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二十一時のレイトショー
泣き叫ぶ人々。飛び散る血飛沫。千切れた手足が宙を舞い、鳴り止まない悲鳴のオーケストラ。阿鼻叫喚の地獄絵図。よみがえった亡者たちは、無差別に人を襲う。
二十一時の映画館。私は今、ゾンビ映画を見ている。元彼とその今の彼女の隣席で。目の前のスクリーン以上に地獄だろう。
向こうも当然、気付いている。席に着く時にばっちり目があったし。館内中央付近、あいつは相変わらず彼女を自分の左に座らせるらしい。
私、彼女、あいつ。今日に限ってなんであいつがいる側の通路から入ったんだ私。逆から入っていればこんな思いはしなかったのに。荷物が多すぎるんだよ、左隣のクソ女。映画館に旅行にでも来てんのか。
スクリーンではラグビー部の男がゾンビに喰われている。
「ひっ」
右隣で小さな悲鳴が聞こえた。
よく見たわけじゃないけれど、可愛らしい子だったと思う。私とは真逆みたい。なに、本当はこういう子がタイプだったわけ?
内に巻いた長い髪に、ふんわり大きな袖の服。ちっちゃなカバンを提げて、スカートは意外と短い。あいつにぴたっと寄り添って、小動物みたいに縮こまっている。
左手には見慣れた指輪が光っていた。私が今も捨てきれないものと同じブランド。膝にかけたスーツの上着で、私は思わず自分の左手を隠した。
あいつとは大学の三年生から付き合い始めて、社会人二年目が終わるまで同棲していた。何となくこのまま結婚するのかな、と思っていた。
私と同じくらい、きっとあいつも私を好きでいてくれている。そう思っていたのに、振られた。あっさりと。一ヶ月前に、前触れもなく。他に好きな人が出来たって。
高飛車なチアガールが宙吊りになって解体される。いけすかないキャラが残酷に殺されて、本当はすっきりするシーン。なのに何だかイライラしている。映画に集中し切れない。
「ちっ」
やばい、舌打ちしちゃった。と、思ったら左隣のデカい荷物の女も同時に舌打ちしていた。奇妙な連帯感。
周りの迷惑も考えず、大きなスーツケースを自分の前に置いている女。ゴスロリとでも言えばいいのか、ヒラヒラやフリフリが沢山ついた服を着ている。
普段の私なら一生分かり合えそうにない人間に思えるが、不思議とこの瞬間は友達のように感じていた。
どうして貴女がこんな役なの。スクリーンの女優は、正直チアガールを演じる年齢ではない。かつては紛れもないスターだったのに。しかし度重なるスキャンダルや、気難しい性格で現場と揉めるとかで、いつしか落ち目と呼ばれていた。
そんな彼女が、宙吊りになってバラバラにされている。真に迫る演技だ。はっきり言ってこのシーンだけ浮いてしまうほど、彼女の存在は際立っている。
だからこそ苛立つ。あれだけ気位の高かった彼女が、どうしてこんな端役にプライドをかなぐり捨てて喰らい付いているのか。
プライドの高い女。折り合いをつけるのに、どれほど葛藤したんだろう。私もあとほんの少しでも素直になれていたら、何か違っていたんだろうか? そんなことを考えていたら、なんだか目頭が熱くなってきた。
『Son of a bxxxh!!』
ゾンビの頭がショットガンでぶっ飛ばされる。金髪のヒロインがゾンビに反撃するシーンだ。ただしそのゾンビはかつての恋人で、変わり果てた姿にヒロインはそうと気付いていない。
なんてアイロニーだ。観客の私たちは、ゾンビがヒロインの恋人だと分かっている。けれど画面の彼女だけはそれを知らない。
私とあいつの関係もそうだったんだろうか。私だけが終わっていることに気付いていなくて、滑稽に見えていたのかな。
「ぐすっ」
左隣の女が涙ぐんでいた。つられて私も目から熱いものがこぼれる。レイトショーのゾンビ映画で、二人並んで泣く女。最低の絵面だ。私が映画監督ならこんなシーンは撮らない。
やがて映画は何となく続編を匂わせる中途半端な終わり方をした。約二時間、同じ時間を共有した人間でも受け取り方は違うもので。
「隣の人、すっごく泣いてたよ〜」
なんて、間延びした声が聞こえようものなら。
「泣いて悪いか!!」
思わず私は叫んでいた。
「え、な、何この人」
「い、いいから放っとけよ。行くぞ」
他人のふりをして出口に向かうあいつ。私は顔を覆って、突っ伏してしまった。
あの子はきっとなんで怒鳴られたか分からないだろう。あいつにもきっと分からない。分かられてたまるか。
私だけ、私だけが知っていることだ。別れた相手の人生に、私の役は無い。あるとすれば観客席だけなのだから。
「ん」
左隣から真新しいハンカチが差し出される。私もずっと幼い頃に使った覚えのある、ピンクのキャラクターがプリントされたハンカチ。
「大丈夫、まだ使ってない」
何も言えないまま、私はそれを受け取った。ハンカチにメイクが付くのを躊躇っていると、彼女は「いいから」とだけ言ってくれた。
「クソみたいな映画だったね」
「……わかる」
ハンカチには黒や茶色がべったり付いてしまった。ずっとこびりついていたような、私のちっぽけなプライド。
「「だけど、あの女優は悪くなかった」」
言葉が重なり、思わず顔を見合わせる。間抜けな顔を突き合わせて、思わず声を出して笑い合う。
「酷い顔」
「そっちこそ」
きっとこの夜だけだろう。逆側から席についていたら出会うこともなかった。もしそうしていたなら、私は今でも気持ちを引き摺っていたかもしれない。それこそゾンビみたいによみがえって、あいつの家を訪ねていたかも。
「この後、時間ある?」
自然と口にしていた。彼女は「もちろん」と頷いてくれた。未練がましく指にはめていたリングを外す。こうも簡単なことだとは思わなかった。
「なにそれ?」
「ゾンビみたいなもん」
こんなもの想い出ごと撃ち殺して、埋葬してしまおう。二度と、よみがえらないように。
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