。
そしてこの学校の風紀委員長を務めている。
出会いのきっかけは放課後、私が先生に提出物を渡そうと、先生の居る職員室へ入ろうとした手前で紬先輩にぶつかってしまった事が始まり。
そこで色々やりとりをして以降、先輩から私に声をかけてくれるようになり、昼休みには私の友達まで交流が出来て、気付けばこうして四人集まって、お昼ご飯を食べながら時間を過ごすようになった。
「紬パイセンは身長も高いし脚もスラッとしててめっちゃ羨ましいな〜。なあ、こなっちゃん?」
「う、うん、私ももう少し身長伸ばしたいかな⋯⋯」
紬先輩は確かに男子にも引けを取らないくらいで、胸もちゃんとあって羨ましい。私なんて身長も無ければ匍匐前進もスッとこなせるほどのちんまさである。
「⋯⋯。小夏は今がちょうど良いと思うわよ。いくら身体が大きくても、私自身そんなに得した事はないのよね」
「確かにその可愛いおさげにちんまい身体はウチも好っきゃわ〜。何より弄り甲斐があるしな〜、ニシシ」
なんなのかこの勝ち誇った顔は⋯⋯。
確かに沙莉は私の中でもトップに登り詰めるほどナチュラル美人だと思うし、身体もそれなりに、しっかりとつくものはついてるし、移動中一緒にいると男子からの視線をたくさん感じるけれども。
「ダメだよ沙莉⋯⋯あんまりこ、小夏ちゃんを責めないであげて⋯⋯」
「そうだぞ、私はもっと大きくなりたいの! 少なくとも沙莉よりは大きくなって見返してやるんだから」
沙莉だけは越えるべき壁なのだろうとこの時強く感じた。いつか紬先輩と肩を並べて歩いて、その勝ち誇った顔を崩してやりたい。
「はあ、もう身長の話は良いから食べるわよ皆」
「は〜い。⋯⋯こなっちゃん、今日も弁当の中身変えっこしようや」
「やだ。今日は私の好きなのばっかりだし」
「ケチやなあ〜ええやんかちょっとくらい。な〜綾乃?」
「え、えぇ⋯⋯」
「食べる時くらい話すのをやめなさい、沙莉」
「は、はい⋯⋯パイセンうるさいな、こなっちゃん、な?」
「うるさいのは沙莉やから⋯⋯後であげるから大人しくしてて⋯⋯」
「流石こなっちゃん⋯⋯!」
「もう⋯⋯」
こうして楽しい会話を送ることで、私の学校生活に色がついていく。
その後授業もそれとなく終わり放課後になった。
いつもと同じ、私は真っ直ぐ家に帰る。お昼休みに話した友達の中でも帰宅部は私だけなので、放課後はすれ違っても別れの挨拶だけを済ませて、一人家へと直行する。
この繰り返しの日常は、側から見ると何でもないようで、私をなんでもない枠に当て嵌めてくれている大事な歯車なんだ。
この歯車だけは卒業までずっと傍で在り続けて欲しい。そんな事をたまに思ったり、思わなかったり⋯⋯。
「⋯⋯課題を片付けて、それから夜は⋯⋯今日こそ⋯⋯絶対倒す⋯⋯」
「ほう、倒すとは⋯⋯?」
「え⋯⋯?」
しかしそんないつもの帰り道に突然何かに語りかけられた私は、歩く足を止めて、そっと背後を振り返る。でも、そこには人の姿はなかった。
確かに私の独り言を聞いた低い男の声が語りかけてきたはず⋯⋯すると直後にまた同じ声が私に語りかけてきた。
「西野小夏、齢十六にして猫巫女の適性がこの町で一番高いとは、中々の才であるな」
「また声が⋯⋯? あ、こっちから⋯⋯」
止まった場所から左にある公園の木陰、声と共に影が揺れ動いたのが視界にはいる。
「えっと。ど、どなたですか⋯⋯? なんで私を⋯⋯?」
