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第六章 オレンジの感謝
午後10時前にスタジオ176を出ると、きれいな月が出迎えてくれた。
その爽やかな夜空とは裏腹に、昼間の熱気の残滓が梅雨真っただ中の湿気を孕んだ空気と混ざり合って体中にまとわりつく。
僕はそれを振り払うようにしてギグバックを背負い、歩道の真ん中で立ち止まった。
「それじゃあまた明日の2時な。」
そう言って手を振りながら、自動ドアから出たばかりの北園は足早に駐車場へと駆け出してゆく。
「あんま飲み過ぎないでよ! あと、どこぞのかんなちゃんによろしくね!」
粟田が茶化すように言うと、駐車場の角を曲がりながら、うるせえ違うわ! と北園が毒づいてから角の向こう側へ姿を消した。
粟田は北園が見えなくなっても曲がり角に向かって手を振り続けていたが、しばらくしてこちらを振り向くと
「ねえ、ご飯食べに行かない? アタシ、お腹すいちゃった。」
と、僕たちの方へ駆け寄ってきた。
「ユウは一日のうち20時間は空腹でしょうが。」
おかしそうに口に手を当てた野木がそう言うと、粟田はふくれっ面になって反論する。
「なによ、別にいっつもお腹が空いてるわけじゃないんだから! たまたまアタシが何かを食べているところをエイタが目ざとく見つけるんじゃない!」
粟田がTシャツ越しにもはっきりと分かる突き出た腹を揺らしながら食って掛かるが、野木はどこ吹く風といった様子で、はいはい、と軽くいなしている。
このふたりのどちらかが女性だったとしたら、本当に普通の仲のいい恋人同士として誰もが暖かい目で見守るのだろうが、きっとこのふたりは今までそういった偏見の目をかいくぐるようにして逢瀬を繰り返し、密やかに人に言えぬ愛情を育ててきたのだろう。
恋愛対象として女性のみを選んできた僕には同性愛を理解することはできないが、きっとそこには想像もできないような苦労があっただろうということだけは容易に想像できる。
だからなおのこと、彼らの関係を当たり前のように受け入れた僕たちの前では他人の目を気にすることなく、遠慮なく仲睦まじい姿を見せることができるのだろう。
「で、何を食べに行く? ラーメン? それともとんこつラーメン?」
「ユウ、結局あんたがラーメン食べたいだけじゃないの!」
即座に野木に突っ込まれた粟田がぺろりと舌を出すのと同時に、北園の乗ったミニバンが僕たちの脇でひとつクラクションを鳴らしてから大通りへと消えていった。
「ねえ蒲原ちゃん、さっきから黙ってるけどどうしたのよ?」
大通りへ消えてゆく北園の車へ手を振り終わった粟田が蒲原を振り返りながら尋ねると、どこか遠くを眺めていた蒲原が面食らった様子で口を開いた。
「ん? ちょっと仕事のことで考えごとしてただけ。 別に何でもないよ。」
いつもの笑顔でそう答えた蒲原を、粟田がどこか湿った目で見ている。
「ふうん、仕事のことを考えてた、ねえ。 まあいいわ。 ねえマメさん、今日のゾノさんの話、すごくなかった? 私、ちょっと身震いしちゃった。」
粟田は大通りに向かって歩きだしながら、大げさな手ぶりを交えて目を輝かせた。
僕は思わずそれに反応し、少し声が大きくなる。
「ああ、僕も正直なところ驚いた。 ゾノがアッチの人間だったなんてな。 確かに見た感じはちょっといかついとは思っていたけど、まさか元・本職だったなんて。」
僕の横で野木と蒲原が並んで歩きながら頷いている。
「でも、ゾノさんはいい人でしょ? ユウだってずいぶんゾノさんに気に入られて可愛がられてるじゃないの。」
野木が粟田に微笑みかけながらそう言うと、粟田の顔がわずかだが曇った。
「ううん、エイタ。 そこじゃない。 アタシが言いたいのはゾノさんは隠し事をしないのが凄いってことよ。 だから自分が元・ヤクザだったって話のあとに、横浜で可愛がってた弟分が抗争に巻き込まれて亡くなった話までしてくれたんじゃないの。」
誰ともなしに、ああ、という声が漏れた。
次に口を開いたのは蒲原だった。
「僕は弟分を見殺しにした心の傷を癒すためにゾノさんがウチのクリニックに来たことで知り合ったけど、あのときのゾノさんは……見ていられないほどひどかったな。」
