第三章 変わった挙動

1/1
前へ
/9ページ
次へ

第三章 変わった挙動

「無事で……本当に良かったです」 「うん、特に何ともないよ」  何ともないはずはない。  でも、そう言うしかなかった。  無抵抗のまま、ひたすらやられまくったことを克明に描写したところで、何になるのだろう。 「心配したんですよー、もう」  学校の教室の中に入り、席に着いた僕のところへ、川野さんはめずらしく駆け寄ってきた。  心配で、周囲の目どころじゃなかったのだろう。  僕は、駅前のロータリーの噴水前で倒れていたそうだ。   110番通報されて、それで助かった。  親は「道端で寝るだなんて、どこまでグウタラなの?」と面倒くさそうに迎えに来てくれて、それでその日は家に帰った。  胃液とかは綺麗にふき取られていて、また、吐いた後の匂いも何かのスプレーでもかけられていたのか、臭くない状態になっていた。  夜だったこともあり、僕が余計な何も言わなければ、傷つけられたことも誰も気づかない様子だった。  事実、僕が「疲れて寝ちゃいました。心配おかけしてすいません……」と神妙な面持ちで答えると、警察もなぜか疑わず、親が迎えに来てくれたこともあり、それほど長居せずに帰してくれた。  中学生を、あまり夜遅くまで拘束するのは、良くないと判断したのかもしれなかった。  拷問を受けたことは、このまま親にも川野さんにも黙っていることにした。  特に川野さんは、とても心配しそうだ。  まともに伝えたら、泣きだすか、怯えてしまうか、「私のせいで……別れないで下さい……」と始まってしまいそうだった。  ……僕をハメたのでなければ、だけど。 「川野さん」 「はい?」 「エリスって、何?」  川野さんは、はて? という感じで、答えない。  首を傾げて、しばらくフリーズ。 「何ですか、それは?」 「知らないならいいよ」  川野さんは不思議そうに言った。 「そうですか?」  信じたい。  信じたい気持ちはやまやまなのだが……。  以前のように、楽しく話が出来るか、心配だった。  拷問の苦しさが、僕の心を変えたのかどうかは分からない。  ……エリス。   エリス。   エリス。  この謎の女性の名前のせいで、僕は散々な目にあわされた。  エリスが何者なのか。  川野さんがエリスそのものなのか。  そんなことは、どうでもいい。  それよりも、僕が気になっていること。   ……川野さんは、打算で僕と付き合っているのだろうか。   僕をハメたのだろうか。   いや、百歩譲ってハメられても構わない。   僕のこと、本当に好きなのかどうか……。  それが一番、不安だった。 「川野さん」 「なんでしょう」 「ちょっと来て」 「あ、はい」  僕は川野さんをつれて、教室を出た。  周囲の視線を気にせず、僕らは小走りに屋上まで駆け上がった。  屋上に出ると、風はないが、朝ということで日差しが弱く、肌寒い。  体温の低い川野さんは、ぶるぶる震えだした。 「さ……寒いですね」  屋上の入口を閉めて、僕は誰もいないのを確認する。 「川野さん」 「は、はい……あ」  僕は、川野さんの腕を手に取り、足を掛けて、地面にゆっくりと倒した。  倒されながら怯えた表情で、僕の目をじっと見ている。  でも、一切抗うことなく、身体を僕に預けていた。  無防備に、従順に、不安そうに……。 「何を……」 「目を閉じて」 「あ……」  何をされるか、悟ったのだろうか。  仰向けに寝転がった川野さんは、胸元で、祈るように両手を組んで、静かに目を閉じた。  聞き取れないぐらいの声で「……大丈夫です」とつぶやいた。  目を瞑りながら、ショートカットの少女はとても不安な表情。  僕は何をするのも自由だった。  不安な少女の運命を握り締めていた。  頬と頬を合わせた。  その瞬間、川野さんの呼吸が早くなるのを感じる。  冷たい肌は、少しカサカサしていた。  乳液とか塗った方がいいかもしれない。  逆側の頬も合わせてみた。  無抵抗だ。  おでことおでこを合わせてみた。  一瞬、川野さんの唇がキスをする形を作ったが、すぐにもとに戻る。  感情の揺らぎが、少しだけ眉の動きに表れた。   僕は顔を離した。 「ありがとう」  川野さんはゆっくりと目を開ける。 「もう終わりですか?」 「うん」 「もうすこ……」  川野さんは首を横に振った。 「……何でもありません」  僕は先に立ち上がった。  寝転がったままの川野さんに手を差し出す。 「ありがとうございます」  手を引いて、立たせるのを手伝った。  立ち上がった川野さんは、とても寒そうにしていた。  手を合わせて、息をハアハアやっていた。 「もうすぐ、始業のベルが鳴るから戻ろう」  川野さんはうなずいた。  僕は屋上の入口に向かって歩きだす。 「あのう……」  僕は振り返らない。 「……いえ、特に大丈夫です」  そのまま屋上を後にした。 * * * *  その日から、川野さんと距離を感じるようになった。  ラインがきても、なかなか既読しないようにした。  無言のメッセージが、少なからず伝わったのではないかと勝手に思っていた。  