そう言いながら、木陰から揺れる影へ身体を丸くさせ一歩一歩、恐怖や違和感を抱きながら、声のする方まで歩く。
すると影はまた一つ声を発して、私に向かって歩き出してきた。
「うむ⋯⋯ワシを手伝うに相応しい者が君ぐらいしか居なかったのでな。依代となって欲しいんじゃよ、猫巫女という名の、な⋯⋯?」
影は木陰から現れて、陽の光によって姿が照らし出される。
その姿は朝、登校前に見かけた一匹の猫の姿だった。そしてそんな猫が、私と同じ言葉を喋りながら、近寄って来たんだ。
「あ、ああっ⋯⋯! ね、猫が......! 猫が⋯⋯! 喋ってるっ⋯⋯!」
❇︎
あまりに非現実な出来事に目を疑い、手が小刻みに震えだす。私の事を、成人男性から発せられるような低い声が、木陰からてしてしと歩いて現れた猫から発しているのだから。
「大声を出しても構わんが、その場合君一人が心配されるだけじゃぞ。なにしろ相手は猫なのじゃからな」
身体を硬直させたまま、思い付く限りの考えを出そうと思考回路を張り巡らす。当然猫の言葉なんて頭には入ってこず、私は今この瞬間手を伸ばすだけで得られる結論を身にまとって、なんとか現実逃避することに。
「えっと、あれ⋯⋯?どこから、どこまで⋯⋯?」
喋る猫に知られている私の名前と年齢、聞いた事のない言葉、この三つを冷静に今噛み砕くならば、夢という他あり得ない。
私は小さく何処から何処までが夢であるかを口から漏らして考えていると、それを聞いていた猫は尻尾を揺らしながらそれに言葉を挟んできた。
「夢ではなく現実であるぞ。そしてお前は一度私と会っているはずじゃ」
世界の裏側に回ってしまったように思えてくる。声だけならまだ判断が付くが、声の主が猫である以上夢でしかこれはあり得ないはずなのに。だがこの猫は確かに言った、「夢ではない」と。
そうだ、今朝、目が合ったあの灰色の猫⋯⋯いや、でもどうして⋯⋯。
一番あり得た答えが否定されてしまった以上、とにかく思考という名の地球儀をこれでもかと回し続けるしかない。もう私にはこの事実を受け入れる以外の道は閉ざされているのだろう。
こういう予想外の展開になった場合には必ず自分の今いる状態を把握した上で壁を背にしてはいけないと、私の今積んでいるものから学んでいる。
しっかり自分を保たなきゃ。こういう時こそ、冷静に物事を処理しなきゃ。
「えっと〜⋯⋯その、猫巫女っていうのはなにで、私になにをさせたいの⋯⋯?」
猫は私の言葉を聞いた後、口をゆっくりと開いて答え始めた。
「ようやっと聞いてくれたな⋯⋯ワシがこの町で仕事をする上で、猫巫女と呼ばれるパートナーが必要なのじゃが、今回お前を猫巫女に選ばせてもらった訳なんじゃ」
「私が猫巫女⋯⋯? 全然分かんないし⋯⋯それに町に仕事って⋯⋯? 貴方以外にも変な猫がいるってこと?」
人間と同じ言葉を喋る猫に対して、今しがた向き合う覚悟を決めたはずだけど、今度は猫巫女がどうのと言われ心拍数が跳ね上がり、また動揺が隠せなくなった。
そういえば綾乃からイチオシされたアニメの中で、猫耳の巫女姿をした女の子が鉄球を振り回し世界を救うといったモノがあったような⋯⋯。
「うむ。各地に一匹ずつ仕事として町を担当しておるのだ。この姫浜町には全く縁が無かったのだが、今回この町に初めてワシ担当することになったのだ。ところで⋯⋯さっそく猫巫女として私の力を扱って貰いたいのじゃが、もう構わんかね? 契約を結んでほしいのじゃ」
