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第一章 変わった趣味
日曜日午前の菊鹿田駅は、いつもより人の行き来が少ない気がした。
通学や通勤でしか使わないのかもしれない。
この辺は車社会で、あまり電車でどこかに行こうという感じではなかった。
誰もいない、駅のロータリーに面したコンビニエンスストアの前に、僕のことを待っている人がいた。
不安そうに、何度も腕時計を見ようとする眼鏡少女の瞳は、愛らしくて仕方がない。
このままほおっておいて、しばらく遠くから眺めていようという気にさえなる。
いや、そんなことしてバレたら、二度と口を聞いてもらえなくなってしまうだろう。
僕は恐る恐る近づき、コートの上からだけれども、お腹の横あたりを指で軽くつっついてみた。
「あ、ちょっ……あうぅぅ」
多少、卑猥ともとれる声を漏らしながら、一瞬にして歪む、川野さんの表情。
僕の指とは反対方向に上半身を避けながら、とまどいの視線を、ゆっくりと僕に向ける。
僕は思わず、唾を飲んだ。
「コートの上なのに。そんなエロい声出さないでよ」
「……すいません。くすぐりに弱いんです」
どこにでも売ってそうなジーパンに黒のダッフルコートを着た川野さんは、こないだに比べてとても温かそうだった。
「ごめん、待った?」
僕が聞くと、川野さんは表情をやわらかくして言った。
「あまり待ってないですよ。私も今、来たばかりなんです」
「そう。良かった」
この優しさを、どう受け止めるべきか……。
川野さんが、僕に気を使っているのがよくわかった。
十分以上待っているはずだ。
僕は約束の時間に少し遅刻で来たけど、川野さんの性格上、定刻の十分前、いや場合によっては三十分前には来ているはず。
それなのに、ニコニコしながらそう言っちゃうんだ。
僕はまだ、信用されていないのかもしれない。
あるいは、気を遣うに値する人物と思ってもらえたのだと、プラスに受け止めるべきなのか。
こうやって、気が付くとすぐに迷路の中に入ってしまう……恋愛の厄介なところだった。
「あの」
コンビニのゴミ箱に手を当てて、なんとなく、もじもじしている雰囲気が伝わってくる。
その様子を僕がじっと見ていると、ますます顔を赤らめて、うつむいてしまった。
「な、何でもありません……」
「そう?」
僕は鈍感なのだろうか。
本当に分からないので、仕方ないからそのままそっとしておいた。
駅に向かって歩きだす僕の後を、少し遅れて川野さんは歩きだす。
「歩くの早い?」
「大丈夫です。……お気遣い、ありがとうございます」
川野さんは下を向きながら、小声でボソボソと言った。
大丈夫とは言いながら、僕の隣りを歩いてくれないんだなと思う。
* * * *
休日運転だったが、ホームの白線前に行くと電車はすぐに来た。
降りてくる乗客はゼロで、案の定、電車の中も人はまばらだった。
窓からは、爽やかな午前の日差しが差し込んでいる。
暖房がまだあまり効いていないこともなり、温かくて心地よかったので、ブラインドにせず、そのままにしておいた。
シートに並んで座ると、開口一番、川野さんは宣言した。
「わ……私。品田くんがつまらなくならないように、精一杯頑張ります!」
「あ、うん。ありがとう」
初デートで緊張するかと思っていたけど、向こうは僕以上に力んでいた。
僕が思わずプッと吹きだすと、川野さんは目をぱちくりさせて、やがて申し訳なさそうにうつむいた。
「すいません。変なこと言って……不安なんです。嫌われないようにって」
「大丈夫だよ」
「ありがとうございます。優しさに甘えないように、最善を尽くしますので」
僕はそっと、川野さんの頭に手をおいた。
川野さんは何も言わずに、髪いじりをする。
短くて、いじるほどの長さがないのに梳かす姿は、どこか愛嬌があった。
「不安な感じが可愛いね」
「変なほめ方しないで下さい」
そう言いながらも、川野さんの表情が一瞬だけ少しほころんだのを僕は見逃さなかった。
「ん?」
川野さんの手が、動きだしそうで、動かない。
僕は川野さんの頭においた手を、サッと下におろして、そのまま川野さんの手においた。
不安な少女は、無言で微笑んでいた。
ガタガタと揺れる電車。
余計な音が、二人の不器用な空気を、なんとなく和らげてくれる。
僕ら以外に乗っている乗客は、親子が二人。
「川野さんて、休みの日は普段、どうやって過ごしているの?」
僕が質問した途端、川野さんは怯えた視線を宙で迷わせていた。
そして、誤魔化しの作り笑い。
僕は、誤魔化されたい気分になった。
「……言わないとダメですか?」
「言いたくないなら良いよ」
「ありがとうございます……あ」
お礼を言いつつ、さらに何か考えているようだった。
眉間にしわを寄せながら目を閉じて、時折目を開けて、また閉じて。
やがて、川野さんは口を開いた。
「やっぱり言います」
「そう? どちらでも良いけど。あ、別に投げやりじゃなくて。無理に言わせようとか、思ってないという意味で」
川野さんは、真剣な表情で首を横に振った。
「いや、言います」
「あ、うん」
「こういうのはちゃんと言わないと、失礼にあたりますので」
うーん、なんというか。
休みの日の過ごし方を答えるだけなのに、少し大げさ過ぎる気がしたけど、そこはあまり突っ込まないでおいた。
川野さんは、二、三回、大きく深呼吸した。
どうやら、心の準備をしているようだ。
電車の揺れる音にかき消される程度の小さな咳払いをして、川野さんはようやく話し始めた。
「私、機能性キノコに凝ってまして」
一瞬、リアクションに困った。
キノウセイキノコ?
