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第六章 失踪先
なんとなく見当はついた。
おそらく、あそこにいる。
以前に僕が疑って、川野さんを連れてきた場所……。
疑いを晴らすために、象徴的に、衝動的に、そこへ足を運ぶ気がしてならなかった。
僕は校内の階段をひたすらのぼった。
学校の頂上へと向けて。
そして、案の定……そこにいた。
寒空の下、屋上の柵に寄りかかりながら、亡霊のように立つ女の子。
「川野さん」
ボーイッシュな髪型をした、制服姿の少女が振り向いた。
とてもうつろな目つきをしている。
何も説明がなければ、麻薬中毒者と勘違いするかもしれない。
それはいくらなんでも言い過ぎだけど……。
でも、あまりにも顔がげっそりしていて、僕の彼女だった人と同一人物とは思えなかった。
そのぐらい、ほおがやせこけて、かわいそうなぐらい憔悴しきっていた。
それでも面影があり、やはり川野さんだった。
僕の顔を見るなり、川野さんは言った。
「こ、来ないで……下さい」
そう言いながら、不安げに川野さんはナイフを見せた。
……声が違う。
声色が変わるほど、体調が弱っているということだろうか。
いずれにしろ、身体的、精神的にとても危険な状態にあるということだけは強く伝わってきた。
手をぶるぶる震わせながら、ナイフを天に向けた。
「これ以上近づくと、……し、品田くんに。刺して……しまいますよ」
そんな怯えた手つきで、人を刺すことは出来ないよ。
いや、逆に怖がっているから、手違いで刺してしまう可能性は、なきにしもあらずだった。
僕は出来るだけ平然を取り繕い、落ち着いて質問する。
「何でこんなところにいるの?」
「それは……」
迷っているようだった。
目が迷っている。
心が迷っていた。
本音でしゃべるか、それとも……。
言葉すらも迷っていた。
今のスキにナイフを取り上げることも出来たかもしれない。
でも、そんなことはしなかった。
川野さんの方から、心を開いて欲しかった。
首を傾げて、黙ったまま。
ゆっくりと、カサカサした不健康な唇が開く。
「これから、自殺しようと……思いまして」
「……自殺?」
そういえば、僕とはしゃべってくれるんだね。
中原先生の話によると、家では、ご両親が話しかけても、全く話さないらしかったのに……。
お見舞いに行った中原先生とも、全然話さなかったらしいのに。
僕とは……会話してくれるんだね。
二人の間にはまだ、蜘蛛の糸のようなか細い運命の糸が、切れずにつながっているような気がした。
僕は、不安を隠して質問を続けた。
「どうして自殺なんかするの?」
川野さんは、優しく微笑んだ。
「私、心が壊れちゃいました」
「……直せばいいよ」
「もう、元通りに出来ないんです」
「そんなこと……」
「自分では、どうしようもないんです」
「でもね、僕は」
「直し方が分からないんです」
「そう言わな……」
「だから死にます」
その瞬間、恐ろしいほどの自責の念が湧き上がってきた。
人を一人、死へと追いつめるほどのことを、僕はしてしまったのだろうか。
そんな残酷なことを、犯したのか。
ひどいことをしてしまったのか。
でも、でも……。
僕は、本当にダメな奴だった。
口からこぼれ出たのは、情けない言い訳なのだから。
「だって、僕のこと好きじゃないんだろ。騙してたんだろ」
川野さんは、ナイフを構えたまま言った。
「……怪しまれちゃって……ますよね」
「当然」
「た、確かに隠し事はしてましたよ。でも……ですね、……す、す、好きなのは……本当だったんですよ……」
「うそつけよ」
僕は怒鳴った。
怖かったのだろう。
川野さんは震えた声で言った。
「は……はじめて面と向かって、……品田君に好きって言えたのに……そんな声出すんですね」
「ごめん」
「良いんです。フラれたのに、未練がましくてすいませんでした」
川野さんは、うつむきながら首を横に振った。
横顔に、涙のしずくがつたっていた。
「もう……信じてくれないでしょう?」
声が潤んでいた。
震えていた。
生気がなかった。
不安な少女からは、生命の躍動感がまるで感じられない。
「それは」
「私、分かっているんです。だから、……死をもって、品田くんへの愛を捧げますから」
「何を!」
「地面で動かなくなった私を見て、少しでも信用してくれたらうれしいです……行動で示さないと、何も伝わらないですよね」
川野さんはナイフの先端を僕の方に向けた。
威嚇しながら、僕が近づけないようにナイフをキラリと向けつつ、そのまま屋上の柵を、もう片方の手でつかんだ。
「やめろ」
「やめない」
僕は必死に叫ぶ。
「わかった」
「何がわかったんですか?」
「いいから」
川野さんは、泣きまくっていた。
こんなにも人は、悲しい顔をすることが出来るのか。
そうさせた張本人は、僕だった。
