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副社長の車は黒塗りのリムジンで、非常に驚いたがすぐに納得した。そりゃそうか、最大手IT関連広告会社の副社長様だったともう一度認識を改める。昨晩から、中身が残念なイケメンとしか思っていなかった。
とりあえず、私は、右側に座る副社長から極力一番遠い場所、つまりは、左側のドアにべったりくっついて座っていたのだった。
車が走り出した時、
「あのさ、昨日のこと」
と副社長が口を開く。私は、最後まで聞かずに、
「すみませんでした! 私酔ってたみたいで何があったかさっぱり!」
と頭を下げる。とにかく謝るしかない。怒っているだろうし…。そう思ったのだ。
しかし、副社長は、
「あのね、もし誰かが僕とのことを誤解されるように話しているなら、それがだれか知りたいんだ。一応、立場もあるしね」
と笑った。私は思わず息が止まる。だって、副社長の胸の内は、
(口外するなんて誰かなぁ? ちゃんとオシオキしないと)
なんて、超絶アブナイものだったから。
っていうかさ、確実に特定できてないじゃん! そういうお相手何人いるのよ!?
と思ったけど、知りたくない知りたくない、絶対知りたくない! と思い直した。
「いえ、私は酔ってただけです。本当に失礼しました」
「うそ」
(だって目が泳いでる)
ひっ! とまた、声が出そうになる。自分の嘘は下手でしたか! 知らなかったわ! そして今、副社長の心の声から知りたくなかったわ! いやだ、泣きそう。
「本当に誰かにそういう事聞いたわけじゃないです! なんとなく!」
「うーん」
(僕もそう思うんだけどね? でも自分や周りからバレるなんてことは絶対にないから変だよね)
絶対バレることないって、この人いったい何してんの!?
こわいこわいこわいこわいこわいこわい!
私はがたがたと震えだした。関わりたくない。この人には絶対に関わりたくない!
「あの! もうここでいいので下ろしていただけませんか?」
私が言うと、副社長は、ずいと私の近くに近づいてきた。逃げられない! 完全に、ロックオンされてる…!
「きみは口が堅いんだね。それっていいことだと思うよ。大丈夫、僕に任せて? 悪いようにはしないから」
(なーんてね。危ない要素は手中に落とすに限る)
「え?」
副社長の手が私の頬を撫でる。その手の冷たさに身体が跳ねた。副社長は仕事では見せないような優しいほほえみを私に向ける。
「その眼鏡も、髪型も、かわいいよ」
(全然、タイプじゃないけどね)
「っ! もちろん私もあなたのことなんてタイプじゃないです!」
なによなによなによ! 私だって、好き好んで、こんな眼鏡も髪型もしてないわよ! でもあんたたち変態がそうさせるんでしょうが! もう金輪際、絶対に絶対に同じ空気も吸いたくない!
そう。そのとき、私は興奮していた。
「…ん?」
相手の動きが止まった。え? と私も思って相手を見ると、
「今…」
(タイプじゃないなんて、言葉にはしてないよ?)
と副社長の心が言う。
「わぁああああああ!!」
―――すっごい早口で話しすぎて…心の声に返事しちゃったよぉ!
正直、今までこんなこと一度もなかった。それほどに面前にきていた副社長のイケメンフェイスは私にとって(物理的に)有害で、それほどに副社長の心の声は(精神的に)有害だったのだ。
そのとき、赤信号でちょうど車が停まって、私は思わず車から飛び降りた。
―――どうしようどうしようどうしよう! まさかまさかまさか! 人生、詰んだ!
私は走りながら、家賃18万円のマンションと今後の人生について考えていた。
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