そう言いながら蒲原はひどく辛そうな顔を浮かべ、それからひとつため息をついた。
「そうなんだ……。 本当は自分が死ぬべきだった、って言ってたのは、そのときの本音だったんだね。 確かに僕だったらどんなに言い訳しても、自分を恨み続けると思う。」
野木がしみじみとそう口にすると、また誰ともなしに頷く声が聞こえた。
「組同士の抗争に行こうとする弟分を止められなかったっていうのは、相当に苦しかったみたい。 今でもたまに夢に見るってゾノさん言ってたよ。 だから一か月前のあのときも、野木さんが黙って店を出て行った瞬間にその時の映像がフラッシュバックしたみたい。」
蒲原の言葉に、野木がしゅんとした表情を見せる。
「なんか僕、ゾノさんにまで悪いことしちゃったなあ。 また謝るのもなんか変だし、どうすればいいんだろ?」
「僕が言うのもなんだけど、そこは気にしなくていいだろ。 そもそも原因を作ったのは僕なんだし。」
ここで北園がいたなら、そうだこの悪党、ラーメン奢れ! などと軽口を叩いて場の雰囲気を一瞬で明るくしてくれるのにな、と思っていたところへ粟田が口を開く。
「じゃあここはマメさんがラーメンごちそうしてくれる、ってことでいいのかしら?」
一瞬だけみんなで顔を見合わせ、それから一斉に笑いが起こった。
僕は沈痛になりかけた雰囲気を、北園と同じようなやり方で、しかも僕たちと出会ってまだ一か月足らずの粟田がそれをやってのけたことが素直に感動を覚え、そして同時になぜかとても嬉しくなった。
その感情に背中を押されるようにして、ほとんど意識しないまま僕の口から言葉が転がり出る。
「粟田、お前さんが北園に好かれる理由がいま、はっきりと分かったよ。 よし、じゃあ今日は僕のおごりだ。 ただし、北園には内緒だぞ?」
言い終わる前に全員の顔が輝くのが分かった。
「マジで? 言ってみるものよね! だからマメさんのギターの音、大好きなのよ!」
そう言いながら大きな体で跳ねまわる粟田を見ながら、僕はなんだか楽しい気持ちに包まれていた。
「ちょっと! いくらマメさんのおごりだからって、遠慮しなきゃダメだよ、ユウ! せめてラーメンと餃子ぐらいにしときなさい!」
野木の言葉に、粟田の口があっという間にへの字に歪む。
「えー! チャーシュー麺大盛りにギョーザとチャーハン行こうと思ってたのにい!」
「ダメだって! だからユウはどんどん大きくなるんだよ! 血圧だってここ1年で高くなったって言ってたじゃない!」
「大丈夫よ! まだ上が140台だもん! それに、オネエに血圧なんて聞いちゃいけないんだよ!」
近道のために公園を横切っている途中だったが、あまりのやり取りに僕と蒲原は周りの迷惑も気にせずげらげらと大声で笑いながら歩いた。
ランニング途中の男性から奇異の目を向けられたが、それすらも気持ちいいほどに僕がこの楽しいやり取りに身を委ねていたとき、先頭を歩いていた粟田が突然足を止めた。
「さて、このあたりならいいかしらね。 蒲原ちゃん、ちょっとこっち来て。」
外灯から離れた薄暗い茂みの前で、粟田はゆっくりと蒲原に手招きをしている。
「え、僕? え、なに? 何が始まるの?」
薄暗闇のなかでも蒲原の動揺がはっきりと分かるほどにその声は細かく震えていた。
「いいから早くその荷物をマメさんに預けてこっち来なさい。 ゾノさんはああやって本当は隠したいことを包み隠さず話してくれた。 それはアタシたちを仲間だと思ってくれてるからよね? じゃあ蒲原ちゃんは? アタシたちのことを仲間だと認めてるの?」
オネエ言葉のなかに普段の粟田とは違う、真剣な雰囲気が色濃く立ち込めていた。
暗闇を背景にして浮かび上がるその大きな体躯は、無関係な僕をもその闇の奥に引きずり込みそうな威容を放っている。
蒲原は粟田の言葉に何かを察したのか、僕に渡しかけたステックケースとペダルケースの入ったバッグを持つ手を止めたまま下を向いている。
「な、なんかいやだなあ、粟田さん。 まるでこれから僕が変なことでもされるみたいじゃないか。 僕はいたってノーマルだよ? それにそんなことしたら、野木さんが悲しんじゃうよ?」