「え、ええ? 契約って⋯⋯それに私まだやるなんて一言も⋯⋯」
「ワシの首輪にある鈴に手を添えて念じてくれればそれで猫巫女の契約が完了する。お前の言葉など待たぬよ、ほら。うりうり」
私の事など気にも止めず、彼は言葉を発しながら、その小さい灰色の身体を私の足へ擦り寄せて契約を促す。
正直めちゃくちゃ可愛い。そんな反則的な行動で、私はつい答えてしまいそうになる。
不思議とはいえ、怪しいとはいえ相手は猫だ。大それた事にはならないだろうと一瞬は考えてしまう。これが大人だったら話は変わってくるだろう、反対を向いて全力ダッシュしてたに違いない。
「せ、せめてその仕事⋯⋯? 内容とか、教えてよ⋯⋯別に簡単な手伝いとかだったら⋯⋯まあ、無くは⋯⋯」
猫は少し驚いた顔で私を見上げて、淡々と説明をし始めた。
「おおっと、そうであったな。お前の言う通り内容は簡単じゃ。迷魂の探査と、その送り迎えをしてくれればそれで良いんじゃ」
⋯⋯んん?
猫が口を開く度に、聞いたこともない言葉を出してくるものだから、私の頭の中でクエスチョンマークが宙を舞う。とても一回では整理出来ない事だらけで、目が回ってしまいそうになる。
「めいこんの、たんさ⋯⋯? おくりむかえ?」
「うむ。世界にはあらゆる生物の、目にはとらえることの出来ぬ霊的存在がいて、基本的には生物の死後、命は魂となり空へ還るのじゃが⋯⋯空へ還る事なく、現世へ留まったまま、彷徨ってしまっている魂の事を迷魂というのじゃ」
「アニメの中の話みたい⋯⋯え、えっと......つまりその彷徨った魂に、私を使ってなんとかするって、事?」
猫はにっこり笑って、片手を上げて答えた。
「大正解じゃ。この町の迷魂を全て空へ還す為に、私の力をお前の身体を通して使わなければ、この仕事は成立しないのじゃ。さあ、なので猫巫女契約を」
「で、でも⋯⋯私は⋯⋯」
当たり前の日常が、今この瞬間崩れようとしている。それは猫の話を聞いている時に何となく察していた。
そして彼の言葉と愛らしい見た目とスキンシップに惑わされ、ほんの少しでも手伝ってあげたくなったのが運の尽きだったかもしれない。しかし途中で冷静になった私だ。
「⋯⋯うんうんとうるさい奴じゃの〜⋯⋯ほれっ」
答えはもちろんノーだ。よし断ろう。
しかしそれを口にしようとした手前、猫は私の右手へ飛び掛かって首輪の鈴を接触させ、それはそれはあっさりと契約を結ばれてしまった。軽い口調で猫は口を開く。
「あっ⋯⋯」
「お前の言葉は待たんと言ったはずじゃ。なに、仕事に期限やノルマは一切設けられていないし、放課後に猫巫女としての役目を果たしてくれればワシらは良いんじゃよ」
いや違う。そういうことじゃなくて。
沸々と不審な感情から怒りが込み上げてきた。私にも私の事情はあるはずなのに、なんやこの理不尽な猫は。
「な、なんでそんなに気楽なの! 私はこのまま家に帰って、色々やる事あるのに!」
「よし、ではこのまま町がある程度見えるとこまでいくぞ、そこでまず探査を始める。ほら、お前さんの肩を借りるぞ」
「全然話聞いてへんし!」
言葉を交わす前に契約されてしまった事に腹がたって、思わず多用しない関西弁と共に感情が漏れ出てしまった。
右肩にもふっと乗っかられ、指示されるがまま、町をある程度見下ろせる場所まで向かう事になった。
