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<形見/MEMENTO>
「はい、ただいま、っと」
ようやく家に到着した。
時刻は8時10分前。いつもなら夕飯を作っている時間帯だが、結構時間が掛かってしまったようだ。普段なら駅から三十分ぐらいで到着するのに、荷物のせいもあってか、些かゆっくり歩きすぎたかな。
「宗次郎は、まだ帰ってきてないか……」
家の中は未だ真っ暗で人気が無かった。たぶんそろそろ帰ってくるころだと思うが、それまでに夕飯の支度をしておこう。
***
「――今日も終わるの遅かったなぁ〜」
すでに日は暮れ、寒空の下、部活で疲れた身体にムチを打ち家路を急いだ。
「おお、月が朱い」
お山の頂点に月が昇っていた。少し頭が欠けてはいるが、綺麗な色をしている。しかも今は雲がまったくない。月から少し離れた所にはたくさんの星たちがチカチカと煌いている。
「――!?」
なんか今ものすんごく見られた気がする。てか今も視線を感じる。なんだろうこの感じ、気持ち悪い。もしかしてストーカーという奴? このボクに?
――んなわきゃないね。だってボク男だし。スカートなんてはいてないし、ましてや制服だからどう見ても男でしょ。ありえないありえない。
「いてっ!」
首筋を何かに刺された。思わず振り払って見上げると一匹の虫が飛んでいるのが見える。
「うわ、蜂かな? あぶなっ、前に刺されてたら何たらキシーとか言うヤツで死んじゃってたよ。今度から気をつけよ」
首を押さえて少し後ずさりすると蜂らしき虫は何処かへ飛んでいった。刺し傷を軽く擦ってみたが、どうやら腫れてはいないようだ。
「ふぅ、お山も目の前に付いたし、もう少しがんばるか」
今日は胴着は部室に置いてきてるからまだ楽だ。傷は家に帰ってゆっくり見てみよう。
***
少年が坂道に上ろうとしているところを二つの影が見ていた。
遥か上空からの視線。少年は視線には気付いた。だが気のせいとして片付けてしまった。
「ふふん。やっぱりあの子みたいだね」
「あれに気付くとは。なかなかどうして、これが本物というわけか」
二つの影は風に揺らぐフードを下ろした。一人は大柄な男。一人は華奢な少女。
「"達成度"が低いとはいえ、あの程度の警戒心ってことは完全に鈍ってるね、あの子」
「しかし、今晩は時期が良くないと思うのだが。後数日待てば満月だ。満月になれば計画も円滑に進むのではないか?」
男の外見はかなりの筋肉質だった。二人の着こなしているのは法衣のような形状をした服だが、その上からでもわかるぐらい男の身体は鍛え上げられている。白髪に近い灰色の髪は耳が隠れないほどの長さで適当に切りそろえられ、額には不自然な切れ込みがあった。
「ふふん。実のところね、ボクとしてはあまり計画が円滑に進んでほしくないんだよ」
「……何だと?」
男の傍らで佇んでいる少女は唯々笑っていた。
短い前髪とは不揃いなほど長い後ろ髪。夜に解けてしまいそうなほどの黒髪だ。顔の左側には不自然なほど大きな眼帯がしてある。傍らの男のあからさまな不機嫌な声にも、臆することなく言葉を続けた。