僕の疑い深い心が、一人の女の子をここまでボロボロにしたんだ。
「……私が」
声が、悲しみの土砂降り雨にさえぎられていた。
湧き上がる悲愴に、少女は無力だった。
「わ、私が……クリスマスツリーの下で、振られた時の気持ち。プレゼント渡して、喜んでもらおうって……何度もイメージして。夜、眠るとき。目を閉じるといつもその光景が目に浮かんで。……プ、プレゼントだって、何回も選び直して。品田くんが好きな物って何だろうって、一か月も前からずっと一生懸命考えて。……会えない時は、毎日。クリスマスのときめきだけを、楽しみにして、毎日を過ごしていたのに……それを、あんな風に踏みにじるだなんて。……し、品田くんに、分かってなんかもらえないですよ。分かるはずがない。絶対に、死んでも分かるはずがないんです……」
「悪かった」
「そんな一言で、お詫びを済ますつもりなんですか?」
「そ、そういうわけじゃなくて」
「本当にあり得ないです。本当に……本当にあり得ないです。悪過ぎますよ。死ぬほど悪い。実際、……私を死ぬ寸前にまで追い詰めたんですから……ね」
「……ごめん。本当にごめん」
「そんな簡単に謝っていますけど……お詫びしたら、許してもらえると思ったんですか? わ、私が自殺をやめるとでも思ったんですか?」
「ごめんなさい……」
「気の小さい……私が、死ぬことを決意するって。どれだけ重いことなのか、分かりますか?」
「本当にすいません」
「でも、ありがとうございます。……ウソでもいいからお詫びを聞くことが出来て良かったです」
「ウソじゃない!」
「私もそうだと信じたいです。でも……」
「早く、こっちに!」
「ちょっと遅かったですよ……」
再び川野さんは柵を超えようとした。
手からナイフが落ちる。
それを見計らって、僕はサッと止めに入る。
「一緒に死のう。それでいいだろ」
近づいて背中を抱きしめた。
「お詫びして、死ぬのをあきらめてくれるとは思わない。……だから、せめて心中しようよ」
「それは……ダメです」
「ダメだ」
「ダメです」
「僕のこと、信用してないんだろ? 僕も、結論は川野さんと一緒だ。死ぬことで、誠実を示すから」
「……分かりました」
その瞬間、川野さんも僕に抱きつく。
川野さんは、そのまましばらく泣いた。
手に落ちた涙が、温かかった。
生き返ったような温もりを感じた。
「そ、そこまで想ってくれているのなら、私は死なないですよ。死ねないし、それに……」
柵から降りた川野さんは、ダッフルコートのポケットから包装紙にくるまったお菓子を取り出した。
包装紙を開けると、細長いチョコが出てきた。
「仲直りに……スティックチョコ、食べません?」
「いいよ」
「そっち側から、食べて下さい」
仲直りのキスでもしようというのか。
それもいい。
ポキポキと食べながら、川野さんの顔が近づいていく。
かなり近い。
これ以上近づくと……。
と、その時。
自分の内部に、恐ろしいほどの苦しみがまわっていくのを感じた。
すごい勢いで、邪悪な息吹が血流をつたう。
それとともに、急速に力が抜けていく。
「く、苦しい」
急に身体が……やられていった。
「どうしました?」
「う、うう……く、苦しい……あ、ああぁ!」
しびれて動けない。
そのまま崩れ落ちる。
目の前は、真っ暗だった。
何も見えない。
何も感じない。
声も出ない。
耳はかろうじて聞こえた。
聞きたくない言葉だけを、聞くことが出来た。
「騙されていると思ったのに、どうして信用しちゃったんですか? 頭が悪いんじゃないでしょうか」
くそ……。
おかしいとは、確かに思ったんだ。
このまま進んじゃダメだと、考えたんだ。
しかし、そうは言っても。
そうは言っても、人間の行動は理屈で割り切れないんだよ。
「私の電話、聞いちゃったんですよね? 品田くんは素直で、本当に騙しやすいんですから。……毒キノコの粉末とスティックチョコのコラボレーションは、お口に合いましたか? ねえ、お人良し君」
笑いながら、僕は人形のように抱きかかえられた。
情けなくもだっこされて、そのままどこかへと連れされていく……。
「知ってますか? キノコって落雷の後、大量発生するんですよ。防衛本能が働いて、種族を増やそうとするんです。……キズついて勢力を盛り返す点は、私とどこか似ているかもしれませんね。……そう、私のこと。フッたから。……そんな目に合うんですよ。女とキノコは、復讐する生き物なんです。よく覚えておいて下さいね……」
今の……本当に全部、演技だったの?
演技だけで、人はあんなに悲しい涙を流せるの?
僕は、騙されていたの?
とても、そうは見えなかったんだけど。
そうは見えない?
たった今、騙されたばかりなのに。
僕は、お人よし過ぎるんだろうか……。
女の子って、……本当に分からない生き物だ。
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