まあここからなら少し登った坂の所が良いかな⋯⋯ってなんで乗っかってるんだ私も⋯⋯。
✳︎
「はあ⋯⋯着いたよ。ここでどう?」
私の肩から一度地面に降りた猫は、私の顔を見つめながら猫は口を開いた。
腹だたしいけど顔が可愛いから許してしまうのだろうか⋯⋯。もうよく分からなくなってきた。
「ふむ。今回探すのは簡単なやつじゃしな、この辺からでも余裕じゃろう」
私は目の色を失いながら、次の指示を静かに待つ。もうここまで来たらこの猫に最後まで付き合うしかないだろう。
「じゃあ、ここから探査って奴するんでしょ。どうするの⋯⋯」
「ふっふっふ。それはな⋯⋯こうするんじゃ!」
すると猫は私の背後へ回り、後頭部目掛けて飛び込んできた。ぴったりと私の頭にしがみつき、足を肩に固定した。
「ええ!?」
ちょうど肩車をするような姿勢となり、私の額に両手の肉球をぷにっと当てられた。
「これが猫巫女の基本スタイルじゃ。さあ力を流すぞ小夏よ!」
⋯⋯思てたんとちゃう。
どんな超能力的なものを与えられるかと想像していたのだが、こんなのはただの猫に愛されすぎた飼い主そのものであり、一度は夢見る憧れの形だ。思てたんとちゃう。
私の予想では猫耳が生えて、巫女の衣装が突然身を包んで⋯⋯いやいや、期待はしてなかったけど猫巫女なんて言葉を聞いたらそういうものかと思うし。しかしそんな私を猫は待ってくれるはずもなく、渋々身を引き締めて受け入れる事にした。ああ、肉球の感触は気持ちいいのに、こんなにも変な感情に包まれるなんて。
「やわらか⋯⋯いやいや、もう、ここまできたらだよね⋯⋯。よし、や、やってみて⋯⋯!」
「よしいくぞ、第一式、天眼じゃ⋯⋯!」
猫がなにやらまた知らない言葉を口にしたと同時、私の眼の中に一瞬星の模様みたいなものが浮かび上がったように思えたが、それ以外は特に何も起こっていない。
「⋯⋯星が見えたけど、なんにもなってなくない?」
「町をよく見てみろ、青く揺れ動く反応が見えてくるはずじゃ」
そんなものがあったら普通に大事だけど⋯⋯。
猫の言われるがままに町を眺める。
すると確かに町の向こうの方で、青く小さく揺れ動く炎のようなものが建物の近くに居るのが確認出来た。
私は少し興奮気味で、猫にそれを報告する。
「おお、おお! なんか見える! なんか揺れてるよ! あれが迷魂? えっと、あ、あれ? おおっ⋯⋯!」
その迷魂の揺れ動く場所へ目を凝らすと、視界が一気にその場所の近くまで縮まった。
身体がワープしたとかではなく、眼前に写る視界のみが、そこへ移動している。
「ここ、そんなに遠くない所の書店だ⋯⋯私の家から自転車で五分くらいのとこ」
「なるほど。なら早速自転車に乗って、その書店へ向かうぞ」
「う、うん⋯⋯」
もう変な力を使わされた以上どうにでもなれだ。事が終わるまで素直にこの猫の指示に従おう。
今日はもうそういう一日なのだと腹を括り、私は自転車を取りに肩に猫を乗せたまま家まで帰った。
✳︎
「ただいまー、お母さんちょっと急用があるから、このまま自転車使うね」
帰宅するや否や私は鞄を置いて、自室から自転車の鍵を取り出してそのまますぐ家を後にした。
「うん、それは良いけど、小夏? あんた⋯⋯」
そんな私にお母さんは声をかけてきて、玄関で足が止まる。
「うん〜?」
「おでこ、なんか跡付いてるわよ?」
「はっ⋯⋯!」
出かける前に洗面台で顔を洗った。
✳︎
