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第四章 大事なこと
今年も、クリスマスの季節がやってきた。
街は、日に日にイルミネーションで煌めいていた。
商店街や歩道に飾りつけがされたり、いつの間にか駅前のロータリーにクリスマスツリーが登場したり。
行き交う人々も、どこか楽しそうだった。
本当に楽しいのか分からないけど、そう見えてしまうのだ。
そして……対照的に、僕は暗闇で暮らしている気分だった。
気持ちは、全く盛り上がらない。
カップルでもすれ違うものなら、ため息しか出てこないよ……。
ある日の昼休み。
給食が終わり、僕は今日が部室のカギ当番なのを思い出し、職員室に行くことにした。
教室を出て廊下を歩いていると、後ろから川野さんが近づいてくる。
足音が独特で、どこか物悲しい響きがあり、見ないでも分かるのだ。
並んで歩いた。
少しの間、無言だった。
後ろから追ってきて、何も言わずに歩き続けて、……何がしたいんだろう。
ふと目をやると、何か言いたいけど、言い出せない雰囲気を全身から醸しだしている川野さん。
口を小さく開けては、何も言えずに困っているようだった。
……仕方ないな。
というか、僕にも用事があったのを思い出した。
クリスマスに不釣り合いな、出来ることなら避けたかった用事だった。
僕は、二人にしか聞こえないぐらいの静かな声で言った。
「……大事な話があるんだ」
「き、奇遇ですね……私もです」
「そっちから言って」
そう言うと、不安そうに顔を曇らせる。
川野さんは言いづらそうに、絞り出すようにしてか細い声を出した。
「……クリスマスイブ、どうするのかなって」
今年のイブは、確か土曜日だったっけかな。
最も考えたくないイベントだった。
今のままでは……一年で一番、つまらない時間。
気に入らないひととき。
忘れたい一日だった。
でも、彼女に誘われた場合、答えは決まっていた。
絶対の方程式……というか。
これ以外の言葉を言う彼氏なんて、未だかつて見たことない。
川野さんは、呼吸が乱れ過ぎていて、とても苦しそうだった。
もし仮に断ったとしたら、過呼吸で死んでしまうのではないかと思わせるほどだ。
僕は弱々しく言った。
「……一緒に過ごそうか」
「ホントですか? やったぁー!」
ガッツポーズ。
不安少女に、久しぶりの笑顔。
雲で覆い続ける空に、少しだけ日差しが射したようだった。
周囲からの微妙な視線が気にならないようだ。
どうしてそんなに、天真爛漫に振る舞えるんだろう。
無邪気さが、逆に怖い。
「あのう……場所は」
「それじゃあ、僕は職員室に行かないといけないから。これで」
そそくさと走り出した。
これ以上のリップサービスは出来ない。
もう限界だった。
川野さんは追いついてこなかった。
早過ぎて、ついて来られなかったのかもしれない。
あるいは……なんでもない。
* * * *
中学生なのにカップルでクリスマスイブを過ごすだなんて、マセているのかもしれない。
そんな思いもあり、また、あまり遅くなると親が心配するから、夜七時にはお別れする約束をしていた。
デパートの入口で待ち合わせをして、僕らは一緒に店内を歩いた。
デパートの中は、どこもかしこもクリスマスの装飾が素敵で、散歩するだけで気分がときめいた。
「クリスマスって、なんか良いよね」
「はい、私もそう思います」
「日頃の嫌なこととかも忘れさせてくれるほどのメルヘンが、至る所で出迎えてくれてさ……」
「?? 何か、悩み事でもあるんですか?」
川野さんが、不思議そうに僕を見た。
僕は視線を合わせず、すかさず話題を変える。
「後ろの髪、伸びたね」
「私みたいな人間でも、彼氏が出来ましたし。その……もう少し、女らしくしようと思いまして」
そう言った後、川野さんは自信なさげにうつむく。
「に、似合わないですよね? もう切ろうと……」
「可愛い」
顔が赤くなる。
不自然なぐらい、何度も目をぱちくりさせた。
その後は、ずっと無言だった。
でも、時折ニヤけているのを見逃さなかった。
機能性キノコショップで買い物をしたあとは、川野さんお勧めのイタリアンレストラン「デタッシェ」だった。
イタリアの一流レストランで修行した日本人の旦那さんと、イタリア人の奥さんが経営するという有名なお店。
でも、値段はみんなが来やすいようにと格安で、とても良心的で良いお店だった。
店内に案内されると、僕らは禁煙席に座った。
中はカップルだらけで、満員を通り越して二十人ぐらい待ちの状態だった。
それでもすぐに座れたのは、川野さんが事前予約していたからだ。
「この店。値段のわりにすっごく美味しいんですよ」
「うん」