初めて聞く単語だ。
「何それ?」
「ライセンスも持っているんですよ。ほら」
機能性キノコとやらの話題になったのが、よほどうれしかったのかどうか。
僕の問いかけをスルーして、川野さんはピンクの革に金の金具で装飾した財布を、ネコちゃんのデザイン革バックから取り出した。
財布から抜きだされたカードを、喜々としながら僕に見せた。
「世界機能性キノコ協会認定、ランクB学者?」
「ひ、秘密を明かすと。何だか照れます……ね」
隠し事を解き放ったからか、川野さんは少し饒舌になった気がした。
「将来は、ランクSを取得して、世界中を駆け巡りたいなあって思ってるんです」
「……なるほど」
相槌はしたけど、全く理解できていない。
川野さんの視線は、電車の窓を超えて、さらに遠くを眺めていた。
意味は分からないけど、とりあえず彼氏として応援したい気分になった。
カードをネコちゃんバックにしまった川野さんは、興味津々な様子で話し出した。
「ところで、品田くんは毎日三食、食べていますか?」
「え、ああ? うん、食べているよ」
いきなり話が変わったので、ちょっと面食らったけど、そのまま話しは続く。
「身体は、ダルいですか?」
「そんなことない。いつでも軽い」
「手の平を見せて下さい」
「うん」
僕は両手を開いてみせた。
手相でも見るつもりなのだろうか?
「なるほど、ありがとうございます」
「もう終わり?」
「はい、大丈夫です」
僕は手を引っ込めた。
何がなるほどなのか、さっぱりわからない。
「朝起きる時は、すぐに目覚められますか?」
「ときどき眠いかな」
「塩分と糖分、どちらが好きですか?」
「両方」
「歩くのと走るのは、どちらがお好きでしょうか?」
「走ることかな」
「日差しを浴びるのと、夜に月光にあたるのは、どっちがいいですか?」
「……日差しかな? 夜は外出てもつまらないし」
「アレルギーとかはありますか?」
「花粉症が少し」
「杉の花粉ですか?」
「ヒノキだと思う」
「こってり系ラーメンのスープを全部飲むと、翌日お腹を壊すタイプですか?」
「それは、日によってかな」
「あと……」
川野さんの質問攻めは続く。
これじゃあ、会話じゃなくて尋問だよ。
医者の問診と言ってもいい。
おそらく、僕との会話が途切れないように、必死だったのかもしれない。
嫌われないように、頑張ってコミュニケーションをつないだつもりなのだろう。
でもねえ……。
一生懸命なのはわかるけど、そんなに楽しい質問でもないのは少し残念だった。
デートなんだから、もっと自然体で、エンターテイメントな話をしたらいいのになと思う。
* * * *
八重川デパートは、八階建てでこの辺では最も大きかった。
中に入るとお客さん、特に女性客でにぎわい、エレベーターは並ぶのが大変だった。
洋服でも見ようかなと思ったら、川野さんの方から行きたい店があると言うので、そっちに行くことにした。
「ここのデパートは、珍しく機能性キノコのショップがあるんですよ」
「店名は……? あ、メディカル・マッシュルームか」
「本店は英国で、日本では、五か所に支店を出しています」
「本当に珍しいよね。機能性キノコの店なんて、初めて聞いたよ」
「いや、たぶん何度か耳にはしていると思いますよ。時々、テレビでも特集とかやっていますし。興味がないから、印象に残らなかっただけだと思います」
瓶に入った機能性キノコの一つ一つを、うれしそうに眺める川野さん。
彼氏である僕をそっちのけで、すっかり観察モードだった。
キノコになんか嫉妬しないけど、でも……複雑だ。
初デートで、置いてきぼりはなんか嫌だな。
ふと、目線より少し上に掲げられたホワイトボードに、お勧めのキノコが書いてあった。
「海の川月キノコ、大特価格三千円……か」
「安いですねぇ」
「うん、たぶん」
ダメだ、会話についていけない。
川野さんとお付き合いするということは、今後も似たような展開が多く待ち受けているはずだ。
機能性キノコとやらについて、触りだけでも勉強しておく必要があるかもしれない。
カウンター前の棚に、パンフレットや冊子みたいなのが並べておいてあったので、僕は一枚ずつ手に取った。
早速読んでみる。
「ええと……わっ!!」
いきなり手を引かれて、思わず素っ頓狂な声が出る。
川野さんは真剣な目で、僕を凝視していた。
そして、人差し指を一本、口に当てて「しぃー」と発音。
僕は黙ってうなずく。
急に、人格が変わったような応対にちょっとドキッとしたけど、それはおいといて。
川野さんは、険しい視線で通路の方に目をやった。
その先には、黒いスーツにサングラスをした男性が一人。
川野さんは小声で言う。
「……逃げましょう」
「何で?」
「逃げましょう」
「うん、わかった」
質問に答えてもらえなかったが、訳あってのことだろうと無理やり理解する。
気配を消して、僕らはゆっくりとエスカレーターの方へ歩きだした。
「あ、いたな!」
「見つけたぞ、エリス!」
その声を合図に、一気に走り出す。
エリスって何だ?
