第五章 消えた……

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第五章 消えた……

  今日ほど、学校に行くのが憂鬱な日はない。   イブの次の日、……つまりクリスマス当日の昨日は、ひたすら家でぼおっとしていた。   何も手につかないというか、放心状態というか。   頑張ろうにも、気力が湧いてこないのだった。   幸か不幸か、日曜日で、時間だけがたっぷりあったおかげで、感傷に浸ることができた。   一方で、時間があり過ぎたせいで、記憶をプレイバックしては、苦しみを何度でも味わうことも出来た。   川野さんは、どんな想いで走り去る僕の後ろ姿を眺めていたのか……。   思い出したくもなかった。   誰にも知られたくない、人の黒歴史って、作りたくて作る人はこの世に存在しないと思う。   偶発的に、避けられずに出来てしまう、運命の落とし穴。   そこを心の闇で、黒く塗りつぶして、後から振り返って見ると、苦しみが漆黒に滲んでいるんだね……。      さて、教室に入ると、いつもの風景。   始業まで十五分前ということもあり、疎らに生徒達が席に座っている。   僕も席に着いた。   勉強したり、友達とバカ話をしたり、部活したりして、……何かをしている方が、気が楽だった。   時間の隙間ができると、そこでまた、落ち込みの無限サイクルが始まってしまうかもしれないからね。 「お、おはよう」  いきなり話しかけてきたのは、川野さんだった。  いつもの風景の中で、いつもと違う不安な少女。  女らしくなる為に、せっかく伸ばしたはずの後ろ髪は、またボーイッシュな短髪になっていた。  髪の一本一本が、頬をつたう涙のしずくのように見えた。  川野さんの性格から、今の挨拶はかなり勇気がいったに違いない。  それでも、わざわざ話しかけてきたのは、相応の理由があってのことと思われた。 「おはよう」  僕も、一クラスメイトとして形式的に応じる。  川野さんは不安そうに、僕の方へと手を差し出した。 「これ、忘れ物……」  僕の黒い万年筆だった。  どこで落としたのかも、覚えていない。  無くしたんだけど、でも部屋のどこかにあるとずっと思っていて。  最後に見たのは、二回目のデートの前だったような気が……。 「それじゃあ……ね」   すごい引きつった顔。   悲しさが自分にも移りそうで、もらい泣きする寸前だった。   いや、今のは真実の悲愴ではない。   あれが演技なんだから、女は恐ろしいよ。   その日はそれ以上、話をしなかった。   そして、これからもずっと、話さないつもりでいた……。 * * * *   まもなく、冬休みに入った。   僕は部活があり、何度か学校へ通った。   ある日のこと。   練習を終えて、部活友達の健太と亮介、江一郎と一緒に帰った。   校門を出ると、僕らは四人で並んで歩いた。  ガタイの良い健太は言った。 「なあ、品田。俺、今。ちょっといろいろお願いされているんだけどさ」 「誰に何を?」 「それは言えないな」 「なら言わないでいいよ」  細くて長身の亮介が半笑いで言った。 「良いよな、モテる男は」  言葉の意味が理解出来ない。  いや、理解したくない。  僕は、わざととぼけてみせた。 「……僕に言ってんの?」 「他に誰だよ?」 「意味不明だ……」  僕は言葉を濁してうつむいた。  質問の意味をすぐに察したからだ。  というのも、健太と亮介と江一郎は、彼女がいない。  絶対にいない。  間違いない。  隠してもいない自信がある。  もしいたとすれば、それは恋愛シミュレーションゲームか、妄想上のエア彼女だろう。  そして、彼女のいない三人が声をそろえて、僕に向かってモテる男発言をしてくる理由……。  それは、僕に彼女がいるということに起因しているとしか思えない。  「いる」じゃなくて、本当は「いた」というのが現実なんだけど。  やっかみというか、妬みというか、嫉妬というか、一人だけうらやましい、ズルい、そんな感情からのセリフなのだろう。   でも、どうして……?  一体、いつから?  どういうことが引き金となって、川野さんと付き合っていたことがバレてしまったのか。  極力、学校内だと、簡単な雑談ぐらいで、人前ではほとんど仲良くしていなかったのに。  ……いや、学校でバレるようなことは、全くと言っていいほどしていないはず。  それなのに、知っているというのは……?  気の小さい川野さんが、バラすはずがないし。  むしろ、ボロが出るから、学校では話しかけないで下さいって、川野さん自身が言っていたし。  