学校では、挨拶以外、こちらからは積極的に話しかけないようにした。  僕が誘わなければ、もうどこへも行かないのかもしれない。  前回二回のデートも、最初に声を掛けたのは僕だ。  川野さんは、どこまでも大人しい。  普通にしていたら、しゃべっている声すら聞くことが出来ない。  何もこちらからアクションしなければ、向こうは無反応だろう。  ある日の放課後。   部活が休みだった。  僕はそれを忘れていて、一度部室に行ったが誰もいない。  おかしいなと思い、カレンダーを見たら、RESTと赤字で書いてあった。 「忘れてた。そっか、休みだったか……」  タイミングをはずしたため、一緒に帰る友達もいない。  仕方がないので、一人で帰ることにした。  そして、校門を出たところで、肩を叩かれた。 「品田くん」  申し訳なさそうに、うつむき加減に話しかける川野さんだった。  相変わらず、不安な表情。 「あ、あの……」 「なあに?」 「い……」  声を震わせながら、思いつめたように川野さんは言った。 「一緒に、……か、帰りませ……んか?」  言葉の流れが、たどたどしい。  不安と迷いが、呼吸の一つ一つに出ている。  まるで、愛の告白をするときの躊躇いのようなものを感じた。  怯えてしまわないように、僕はそっと答える。 「そんなに緊張しなくていいよ」 「で、でも」 「付き合ってんだから」 「わ、私もそう思いまして……でも、なかなか」 「帰ろうか」 「はい!」  こちらが恥ずかしくなるぐらい、大きな返事が返ってきた。  思わず、周囲をキョロキョロする。  誰も見ていない。  下校時間が、人通りの多い時間でなくて良かった。  僕が周囲を見渡したことで、川野さんは自分のしたことをようやく理解する、 「すいません……」  またやっちゃったと言わんばかりに、川野さんは深々とお辞儀をした。 「別に大丈夫だよ」 「ありがとうございます……でも、これからは気を付けます」  僕らは、並んで歩きだした。  川野さんは手をもむ仕草を何度かしていた。  僕はそのサインを見なかったことにした。 「最近、なかなかお会いできないですね」  不安そうに、川野さんは言った。  この心配そうな顔は、……本当に心配なのだろうか。   一度疑い出してしまうと、何に対してもそういう思いが湧いてくる。   趣味で機能性キノコとか、なんでもいいけどさ。   性格も変わってて、それが大好きだし。   見た目が男の子みたいな髪型でもいいよ。   でも……。   僕に対する恋愛感情だけは、本物であって欲しい。   すべて作っていたのかも、……だなんて、考えたくもない。   騙すなら、最後までバレないように騙し続けて欲しいよ……。  その時、黒電話の着信音が鳴った。 「あ、すいません。電話みたいです」  川野さんはそう言って、鞄から携帯電話を出した。  ディスプレイを見るなり、「ちょっと待ってて下さいね」と一言。  走りだした。  誰との電話だろう。  話の内容を聞くことはできないか。  川野さんは、少し行ったところにある、つぶれそうなクリーニング屋の角を曲がった。  僕はバレないように、足音を立てず、小走りで追う。  角を曲がらずに、耳を澄ませると話し声が聞こえてきた。 「そうなのよ……こないだはちょっと、やり過ぎだよ。さっき見たら、口の横の当たりが、少し切れてたよ。腕にもあざがあったし」  今のは……僕のことを、話している?  流行らないクリーニング屋だったおかげで、店の前で棒立ちでも何も言われなかった。  外界のことは何も気にならず、僕はただ聞き続けた。  そして……夢から覚める時が、とうとう来てしまった。 「……ありがとう。大丈夫、品田くんは簡単に騙されるよ。……バカがつくぐらい、素直だから」   五体が砕かれるような思いだった。   誰としゃべっているのか。   会話の内容もよくわからないけれど……。   今の言葉だけで、終わりを迎えるにはふさわしかった。   まだ話し声が聞こえる。   でも、これ以上盗聴する気にすらならない。   クリーニング屋を離れて、僕はまたもと来た道を戻った。   数分後、何も知らない川野さんが戻ってきた。   僕は、電信柱に隠れていて、すぐには見つからなかった。  不思議そうに、川野さんは僕を探している。  僕は、恐る恐る背後から近づいた。 「わあ!」 「きゃあ!」  意味もなく、脅かしてみた。  最初はキョトンとしていた。  やがて、笑みがこぼれる。  少し、泣いているようにも見えた。  いや、確かに涙のしずくが、頬を一筋に流れている。 「どうして泣いているの?」  川野さんはビクッとしながら顔を背けると、すぐにハンカチで拭った。 「いえ……大丈夫です」  何を考えているのか、よくわからなかった。  川野さんも、僕が何を思っているのか不明だろう。  お互いに何も分からない。  分からない者同士、仲良く帰った。  ダッフルコートを着た今日の川野さんは、見た目以上にとても寒そうだった……。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加