何食わぬ顔の夫

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何食わぬ顔の夫

 体が酷く冷えて寒気を覚えた。目が醒めるとそこには悟はいなかった。  何か不思議な胸騒ぎがして、思わず走つた。 「あ、おはよ」  リビングで優雅にイタリアンパセリを刻んでいる(くだん)の夫。 「なんか脳裏にバスタブで真っ赤になってるあなたを思い浮かべたんだけど」 「あはは。昨日の今日でそれはないよ。俺のこと分かってないねー」  随分楽しそうに笑っている。  分かってないのは悟だって同じでしょ。 「そうだなー。もし、俺が自死するなら、美穂には原因を悟らせないようにするよ? 悟だけにね」 「包丁を顔の近くに持っていくの()めたら。危ない」 「マイハニーのスイートな顔面に傷が付くのがそんなに嫌なのか、ふむふむ」  人の気も知らないで。なんなの、ほんとムカつく。 「朝御飯は?」  まるでお腹が空いて不貞腐れた飼い猫のような言い方になってしまった。恥ずかしい。  耳が真っ赤になっているのを指摘されるのが嫌で、髪を梳かすふりをしてしまう。 「んふふ、もう少し待ってね」  気づかれてないのか良かった、とほっとして目線を合わせると、何か?とばかりのリアクション。 「あなたのそういう鈍感なところ、嫌いじゃない」  そう、暮らしやすい。敵意を向けてこない。私のことを気にしていない。 「そう?」  目線を、一定のリズムを刻む手元に向けたまま彼は返事をする。 「穴があったら隠れたいほど恥ずかしいのを知らないふりしてくれるところ?」 「え」  一気に胸の辺りが冷たくなって、足が(すく)むってこういうことなのかって理解した。 「分かって・・・」  光の無い目で私を見つめたまま、どんどん距離を縮めてくる。 「嫌だ。来ないで」
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