だとすると……デート中の姿を見られていたのかもしれない。  そうだったとしても、不思議ではなかった。  デパートとか、知っている人がいそうだしね……。  運動部のくせに太っちょの江一郎が、笑いながら僕の頭を叩いた。 「モテる男は良いよな! 俺も女の子といちゃつきたいぜ」  三人の盛り上がりとは裏腹に、僕は急速にテンションが落ちていた。  みんなでおしゃべりしながら、独りで歩いている気分だった。 「僕は……」  別れたことを口にするのは、凄く嫌だった。  気が重たかった。  でも、この状況だと言わなくてはならない。 「川野さんとは、もう……」 「あ、そうだったか」  僕が言いかけると、亮介が言葉を遮った。 「そういえば品田のやつ。前に聞いたんだけどよ、意外にも川野さんのことが好きなんだってよ」 「今、それを言うのか……」  それを聞いた、江一郎と健太が盛り上がる。 「マジかよ。マニアックにもほどがあるぞ」 「川野って、あの。いるんだかいないんだか。よくわかんねえ女だろ?」 「なんか、怪しいよな。家で、魔女でもやってそうだよな」  その推測は、微妙に間違っていなかった。  確かに、……機能性キノコが趣味だし。  亮介は得意げに言った。 「だから、俺。品田に以前、的確なアドバイスをしてやったんだ。コミュニケーションのかけらもないような女の子は、やめておけってな」  僕は亮介をにらみつけた。  慌てて、亮介は言った。 「おお、怖い怖い」 「うるさいんだよ」 「まあまあ。友達思いな忠告は、聞いておくもんだぜ。良薬は口に苦しって、つまんねえ国語の授業でも言ってたしな」 「人の好みなんか、ほおっておいて欲しいね」  憎まれ口を叩きながらも、僕は少しホッとしていた。  今の会話から、川野さんと付き合っていたことはバレていないみたいだ。  ……さて。   だったら、後はどうでもいい。 「それで……何が言いたいの?」  亮介は、急にニヤリとして言った。 「聞いて驚くなよ」 「驚かないよ。早く言って」 「まあまあ、そう急かすなって」  亮介は、無意味に引っ張ってしゃべっていた。  川野さんとのお付き合いが知られていない安堵から、もう僕は、少し余裕が出てきていた。 「驚かなかったら、ジュース一本おごってよ」 「おお、そこまで言うか。それなら言うぞ。……あの。あの美佐が、品田のことを好きなんだと」  み、美佐が……?  あの、あの美佐が……? 「ミサって……誰?」」  僕の言葉に、江一郎と健太がまた再び盛り上がる。 「ウソだろ? あんな美少女なのに」 「女テニの美佐を知らないのかよ?」 「あ、ええと」  交友関係がせまいみたいで、なんだか決まり悪かった。 「……ごめん」  僕がお詫びをすると、江一郎と健太と亮介の三人は不思議そうにお互いの顔を見合わせた。  本当に知らない僕の為に、江一郎が、携帯電話のディスプレイで写真を見せてくれた。 「ほら、見ろよ。可愛いだろ?」  ストレートパーマをかけた茶色い髪に、大きな瞳をした色白の女の子。  ラケットを片手に持って、テニスのユニホームを着た美佐さんとやらは、健康的でスタイルも良く、確かにアイドルみたいな顔をしていた。  でも……あまりピンとこないので、思わず僕は首を傾げた。 「うーん……これは」  江一郎は不満そうに言う。 「何だよ? ぜいたくな奴」 「いや、僕は。あんまり顔とか、スタイルとか。そういうのって、ほとんど興味ないっていうか……」  亮介は、オーバーリアクションに両手で頭を抱えて、残念そうに言った。 「ああ、そうだったか。品田は異性の好みがマニアックだったんだ……川野とか、変わった人じゃないとダメなんだ」   僕は怪訝な顔で言い返す。 「酷い言いようだね。川野さんと話したことないくせに、よく言うよ」  僕の不平に、亮介はキッと真顔で応じた。 「何言ってんだ? 俺、川野とちゃんと話したことあるぞ。悩み相談にも乗ってあげたことあるし」 「ウソ、マジで!」  僕はすかさず、ジャージを着た亮介の胸倉をつかんだ。 「教えて、教えて!」 「……そんなに川野のこと、好きなのかよ? あいつ、カバンに変なキノコのキーホルダーつけてて、それだけで俺的にアウトなんだけどな」  僕は、軽く咳払いをした。 「僕だって別に……好きじゃないし」 「ウソつくなよ。前に、好きだって自分で言ってただろ?」 「あれは冗談……」 「わかった、分かった。そういうことにしておいてやる」  僕は再び、亮介の胸倉を引っ張った。 「それで、何の相談したの?」 「だから、何でそんな、興味津々な聞き方なんだよ? 美佐の時は、無反応だったくせに……まあいい」 「早く、早く」 「分かった、そんなに急かすなって。