精一杯の明るさをまとわせながら軽口を叩いているが、その端々から蒲原の言葉は粟田の背後に構えた闇に吸い込まれ、粉々に砕けていくようだった。
「ねえ、どうしたんだよ、ユウ。 さっきからなんかおかしいよ?」
横たわる沈黙にたまらず野木が割って入るが、闇の前で粟田がゆっくりとかぶりを振る。
「ごめん、エイタ。 今はちょっと静かにしていて。 アタシは蒲原ちゃん、アナタに用があるのよ。 いや、正確に言えばアナタの身体の一部に、かしらね。」
こちらからその表情を伺い知ることはできないが、おそらく粟田の目は真剣そのもので、射るような視線を蒲原に投げかけているのだろう。
近くの駅から電車が走り出す音が聞こえる。
蒲原はそれから少しのあいだ黙っていたが、観念したようにバッグを持った手を伸ばし、僕がそれを受け取ったのを確認すると、蒲原はゆっくりと粟田の正面へと歩を進めた。
遠くの外灯がうっすらと照らした蒲原の額には大粒の汗が浮かび、その表情はどこか諦めと恐怖が入り混じったもののように見えた。
そんな緊張した面持ちの蒲原が粟田の前に立った次の瞬間だった。
「いぎゃああっ!」
今まで聞いたことのない、蒲原の悲鳴があたりに響いた。
しかし幸いなことにその声が聞こえる範囲内にはほとんど人がおらず、さらに公園の脇を電車が駆け抜けていく音が痛々しい悲鳴をかき消した。
「ちょっと、ユウ! 蒲原くんに、なにやってるんだよ!」
野木が慌てて駆け寄ろうとする。
僕もつられて足を出そうとしたが、目の前のある種異様な光景に目を奪われて動けなくなった。
粟田の右手が蒲原のTシャツから覗く左ひじを握り、その親指が腕の裏側を押している。
たったそれだけのことで蒲原は身をのけぞらせ、苦悶の表情を浮かべながら口を大きく開けている。
その様子から強い痛みを我慢しているのだということは察することができたが、いったいどういう理屈でどこが痛んでいるのかまでは皆目見当がつかなかった。
粟田が腕を握っていた時間はわずか数秒だっただろう。
その手を粟田が離したとき、蒲原はまるで何時間も身体を押さえつけられていたかのように、喘ぐように左手の肘を押さえて身を丸くしていた。
その様子を見ながら、粟田が力なく呟く。
「ビンゴ。 やっぱりね。 このコ、靭帯やっちゃってる。」
記憶の奔流とともに、僕の背中に強烈な寒気が走った。
恩田がかつて僕に言っていた。
靭帯を本気で痛めたら、もうドラマーは終わりだ。
……終わり?
蒲原はドラマーとして、終わり?
いや、そんな。
ちょっと待ってくれ。
蒲原がいなけりゃリタイアーズの土台がなくなってしまう。
大会まであと一か月しかないこのタイミングで?
いや、違う。
あれだけ力強いドラムを叩く、音楽が楽しくてしょうがないと言っていた蒲原が、ドラマーとして終わってしまうのか?
そんなのはだめだ。
やめてくれ。
頼むから!
……やめて、くれ。
思考がまとまらず、周りの音が伸びたり縮んだりして僕の耳に届く。
ぼやけた視界の向こうでは蒲原がまだ左ひじを押さえている。
「一か月前はあんなに力強いドラム叩いてたのに、ここ最近はスネアの音が変だなって思ってたのよ。 それで今日、キーボード弾きながらよくよく観察したら、たまに痛そうに肘を押さえてるじゃない。 それに左腕の動きが明らかにおかしかったのよね。」
粟田がため息まじりにそう言ってから、蒲原の肩に手をかけて優しい口調で尋ねる。
「いつから? 正直に言ってごらんなさい。 隠し事はダメよ。 私はアンタに、ゾノさんみたいにちゃんと仲間を信頼してすべて話してほしいのよ。 分かった?」
蒲原はゆっくりと体を起こすと、頭を二度振ってからゆっくりと喋りはじめた。
「2週間前から違和感があって、先週の金曜日、はっきりと痛みだした。」
まるでいたずらがばれた子供のように、その声にはまるで覇気が感じられなかった。
「病院へは行ったの? いや、行ってたら包帯巻いてるはずね。 蒲原ちゃんはおそらく腱鞘炎が悪化する寸前の状態ね。 このままあんなパワードラムなんか叩いてたら、きっと一か月後には大会どころか日常生活にも支障が出てたでしょうね。」
野木が驚いたように言葉を詰まらせ、蒲原はまた下を向いた。
