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4章:最低最悪な一日
結局その夜は眠れなかった。もう寝るのは諦めて、次の日の朝、5時前に家を出る。こそこそと玄関ホールを通ってみたが、さすがにこの時間は他の住人、おもにあの変態と出会うこともなかった。
「さすがにこの時間は遭遇しないわね」
ほっと胸をなでおろす。会社に行ってももちろん一番の出社で、仕方ないので、私は総務課の掃除や溜まっていた雑務をこなしていた。
って、なんで私がこんなに苦労しなきゃいけないのよ…。そうは思うが、これまでずっとそうだった。だから、もう慣れてる。私はいつだって、こうやって、変態から逃げながらしか生活できない。
しかも今回はあの変態、もとい、副社長は私が人の心を読めるということまで掴んだ。これからどうなるのか怖い。やっぱり私は、普通の女子が送るような、まともな生活なんて送れるはずはないのだ。あぁ、やだ、泣きそう。
みんなが出社し始めて、会社の中に活気が出る。私はほっとしていた。結局副社長は私の前に現れなかった。いつ現れるのかと戦々恐々としていたのだ。なんだかんだ言って、副社長だ。すごく忙しい人だと耳にしたこともある。昨日・一昨日が珍しかっただけで、普段は遭遇しないはずだ。このまま静かに一日が終わってほしい…そう願って、廊下を歩いているとき、
「あ、菜々ちゃぁん」
と甘ったるい声が聞こえる。
「へ?」
―――姫野さんだ!
ふと思い出した。昨晩のこと。副社長は、姫野さんに私とのこと誤解させるようなことをいって、姫野さんを追っ払ったのだ。彼はいいんだろうけど、私には迷惑この上ない話だ。
姫野さんの顔を見ると、
(どうせあんたから副社長にくっついていってるんでしょう)
と、とんでもない誤解を抱えていた。
―――そんなわけ、あるかー!
私は被害者だ。勝手に巻き込まれた。あれは完璧に副社長が悪い。そうは思うのだけれど、相手は弁解の余地も与えてくれないし、たぶんこういうことを言えば、相手は余計に怒りを覚えるだろう。しかも副社長を奪った(らしい)女は、黒縁めがねの短髪で、常に安いパンツスーツに身を包む完全にイケてない女子だということは相手のプライドをズタボロにしただろう。
悩んでいると、姫野さんは、フロアのエレベータ前の床を指さす。
「これ、ここ、汚れてて汚いから、きれいに掃除しておいて。お客様が来るの。急な掃除は総務の仕事でしょう?」
そう言われてみてみると、確かに、そこはコーヒーのようなもので汚れていた。絨毯のような素材なので、汚れが取れにくく、非常に目立つ。
基本的には清掃員が掃除をしてくれるのだが、急を要するときは総務の人間が掃除するのは通例だ。とくに新入社員とくれば、それは引き受けるべきだ。私はそう思い、わかった、やっとくね、と頷いた。
そのとき、姫野さんは自分が持っていた、有名コーヒーショップのカップをまっすぐ下に向けると、ドボドボとソレを床にぶちまけ始めた。そしてその後、コーヒーカップを床に捨てる。
―――ええええ!
と思ったその時、
「あ、ごめ~ん。ついでだから、それも捨てといて」
(マジ消えろ)
そう言って、姫野さんは颯爽と去っていった。
「……」
こういうイジメみたいなのは別にいい。でも、心の声が本当に悪意をもって私に向けられていたのは、結構辛い。
っていうか姫野さん…。あなたドMではなかったんですか…。
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