はは……マジ、ウケる」  亮介はからかうように僕を指さした。 「そうだな、確か。川野は、『男女が仲良くなるときって、どういうきっかけでしょうか』って、聞いてきたな」 「何、そのめっちゃ真面目な質問? どういうシチュエーション?」 「国語の授業中だよ。隣同士でペアになって、あらかじめ宿題で作った詩を詠み合う時、あっただろ?」 「あった……かもしれない。恥ずかしくて、それでいてすっごいつまらなかった気が」  亮介は大きくうなずいた。 「そう、超つまらなかった。それで、詩を詠んだあと、必ず何か感想か質問を言わなければいけなかった」  そこまで聞いて、僕はようやく理解できた。 「ようするに、亮介が恋の詩を詠んだわけだ」 「そうそう」 「それで、超死ぬほどつまらなそうな亮介の詩をあくびしながら聞いた川野さんは、形式的にそういう質問をしたと」 「そういうことだ」 「亮介は何て答えたの?」 「あ? 何だっけな? 向こうが適当に聞いてきたのがなんとなく伝わってきたから、俺もなんか、適当に返した気がする。雨降って地固まるとか。喧嘩して仲直りとか。波乱万丈も時には必要とか。そんなところだ」 「死ねって言いたくなる、回答」 「あのなあ。そうは言ってもよ、恋愛経験ゼロの俺には、精いっぱいのアドバイスだったんだよ」  川野さんの話になると、全く興味がないのか、江一郎と健太は二人で話し出していた。  ……当初、三人は、美佐のネタで盛り上がる予定だったらしい。   僕の好みでないのが判明し、会話は意外と盛り上がらなかったのだった。  やがて、僕と亮介も、江一郎と健太が話している、メガヒット映画「ファンタジー物語の冒険」の話題へと移った。      * * * *   正月が過ぎて……。   三学期となった。   始業式の日、川野さんは学校に来なかった。   風邪でも引いたのだろうか?   僕も会いたくなかったので、ちょうど良かった。   ……そう言い聞かせた。   しかし……。   それで終わりではなかった。   次の日も。   また次の日も。   来なかった。   そのまま一週間休み続けた。   翌週になっても、川野さんは学校に来なかった。   段々と心配になってきた。      ある日の放課後。   部活が始まる前に、職員室に行って、担任の中原先生にいろいろと聞いてみることにした。   中原孝雄先生は、剣道部の顧問の毛むくじゃらな大男で、英語の授業を受け持っている。   毛深さが日本人離れしているところから、生徒の間では「外国人」のあだ名がついていた。   職員室に入ると、中原先生はプロテインシェーカーで牛乳とカゼインプロテインをミックスしているところだった。 「超回復しているところ、すいません」 「お、見られてしまったか」 「めっちゃ目立ちますよ……」 「そうか、隠れマッチョしてたのにな」  中原先生は、蓋を開けておいしそうにプロテインを飲んだ。   この人はどこか子供っぽくて、愛嬌がある。   実際に、性格もいたずら好きで、「え、先生なのにそんなことをするの?」ということをしては、僕らをいつも驚かせ、楽しませてくれていた。 「うまい……おいしくて、ついでに筋肉も付いて。プロテインって、世界最高の食材だよなあ、もう」  僕は、中原先生の幸せを奪いたくなかったので、世界最高の食材が喉を潤し終えるのを待った。 「すまんな……待たせて」 「いえいえ」 「品田は体育会系の部活なのに。プロテインは飲まないのか?」 「僕は、肉を食べたり、卵を意識して食べたりして。それで代用しています」  ようやく飲み終えた中原先生は、プロテインシェーカーと月刊「筋トレマニア」を机のわきに置いて、本題に入った。 「それで、今日はどうした?」  腕まくりをする中原先生の激しい毛むくじゃらが気になったが、触れないようにした。 「川野さん、最近休みっぱなしですね」 「先生も川野の風邪、心配なんだ」 「今年の風邪は、随分長引きますね」 「そうだな……」  中原先生は言葉を詰まらせた。  少し思案に暮れた様子で、やがて口を開けた。 「川野は、……本当は、風邪じゃないんだ」 「やっぱり、そうだったんですか」  僕があっさりと返事したのが意外だったのか、逆に先生は意表を突かれたようだ。 「驚かないんだな」 「まあ」  僕は続けた。 「それで、本当の理由は何ですか?」 「それが……分からなくて困っているんだ」 「分からない?」  中原先生は、大きくうなずいた。 「ああ。突然、ある日を境に。スイッチが切れたように、ご両親とは何も話さなくなったそうで。……家でもほとんど無言らしいぞ。