僕はまだ思考の定まらない頭で、頭に浮かんだ疑問を口にするのが精いっぱいだった。
「粟田は、医者なのか? 蒲原は……治るのか?」
粟田がこちらを一度見てから、薄雲に隠れた月を見上げる。
その目からはどんな感情も感じ取ることはできなかった。
やがて僕へ向き直った粟田は言葉を選びながら真剣な顔で話しはじめた。
「アタシは医者じゃないわ。 元・柔道整復師なの。 いわゆる整骨院の先生よ。 蒲原ちゃんの状態はいますぐには判断できないけど、軽く押さえてこの痛がり方を見ると、あんまりいい状態とは言えないわね。 私がもし現役だったら……まともに治療して3か月は固定したまま安静にしなさいって言うかしらね。」
「いやだっ!」
蒲原が聞いたこともないような大声を出したことで、僕と野木は思わず、びくり、と身体を震わせた。
「いやだ、いやだ。 僕は大会のために必死で練習してきたんだ! それに、バンドからドラムが抜けるってどういうことか分かる? 家で例えたら、土台がない土の上に家を建てるようなもんなんだよ? 僕がいなけりゃ、リタイアーズは終わりなんだ。 それに、誰も僕の代わりなんかできないんだよ。 粟田さんにそれが分かるのかよ!」
蒲原の言うことはぐうの音も出ないほどの正論だった。
確かに僕は以前に恩田から遊びでドラムの基礎を教えられたことがあり、少しだけならリズムを叩くことはできる。
しかしそれはとてもではないが蒲原のような手技も知らないし、音のパワーに至っては比べ物にならないほどのレベルの差がある。
とてもではないが、蒲原の代役を務めるなどという選択肢は僕にはなかった。
「ほら、誰も何も言わないじゃないか! やっぱり僕が必要なんだよ! 無理してでも僕が叩かないとリタイアーズ……。」
そこまで言ったところで、ぱあん! という音とともに蒲原の顔が90度横を向いた。
粟田が蒲原の頬を、渾身の平手で打っていた。
「お前よ、あんまり仲間ナメんじゃねえぞ? アタシは入ってまだ一か月だけどな、ゾノさんはじめ、マメさんも野木さんも、アタシだって、これ以上無理したら壊れるって分かってる奴にドラム叩かせるほど腐っちゃいないんだよ。 人よりも大会が大事なんて考える奴なんかいないんだよ。」
粟田の言葉は、低く、唸るように夜の闇に響いた。
「この一か月で、アタシはこんなにいい人たちに囲まれて幸せだって思えるようになってたんだ。 それに、怪我っていうアクシデントに見舞われた奴を見殺しにしてまで大会に出るなんて、そんなことをしたらゾノさんの心の傷がまた開くだろうが!」
叩きつけるような粟田の言葉の隙間から、蒲原の嗚咽が聞こえていた。
僕と野木がその姿を黙って見つめることしかできないまま、ただ時間が過ぎていった。
どれだけの沈黙が続いただろうか。
最初に口を開いたのは蒲原だった。
「じゃあ、教えてよ……。 僕は、どうすればいいのか。」
絞り出すような声は、嗚咽と震えでひどく聞き取りづらかった。
それでも蒲原は顔を上げ、粟田に向かって言葉を吐き出し続ける。
「3か月以上かかる怪我を抱えて、僕はこれからどうやって練習すればいい? みんなに迷惑をかけないためには、どうすればいいか教えてくれよ!」
そう言いながら粟田のがっしりとした肩を揺らし続ける蒲原の姿は悲痛そのものだったが、どうしても僕はかける言葉が見つけ出せなかった。
ここまで絶望した人物を目の前にすると、自分とはどれほど無力なのかを思い知らされるのだということを強制的に理解させられたような気分だった。
野木も恐らく同じような気持ちなのだろう。
僕の隣で口を真一文字に結んだまま、華奢な体を震わせている。
「蒲原ちゃんが選ぶ道はいくつかあるわ。」
粟田の口調が優しくなり、場の空気がすこしだけ緩んだのが分かった。
僕と野木の目が合う。
「ひとつめは、本気で治療して今年の大会を諦めること。」
蒲原の口から、ぎりり、という歯ぎしりが聞こえた。
「ふたつめは、治療をしてごまかしながら、持ってる力の半分も出さないようにして練習を続けて、大会に出ること。 でもこれは、肘への負担と大会でいい成績を残すという観点の両方からお勧めできないわね。」