「逃がすか!」
うるさい怒声。
一度も振り向かずに、機能性キノコショップのフロアを出た。
そして通路を猛ダッシュ。
他の客をよけて、エスカレーターを駆け下りて。
迷わず、入口に向かってまた走った。
自動ドアが開いた瞬間、ぶつかるぐらいの勢いで通り過ぎた。
歩行者を誘導するガードマンを完全無視して、横断歩道を足早に渡る。
駐車場では、でたらめに走りまわった。
とりあえずは、撒いたようだ。
腰をかがめて、追手の視界に入らないように、僕らはワンボックスの紅い外車に身を隠した。
「どうするの、これから?」
「ハアハア……何をするかは……決まっています」
息を切らしながら、川野さんは猫ちゃんバックから、ビニル袋に入った細長いキノコを出した。
袋からキノコを取り出すと、ジッポライターで火をつけてみせた。
「ほら……」
キノコに火をつけると、チリチリと燃え出した。
「……甘い」
「良い匂いでしょう?」
「う……うん」
煙が上がると、目立たないかと思っていたら。
段々と身体が重くなり、意識が薄れてきて……。
川野さんはいつの間にか、淡いピンクのマスクをしていた。
前のめりに倒れていく僕。
サッと、川野さんが抱きかかえてくれた。
川野さんは、踏み潰すことでキノコの火を消した。
僕の意識は完全には無くならず、だいぶ薄くなりながら、人形みたいに川野さんに連れられていた。
そのまま一時間ぐらいが経っただろうか。
川野さんは、黒いスーツの男が見えると、向こうが気づく前に移動して、別の車の影に隠れていたようだった(僕は見えないので、推測だけど)。
何回か謎の鬼ごっこを繰り返した結果、あきらめたのか、黒スーツ男は全く姿を現さなくなったようだ(推測だけど)。
川野さんも安心したのだろう、ふうっと一息つく。
「もう大丈夫ですね」
そして、ガサガサと音をさせて、……たぶん、猫ちゃんバックから何か取り出しているのかな?
音が終わったと思うと、いきなり僕の口に何かが入った。
僕は自然と飲みこむ。
意識が時間とともに戻ってきて、重たかった身体も次第に力がみなぎってくような感じがした。
目が開く。
川野さんは、緑色の粒が入った小瓶を手に持っていた。
「解毒の機能性キノコ?」
「そんな感じです」
「初デートなのに、びっくりしちゃったよ」
「ごめんなさい」
「いいよ、別に」
「わ、私のこと……嫌いになりましたか?」
川野さんは、また普段の臆病な女の子モードに戻っていた。
機能性キノコとやらをいじっているときは、あんなにテキパキしているのに。
川野さんが僕の身体を包み込むように、密着して、地べたに座りこんでいるので、とりあえず上半身を起き上がらせてみた。
「す、すいません……」
急に恥ずかしくなったのか、川野さんは顔が真っ赤になった。
眼鏡の下で、視線は何も見えていない。
泣きそうな声で、川野さんは言う。
「まだ、別れたくないです」
「大丈夫だよ」
「無理してませんか?」
「ネガティブだね」
「あ……すいません」
また一つ、失態を犯したという心のゆらぎを、川野さんの表情から感じ取れた。
「いや、面白い人だなあって」
僕は無難な受け答えをしておいた。
小瓶をネコちゃんバックにしまいながら、川野さんはうれしそうに目を見開く。
「本当ですか。良かったです!」
弾む声を聴くだけで、どこかうれしい気分になった。
駐車場で乗り降りをするお客さんからは、なんとなく視線を感じたが、そんなのは気にせずに僕らは喜びを分かち合った。
その後、喫茶店で談笑を楽しんだ。
先ほどの件について、あえて質問はしなかった。
なんて言うか。
ミステリアスな感じが、悪魔の魅力というか。
逆に僕の心を惹きつけてやまない。
もう少し、解毒が遅くても良かったのかもしれない……。
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