目をキラキラさせながら、川野さんはざわつく店内を見渡した。
「いつか、好きな人が出来たら。一緒に来ようと、ずっと前から自分の中で温めていたんです」
「……一人でも、頻繁に来たら良いのに」
川野さんは、少しだけ不機嫌そうな表情になった。
「毎回一人じゃ嫌ですよ。……イブなのに、何でそんなこと言うんですか? もう少し、クリスマスの気分に酔わせて下さいよ」
「うん」
店員が僕らのテーブルに来て、グラスを二つ並べた。
慣れた手つきでクリスマスサービスのシャンメリーが、無料で注がれた。
「ごゆっくりどうぞ」
店員がいなくなると、川野さんがうれしそうにグラスを構える。
僕もつられてグラスを掲げた。
「メリークリスマス♪」
カランと軽やかな乾杯の音。
グラスを斜めにして、早速飲んでみた。
甘い。
フルーツ系の炭酸水だ。
まあまあ良い味だった。
「美味しいですねぇ」
「うん」
「私、こういう味が大好きなんですよ。甘すぎず、ほどほどに隠すように甘い感じが。意外とないんですよ」
「うん」
川野さんは、普段より饒舌な気がした。
やがて、注文が並べられていく。
僕はペペロンチーノ。
川野さんはバター醤油のきのこパスタを頼んだ。
ペペロンチーノは、赤唐辛子とにんにくの味がちょうど良かった。
オリーブオイルの香りがいい。
パスタの質感も、スーパーで買うのとは確かに違う。
メインが終わると、デザートがきた。
僕が注文したのは、イブだけのオリジナルメニュー、クリスマスツリーをモチーフにした円柱型のケーキだった。
てっぺんには星形のチョコ。
ツリー部分となる、スポンジの上を滑らかに生クリームが塗られていて、さらに小さく切ったいちごやキウイ、桃、ブルーベリー等が、クリスマスの飾り物ののように可愛く並んでいた。
川野さんは、ピンクの笠にホワイトチョコの白い斑点がついた、キノコ型のケーキだった。
中がスポンジになっているのだろうか。ためらいもなく、キノコ頭のてっぺんに、紅いロウソクが挿してある。
うっとりしながら、川野さんは火をつけた。
「素敵……アートですね」
「うん」
クリスマスツリーのケーキは、クリームの味が上品で美味しかった。
フルーツの一つ一つが新鮮で瑞々しくて、料理人のこだわりを感じた。
さてディナーの後は、川野さんがエスコートするがままに、イルミネーションを楽しみながら、夜の街を散歩した。
歩いている間も、川野さんはたくさんしゃべった。
なんだか、別人のようだった。
もう一人、別の人格を感じさせるほどに……。
僕は、心ここにあらずだった。
会話のキャッチボールに最小限の返事をしながら、何も見えないクリスマスの夜空ばかりを眺めていた。
今宵は……星の見えない夜だなぁ。
そして、……駅に着いた。
巨大なクリスマスツリーが、幸せそうに煌めいている。
世の中で、最もいらない物だった。
「あのですね……とてもささやかで恐縮なのですが。一応プレゼント、準備してきたんです」
うれしそうに川野さんは、かかんで猫ちゃんバックの中をいそいそと探し始めた。
「あれ、見つからないですね?」
首を傾げながらも探し続ける、か細くて不健康そうな川野さんの背中を眺めながら、ふと思った。
……ここで言おう。
今がタイミングに違いない。
「川野さん」
「は、はい」
「もう別れない?」
僕がそう言うと、川野さんは探す手を止めた。
僕の方を振り返り、笑みを浮かべながら腕時計を見た。
「あ、ホントですね。もう約束の七時が過ぎてました」
「そうじゃなくて」
「え?」
川野さんは不思議そうに、僕の顔を見る。
僕は目を合わせない。
「騙されているのに……これ以上、恋愛ごっこは出来ないよ」
川野さんは、展開についていけないようだった。
いつもの不安な表情すら浮かばない。
無表情。
少しずつ、時間が動きだす。
時間とともに、不安な顔になる。
時の砂は、不安と絶望と悲しみを滲ませて、下へ下へと落ちていく。
「あ……その」
「じゃあね」
見ていられなかった。
お互いに、泣くのをこらえるのに必死だった。
今宵は、別れの言葉が、クリスマスプレゼント。
駅へと続く、イルミネーションが綺麗過ぎた。
煌びやかで、悲しくて、幻想的な美しさだった。
僕だって、こんなことはしたくない。
僕がしたんじゃない。
川野さんがさせたんだ。
そう言い聞かせないと、自分が壊れてしまいそうだった。
別れることで、本当の意味でお互いが幸せになれるのならば、最高のプレゼントだったに違いない。
別れの寂しさ、儚さ、悲しさを隠すように、クリスマスイルミネーションは寒い夜を静かに輝き続ける……。
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