蒲原の、くそっ! という声が夜にこだまする。
「どっちも僕にとったら地獄と同じだ! 大会を諦めるか、力を出せないドラムで惨敗するか。 そんなの、どうやって決断しろって言うんだよ!」
「みっつめ。」
暗闇にも目が慣れ、僕の目にも粟田がはっきりと三本指を立てているのが分かった。
「これから4週間、ドラムには一切触れずにアタシの知り合いのとこで集中的に治療して、大会に間に合わせるか。」
蒲原の顔がわずかに輝くのが分かった。
「粟田さん。 いま、何て言ったの? 4週間で治るって言ったの? 間に合うって言ったの?」
粟田はそれでも表情を変えず、淡々と言葉を続けた。
「アンタ、万全の状態で大会に出て、恩田さんって人の前で恥ずかしくないドラムを叩きたいんでしょ? だったらこのみっつめの道に賭けるしかないんじゃないの? 大会は日曜日でしょ? 正確にはあと4週間と2日あるんだから、うまくいけば前日に全員で練習できるんじゃないかしら?」
粟田がそう言い終わらないうちに、蒲原の表情に輝きが戻るのがはっきりと見てとれた。
「お願いします! 粟田さん! 僕にその人を紹介してください! そしてマメさん、野木さん! 本当に申し訳ないですけど、僕に治療を受けさせてください!」
蒲原は僕たち3人に向けて、何度も深く頭を下げながら、お願いします! と言い続けていた。
「蒲原くん、お願いします、ってのはちょっと違うよ。 ユウも言ったけど、僕たちは音楽仲間じゃないか。 僕たちの目的は大会で優勝することもそうだけど、全員で、楽しく音楽をすることだろ? それがままならない状況なら、そうできるようにするのは当たり前のことじゃない? ねえマメさん?」
そう言い終わった野木が、にんまりと笑いながら腕を組んでこちらを見ていた。
僕はひとつ頷いてから、そのあとを引き受けた。
「うん。 蒲原は前に、ひとりで抱えるなと言ってくれたよな? あの言葉で僕はずいぶんと救われたんだ。 だから今度は僕たちがお前を救う番だ。 蒲原、ひとりで抱え込まずに仲間を信じろ。 ちゃんと治療して、5人で大会に出て優勝しよう! お前がいない間は、僕が恩田から教わったへっぽこドラムでなんとかするから! あいつに立ち向かうには、お前がいないとダメなんだ!」
蒲原は、何度も何度も、ありがとう、と繰り返しながらとめどなく涙を流していた。
その涙は遠くで光るオレンジ色の外灯を反射しながら頬を伝い、尖った顎の先へと流れ落ちてゆく。
「さて、それじゃあ話はまとまったかしら? 蒲原ちゃん、明日の朝9時にアナタの家に行くけど、お仕事は休みよね?」
蒲原は力強く頷いてから、はい、とよく通る声で言った。
「分かったわ。 それじゃあちゃんと奥さんにも怪我のこと、隠さずに話しておくのよ? それと、オネエが怪しい病院みたいなところに連れて行くって。」
そう言ってケタケタと笑いながら粟田は僕の顔を見ると
「あ、忘れてた! ラーメン! せっかくマメさんがトッピング全乗せスペシャル奢ってくれるって言ってたのにー! ほら! ぐすぐずしてないで行くわよ! アタシ、お腹が空きすぎて痩せそうよ!」
そう言いながらラーメンをすするジェスチャーをしてみせた。
「ちょっと! ユウは痩せなきゃダメでしょ! あ、そうだ、マメさん。 今日はもう遅いから解散にして、ユウのダイエットに協力してくれないかな?」
野木がにやりと笑いながらそう言うと、粟田が身体をゆすって野木の目の前まで早足で歩いてから
「エイタはちょっと太ってた方がぷよぷよしてかわいいって言ってたじゃない!」
そう言いながら自分の腹の肉をTシャツごとつまんでみせた。
その盛り上がった肉を野木が、ぎりり、とひねる。
きゃあっ、という粟田の野太い悲鳴に被せるようにして、野木は吐き捨てるように言う。
「あんたのは、太り過ぎのぶよんぶよん。 あー、もうちょっと痩せてる男、探そうかなー。」
きいいっ、と声を上げてから悔しそうに地団太を踏む粟田を、さきほどすれ違ったランニング途中の男性がもういちど奇異の目で眺めてから足早に走り去っていった。
続く
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