猫を肩に乗せながら自転車を五分ほど走らせて、迷魂が居たであろう書店の近くへと着いた。自転車を降ろして、周りを見渡す。
「ここでそのテンガンってのは使えないの?」と私。
「⋯⋯あまり使い過ぎると腹が減る。それに、力を使わずともここまで近ければワシになら分かる。この店のすぐ隣じゃな」
その小ぢんまりとした書店の隣にはなにもなく、真ん中には看板で売地、と書かれているだけだった。
「特になんにも⋯⋯あ、青いのが⋯⋯」
天眼を受けた影響が残っているのか、私の目にも薄らと、その青く丸いサッカーボールほどの大きさの迷魂が、売地となった場所の隅でゆらゆらと漂っているのが確認出来た。
「あれを還すんだよね⋯⋯?」
「うむ。ただ迷魂を還すには、空から伸びた管に近い神社まで案内せねばならん。その為に一旦ワシの鈴へ内包するのじゃ」
「なるほど⋯⋯?」
猫はそういうと、私の肩から頭の上へ移動した。
「では第二式、お迎えじゃ。迷魂に向かって手を振ってみろ。安心していい、青色は襲うようなやつではない」
「分かった⋯⋯や、やってみる⋯⋯」
私は周囲に人がいないか確認し、恥じらいを感じながらも売地にいる迷魂に向かってを手を振った。
すると迷魂から光が微かに溢れ出して、徐々に吸い込まれる形で猫の鈴へと内包されていった。
「これで終わりじゃ。後は神社へ向かうぞ小夏よ。最後はそこで送り出すだけじゃ」
「うん⋯⋯」
「? どうしたのだ」
「あの迷魂、迷子っていうよりは、なにか理由があってあそこにいたように思うんだけど⋯⋯」
「そうとは限らんぞ。ただただ迷子になってしまっただけの奴が大半じゃし。⋯⋯それに理由を知ったところで、ワシたちにはどうにも出来んじゃろ。さ、神社へ向かうぞ」
「分かった⋯⋯」
死人に口無し。もし今迎え入れた迷魂が生前に悪事を働いていた者だとしても、今を生きている私にはそれらに干渉する必要は無いのだろう。
そんな事を考えながら、私は町の神社まで自転車を走らせた。
私の住むこの姫浜町は丘陵地帯にあって、山の手へ住宅が広がっていて、私の家や学校は比較的町の中心に位置している。そして上の高台には駅があり、遠くへ移動する場合には必ずその駅を利用する。
そして駅に向かう途中の砂利道に曲がった所にあるのが、この町唯一の鬼月神社だ。
「何で神社からじゃないと迷魂は送れないの?」
「天眼を使用した際空は見なかったのか? 空から透明の管の道が、町の神社へと降りているからじゃ」
「神社にしか繋がってないなんて、迷子になるのもちょっと分かるかも」
「ところで、やけにすんなり私を受け入れてくれているが、考えでも変わったのか?」
「ちょっとだけね⋯⋯分からない事の連続は、多分人より慣れる自信があるから」
「それは独り言で発していた倒すという所に繋がっておるのか?」
「⋯⋯ま、まあね。早く迷魂、送ろうよ」
神社に入る必要はないようで、鳥居の近くで止まり、猫は天眼を使用した時と同様に私の頭を後ろから抱きしめ、再び額に肉球を当てた。
「これが第三式、送り還しじゃ」
猫の鈴が小さく青く光り出し、鈴から出た迷魂がゆっくりと管を通って、空へと昇っていった。
「ふむ。これでワシたちの役目はしまいじゃ。家に帰って良いぞ⋯⋯ん? お前⋯⋯そうか、見てしまったか。あの迷魂の記憶を」
「私⋯⋯これ、続けてみたい。迷魂の、あの子の記憶に触れた時、思ったんだ。あんな思いを抱えながら彷徨ってるんだったら、私が全部還してあげたいって⋯⋯勝手な事だけどさ、そう思ったの」
