大正浪漫ロマン

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桜の降る庭先で、今日も彼女の背中を見ていた。 こうして、目をあげるとすぐそこに彼女がいる事が当たり前となって半月近くになる。 初めて彼女を見たあの日。 わたしは桜の精霊でも庭先にやって来たのかと思うほどの衝撃を受けたのだ。 畳の目に沿い両手をついた彼女の艶やかな黒髪には一片の薄紅色の花弁がひっついていて、まるで彼女に触れなさいと言われているようで、年甲斐もなく胸が高鳴ったのを未だ覚えている。 男というのは幾つになっても子供であり、滑稽で、度胸がない。 ましてや、大人になればなるほど、世間に認知されればされるほどに、スマートさや紳士さ、懐の大きさを求められてしまうのだから 罪も深い。 寄りによって聞けば彼女はわたしの娘といっても可笑しくないほどに歳が離れているのだ。 わたしは一人笑った。 娘ほどに離れた歳の女に、どうしてこのように胸が高鳴るのか、と。 わたしのために茶を淹れ、炊事全般やってくれているその白く細い指に、血の滲んだような痕や、アカギレを見るたび、何度、彼女を抱きしめたい衝動を抑えたかしれない。 彼女のその柔らかく優しい声を聴くたびに、疲れたわたしの渇いた心に慈雨が降り、たちまちに満たされ、嘘のようにまた仕事に励むことができた。 彼女はわたしにとって魔法使いか何かなのか。 わたしは彼女の魔法にかかったまま、この命を終えても悔いが無いと思うほどに彼女を愛しはじめていた。
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