一日中何もせず、部屋に引きこもって、じっとしているんだとか」 「何もしないって……どうして?」 「先生もお見舞いに行ったんだが、やはり無言だったな」  毛むくじゃらでガタイの良い中原先生と一対一になったら、普段通りだったとしても、川野さんは怯えながら逃げてしまう気がした。  それにしても、川野さんがそれほどまでに傷ついているのは意外だった。  それも全部、演技なの……?  本当に……演技?  僕はたどたどしく返事をした。 「そう……でしたか」 「遠くを見ているような瞳で、心ここにあらずというか」 「……放心状態ってことですか?」  先生はキッと僕を見た。 「品田は、何か知らないのか?」 「いや、僕は……」  僕はうつむいた。  しばし無言。  ようやく口を開く。 「何も知らないです」  僕の返事に、中原先生は苦笑い。 「だよな。……彼女、友達少ないみたいだからなあ。同性でも、川野のことを深く知っている友達がいないみたいだからな」  その後も少し話をしたが、特に進展はなかった。  僕は先生にお礼を言って、職員室を出た。  だいぶ遅くなっちゃったけど、そのまま一直線に、部活へと向かった。   僕にはもう、関係ないよ……。  別れたのだから、もう赤の他人。  関係ない。  関係ない。  そう、関係ないんだ。  関係ない……はずなんだけど。  元彼氏の経験上言わせてもらうと、このままいくと、川野さん。  暴走してしまいそうな気がしてならない……。 「あ、そうだ」  ふと思い出したことがあった。  そう言えば別件で、中原先生に報告しなくちゃいけないことがあったな。  明日でも良かったんだけど、僕は無理やりこじつけて、再び職員室へと戻った。  職員室に入ると、中原先生は電話で話をしていた。  僕のことをすぐに気づいてくれたけど、電話は続く。 「はい、いつもお世話になっております。そうですねえ、三学期はなかなか、……そうなんですよ」  僕はまごまごしながら聞いていた。  中原先生の会話はなかなか終わらない。  五分後。  電話はようやく終わる。  毛むくじゃらの手で受話器を置くと同時に、中原先生は僕に話しかけてくれた。 「ごめんな、品田。……あ」  再びの着信音。  申し訳なさそうに、中原先生は電話に出た。 「はい、中原です」  学校の先生って、忙しいなあ。  また、長電話かもしれない。  いや、五分て、短い方か。  あんまり遅くなると、部活に響くから、もういいか。  別に今日、伝える必要があるわけでもないし。 「え! いなくなった!」  突然、裏返った中原先生の声。  僕は、落ち着いて耳を傾けた。 「川野が、家にいない……?」 「か、川、野……さん?」  言葉と想いが、途切れ途切れだった。  気持ちがついていけない僕を置いてけぼりにして、中原先生は話し続ける。 「いそうなところとか、ありませんか? 心当たりは? ……警察には、連絡されたのですか? ……そうですね、なるほど」  中原先生は、一生懸命にメモをしている。  恐れていたことが起きてしまったというか。  やっぱり、暴走しちゃったんだ……。 「ぼ、僕は……」  自分でも不思議なぐらい、掠れた声だった。  先生はまだ、話を続けているようだ。  僕は、静かに職員室を出た。  たぶん、僕が帰っても気づかないだろう……。  そのぐらい、気が動転しているのが見てとれた。  僕には、関係ない。  関係ない。  全く関係がない。  関係が……ない。  関係が……。  やめた。  なんか、ズルしているような気がした。  無理やり、自分にウソをついているのが、苦しくなってきた。  関係ないわけ、ないじゃないか。  僕がクリスマスイブに振ってから、川野さんの様子がおかしくなったんだ。  それがすべて。  そう。  それが……すべてだ。  もう、よそう。  自分にウソをつくのはやめだ。  このまま放置して、誰の特になる?  誰が幸せになれる?  みんな、苦しいだけじゃないか。  僕だって苦しい。  先生だって。  ご家族だって。  川野さんだって、苦しいはずなんだ。  僕は居ても立っても居られなくなり、階段をひたすら上った。  僕は、……なぜ別れてしまったのか、自分でもよく分からなかった。  そうせざるを得なかった。  それは分かって欲しい。  不可抗力だったんだと。  そう、何度も言い聞かせた。  自分で自分を洗脳した。  そうでもしなければ、おかしくなってしまいそうだった。  そのぐらい、僕は不安定だった。  僕は……本当に愚かな奴だった。
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