「そうか⋯⋯まあ、いい心構えじゃな」
空へと還る魂と共に、私はその迷魂に刻まれた記憶を断片的に覗いてしまった。多くは語らない。多くは考えない。
幸せな日常。
絵本の読み聞かせ。
雨の日に転けた帰り道。
おばちゃんから貰った絵本。
交通事故。
お母さんに読んで欲しかった、最後の絵本。
「受け入れて、前に進むしかないよね。多分そうやって、猫巫女はやっていくんだよね」
「ああ、しかし記憶に左右される事はないぞ。さあ、お前さんも早く家へ帰るんじゃ。また会う時に猫巫女として活動してもらうからな」
「うん⋯⋯じゃあ行こう、私の家」
「⋯⋯え?」
✳︎
「まあ猫くらい良いだろう、でも世話は小夏がやるんだぞ」
「調べたんだけど、ロシアンブルーって種類みたい!まだ小さくて可愛いわねえ〜。目も宝石みたい!エメラルドグリーンって奴よね!」
「首輪をもう着けてるとは用意周到だな小夏は! 名前も考えてるのか? おいおい母さん凄いぞ小夏の行動力!」
✳︎
「何故だ⋯⋯」
「ん〜?」
ロシアンブルーでエメラルドグリーンな瞳の私に向かって、小夏は少々気持ちの悪い微笑みをこちらに向けた。
「ワシは飼い慣らされる為に来たのではないし、猫巫女の元で世話になるなど⋯⋯おい、聞いておるのか」
「ちょっと黙ってて⋯⋯ぬああ〜ん! やっぱり倒せないよ〜」
画面を凝視しながらがちゃがちゃと、両手に収まる黒い物体を動かしながら小夏は両手を上げ、背中に置いてあるクッションにそのまま倒れかかった。
「倒すとはまさかゲームの中の敵だったとはの」
「そうだよ、これが私の、唯一誰にも明かしてない趣味なのさ」
小夏の両親もそうだがワシよりマイペースな所があるのではないかと溜息をつかざるをえない。
そして一番気にかかる首輪に書かれたこの名前。小夏命名だそうだが、ワシには本名がちゃんとあるというのに、なんだというのか。
「ラオシャ⋯⋯これからはそう呼ぶからね」
「お前が倒せない敵の名前をそのまま取ってきただけではないのか⋯⋯」
「そ、それは別タイトル!今やってるのはもっと強いんだよ⋯⋯!橋の上で戦わなくちゃいけないのが厄介なのに、しかも時間が経つと同じのがもう一匹やってくるの! あ、ゲームのタイトルはちなみにデーモンファンタジスタっていってね、デモファンって略称なんだけど──」
「友達でも誘って協力すればいいだろう」と、小夏の小さな地雷を綺麗に踏み抜いてしまったらしく。
小夏は画面を動かしている黒い物体を静かに置くと、早口でワシを捲し立ててきた。
「ゲームは独りでコツコツと細々と磨きあげることこそが良いんだよラオシャ? 友達はそこに介入しなくてもいいの。オンライン推奨だろうと独りで強さを積み上げるそれが真髄であり本当の意味での強さなの。ラオシャはそういうの分かってない、今理解して今すぐ、今。吸うよ」
はぁ⋯⋯。
利用するだけの関係のはずが、とんでもない奴をパートナーに選んでしまったな。
猫巫女として最後まで仕事を果たせそうではあるが、色々と振り回されるであろうことは間違いない。
そして深夜からゲームの最新情報を配信する動画を一緒に見るとは、この時予想もしていなかった⋯⋯。
ああ、ワシ受け入れるべきは受け入れることにする。
小夏とは長い付き合いになりそうじゃな。
最初のコメントを投稿しよう!