「なにごとにもイレギュラーな出来事ってやつがあるからね。計画が進行できなくなるほどだったらマズいけど、少しは予期せぬ出来事を見てみたいのもあるわけ。完璧な状態でやっちゃったらつまんないでしょ。結果見えてるもん」
「それでいいではないか。何を贅沢な事を言っている」
「い〜や〜だ!! そんなのホントつまんない。ボクと組んだことを後悔するんだね。まぁあまり堅くならないでよ、気楽に行こうよ」
「普通の奴らならここで離反者として抹殺してるがな」
「恐いなぁ〜、怒んないでよね」
「だがお前の実力は認めるさ。あのお方から直属の命だしな、ワタシの独断で切り捨てる訳にもいかんだろう」
「そうそう。気軽にやろうよ」
「ふん。少しでも問題があると分かればすぐに切り落とさせてもらおう。
――では、今晩計画を実行に移そう」
「ふふん。ご期待に添えられるようにするよ」
二つの影が空から消える。誰もいない夜空に二つの影が蔓延る。
今宵の闇を、二つの影がより深く染め出した。
***
柱時計の秒針が低い音で木霊する。
「珍しく遅いな……」
夕飯の支度が終わる頃には、時計の針は八時半を指していた。
「ただいまぁ」
そんな矢先に宗次郎が帰ってきた。
「おかえり、宗次郎。ちょうど夕飯出来たところなんだけど、すぐ食べる?」
宗次郎は疲れた様子で居間に入ってきた。
「早いね、もうご飯出来てるんだ」
「そうでもないよ。もう八時半過ぎてるし、いつもより一時間位遅いぐらい」
それもそうだ、なんて相づちをして宗次郎は席に着いた。
三十分も過ぎたあたりで二人とも食事を終えて片付けに入った。
「私が皿洗っとくから宗次郎はお風呂入っておいで。部活終わりだから疲れてるでしょ」
「え、いいの? 皿ぐらいボクが洗うのに」
「大会も近いんだから早くお風呂にでも入って休みなさい」
「わかった。ありがとう、ねぇちゃん」
宗次郎は鞄を持って、風呂の準備をしに自室に戻っていった。さて、私も適当に片付けを終わらせて部屋に戻ろう。
///
夕食の片付けと、翌朝の朝食の準備を軽く終え、時刻は1時間ほど経っていた。
自室に戻ろうと居間を立ち去ろうとした時、視界の端に見慣れないものがあることに気付いた。
「あれ。これって、確か――」
居間の端にある小さな棚の上に、隠れるように置かれたものを持ち上げる。
それは、以前夏喜の部屋で見かけたことのある、黒表紙にきれいな金の刺繍でタイトルの書かれた、ハードカバーの本であった。以前居間を掃除したときには見かけなかったが、なぜここにあるのだろうか。
「なんて読むんだろう」
その文字は日本語でも英語でもなかった。私が今まで見たことのないような文字が並んでいる。ハングル文字でもなければ、文字を右側から読むようなアラビア文字でもない。だが、その文字の形状はどこか英語のアルファベットに似ている。
「あっ、何か挟まってる」
本の下部分には一つの紙が挟まっていた。その紙を取ってみると文章が書かれている。これは――夏喜の字だ。
『イシ ヲ テバナ すナ。サイヤク は ソコ まで キてる』
これはどういう意味だろう。
【イシ】とは? 石? 意志? 医師?
【テバナすナ】は、手放すな、だろうか。
【サイヤク】ってなんのことだろう。【ヤ】だけが【ア】や【マ】にも読める。災厄? 最悪?
