大正浪漫ロマン

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先生がお亡くなりになって一年が経ち、一回忌を無事に終えて春がやって来ました。 お庭の桜が見頃です。 抜けるような青空を見ていたら、小さな優しい手が、わたくしの指を掴みます。 ひらひらと花弁が舞い散る中、背の高い桜の妖精が颯爽と歩いて来て仰いました。 「桜雨、もう本屋には一冊も並んでないのよ?一年経ってもこの人気ぶりだもの。やっぱり先生は一流だわね」 額の汗を拭きながら菊雄さんは 「でも、菊ちゃんは良かったの?先生の遺作を世に出してしまって。本当は、菊ちゃんだけの胸にしまっておきたい想い出だったのでしょう?」 と、縁側に腰かけました。 わたくしは冷たい御茶をグラスに注いで菊雄さんに渡しました。 「先生の作品は書いたその瞬間から、世の中の人のための作品になっているのだもの。翠明先生は一流作家として生まれて、そして一流作家として亡くなられた。それがすべてです」 グラスの御茶を勢いよく飲み干した菊雄さんは、わたくしの隣で乳母車に乗っている小さな妖精を抱きあげて 「そうよね。先生は菊ちゃんに、こーんなに可愛いらしい置き土産を残していって下さったんだものね。ねぇ、さくら?」 と、高い高いをしてあげています。 まだ小さなさくらは、キャッキャッと喜んで手足をバタバタ動かしました。 「さくらはどんな女性になるのかしら?ねぇ、先生?」 菊雄さんはさくらを抱き、満開の桜の木に話しかけます。 ひらひらと舞う花弁を、その小さな手が掴みました。 そして、手のひらを開いて見せます。 すると風が吹きました。 「あ・・・・」 さくらの手のひらから飛び立った花弁が宙を舞い、わたくしの頭に乗り、ゆっくりと髪の上を滑って落ちました。 一瞬、頭を撫でられたように感じました。 先生が、そこに立っているかのような。 「今日は皆でお花見よ、さくら!楽しみねぇ」 と菊雄さんがはしゃいでいます。 わたくしは心の中で先生に語りかけました。 今日は先生が楽しみにしていらっしゃったお花見の日です。 朝から先生のお好きな料理ばかりを作ってしまいました。 先生、とりあえず、熱燗をお持ちしますか? それとも、また歌でも歌いましょうか? 先生。 今年の桜も、きれいですね。 了
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