どちらにしてもいい意味ではなさそうだ。
疑問に思う言葉だらけに、これは何を意図して書かれたのだろうか。紙が挟まっていた本を手に取る。本の手触りはザラザラとしていて、艶はない。金色で書かれたタイトル部分だけが、照明の光でキラキラと光る。
表紙をめくると、そこには赤と青の星が二つ書かれているだけだった。残りのページはところどころ汚れてはいたが、そのほとんどは白紙。
最初のページに戻り、赤と青の星を見る。一筆書きで書かれた星のシンメトリーはただ静かにそこにあるだけだった。
「結局、これは何なんだろうか……」
これで夏喜は何を遺したかったのだろうか。二つの星。赤と青。シンメトリー。これらの共通点はそれくらいだろう。ここから誰に何を遺したかったのか。その意図を読み取ることは私にはできなかった。
「まあいいや。明日にでも夏喜の部屋に戻しておこう」
ここに放置するのも忍びないので、とりあえずは私の部屋に置いておこう。
///
部屋に戻り、カバンから破損したペンダントを取り出して机に置く。
「――考えてみたら変な物見つけちゃったな。ペンダントも直さないといけないのに、ちょっと仕事が増えたというか、ホント、夏喜もやっちゃってくれるよね」
愚痴をこぼしながらペンダントのそばに転がっている宝石を手に取る。
「もしかして、【イシ】って、この宝石のことなのかな?」
ペンダントと宝石を繋いでいた金具部分をまじまじと見る。金具はきれいに折れ曲がり、素人が工具を使ったところで直りそうにない。
「自分でするより修理に出したほうがいいのかな」
工具自体は安物で揃えたが、見れば見るほど直せる気がしない。宝石を机の上に戻し、ついでにと手にしていた黒表紙の本も机の上に置いた。
「やっぱり、壊れちゃうと寂しいな。せっかくの形見だったのに、大事にしなくちゃいけなかったのに」
形見としての認識は、小さい頃から夏喜の首から掛けていたのを覚えていたからだ。
夏喜が飛行機事故で行方不明とされてすでに三年。今となってはもう亡くなっているだろうと判断された事故で捜査も終了している。
行方不明者は通常七年、生死が明らかでない場合に認定死亡となるが、夏喜の場合は海上での飛行機墜落による安否不明だ。これはすでに特別失踪で、一年経過で死亡扱いだ。
事故の原因などは未だ不明だそうだが、全乗員乗客百人あまりが太平洋の真ん中で消えた。
その中で五名の行方不明者を出し、夏喜はその中の一人だった。その後三名の遺体は漂流していた飛行機の残骸と一緒に発見されたが夏喜と他の一人は発見される事はなかった。
あの時、夏喜が家から出るとき、嫌な予感がしたのをよく覚えている。
その日だけ、夏喜はペンダントを首から掛けていなかった。ペンダントは宗次郎が持っていて、夏喜から手紙を渡されていた。
夏喜が消息を絶った後にわかったことだが、その手紙の中に遺品として、それらのペンダントを私たちが持っておけ、と書かれていたらしい。
あの日、夏喜がなぜペンダントを掛けていなかったのかはわからない。今までの幸運が、ペンダントを手放したことによりすべての不幸が降り注いだかのようなタイミングでの事故。
あの時、一言でもいいから夏喜に声をかけておけばよかったとペンダントを見てよく思い出していた。
――それが、私の中三の年が明けてしばらくした頃の思い出だ。
「まあ、なにか声をかけたところで、きっと後悔してたんだろうな……」
そう。あの場で何か声をかければよかったと後悔しているが、あの日に夏喜が死ぬなんて誰が想像できるだろうか。
「……あれ? 何か書いてる」
その時、宝石とチェーンを繋いでいる土台を触って何か文字が書いていることに気付いた。
「これは、英語――かな? 今まで気付かなかった」
直径二センチもない土台を一周するように英語で文字が彫られていた。今まではただの模様だと思っていて見落としていたのだろう。
「『DE――CARA――BI――A S――TREN――GTH TEM――PERA――NCE』、? よくわからないなぁ、どういう意味だろう」
あまり聞いた事のないような単語が三つ並んでいる。
『Decarabia』。『Strength』。『Temperance』。
意味は全くもってわからず、想像することもできない。この単語同士の繋がりも想像できなかった。夏喜の事だ、なにかしらこの単語にも意味があるのだろう。
「あまり深く考えてもわかりそうにないな。明日、夏喜の部屋でも掃除してみるかな。なにか参考になるものありそうだし」
今日は考え事ばかりしていたから少し疲れた。まだ時間は早いが今日はこのまま休もう。机の上にペンダントを戻し、電気を消してベッドに入った。
――いままでの日常が、とても懐かしく思えた最後の日だったことを、よく覚えている。
_go to next day. "UNDERGROUND"
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