2話おまけ:松永幸太編

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2話おまけ:松永幸太編

「……やってしまったな」  書き上げた台本を前に、俺は難儀している。それもこれも、今日の出来事と己の短慮が原因だ。  毎年4月には、演劇サークルに女子が溢れる。佐伯狙いだと分かっているが、中には本当に頑張るつもりの子がいるかもしれない。期待して、打ちのめされるのはもういい。ただ、今回は夏公演後も残ったから少しは期待した。  佐伯は、ラフレシアか何かだと思う。女子を引き込む力がある。まぁ、興味がないどころか苦手にしているが。集まってしまう事について、アイツを責める事はできない。そのように振る舞った結果ではなく、勝手に集まるのだから。  それでも俺は毎年期待し、毎年落胆する。今回はその度合いも深くてつい言い合いになった。俺が一方的にだが。  それにしても勝手に短気を起こした結果、公衆の面前で「BL劇をやる!」と言ってしまったのはまずかった。まったく、これっぽっちも直しが手に付かない。  そもそも俺はそういう趣味はない。読み物としてもそういうジャンルに手を出した事がない。その為、想像が出来ない。結果、直せない。  いや、聖女役を神父にすればいい。セリフは語尾を直せばいい。ここまでは出来た。だが…………女性役を男にしただけじゃ動きがなよなよしくて不自然だ。神父は女性じゃない。  いっそ佐伯が言った通り男に女装させればいいのかもしれないが、今更言ったことを引っ込めるのも癪だ。  今回の劇は、温めていたものだ。  美しいヴァンパイアと、敵対するはずの聖女。ヴァンパイアはその希有な血を求めて近づく。油断させて食らうつもりでいた聖女は素直で純真。人のフリをして近づくヴァンパイアに気づきもせずに笑いかけてくる。  明日にしよう。明日にしようと食うのを先延ばしにするヴァンパイアは、やがて己の感情に気づき当惑する。いつの間にか娘を好いていた事に危機感を感じる。  そして聖女もまた、何も知らずにヴァンパイアを想い慕うようになっていく。  聖女がヴァンパイアの正体を知った時の葛藤。愛しいと想った男がまさか神の敵であるとは。そして気づかれたヴァンパイアの悲しみ。初めて己という存在を憎らしく思う。  悲恋、葛藤、それを越えていく愛の物語。  お題はありきたりだ。だがこれは、佐伯春信という役者を引き立てると思った。中性的でミステリアス。視線で他者を惑わすくらいには色気がある。  あいつは芸能界には入らないと言っている。これも、一時の戯れなんだと。だけど俺は、アイツはこんな大学のサークルレベルで終わっていいとは思っていない。  演じている時の佐伯の顔を俺は知っている。役になりきっているような表情、動き、振る舞い、声。まるで演じている役が憑依したようだ。  こいつを大学で終わらせたら、演劇界の損失になるんじゃないか。そうとすら思えた。そしてそんな凄い役者が、俺の書いた台本を演じてくれる。  アイツを更に先に押し上げたい。これは、その為の台本だ。  なのに! よりにもよって勢いでBL劇にするとか言ったのか俺はぁぁぁ。 「……ダメだ、走ろう」  黙って机に向かっても埒が明かない。諦めた俺は気分転換にジャージに着替え、携帯と財布だけを持って夜間のランニングに出る事にした。  体を動かす事はいい気分転換になる。家を出て、近くの公園まで。そこそこ広い公園は外周を走る人も多い。そうして10周くらい走って休憩にベンチの近くまできてストレッチをしていると、不意に足下に犬が一匹近づいてきた。 「ん?」  大きなくりくりの目、顔の半分が耳なんじゃないかと思う大きな三角耳、笑っているような口元。胴長短足で、お尻がムチムチで短い尻尾を振るとプリプリと尻振りしているように見える。  首にはちゃんと赤い首輪がしてあり、リードを引きずってきている。どうやら飼い主の手を逃れてきたらしい。 「ははっ、可愛いなお前。飼い主どうした?」 「わん!」  しゃがんだ俺の膝に前足をかけ、犬は元気よく吠える。好意的なんだろう事は分かるが……どうしたものか。 「リッツ~」  不意に声がして、俺は犬から視線を上げた。そしてそこに、意外な知り合いを見た。 「朝比奈?」 「あっ、監督」  ジーンズにパーカーというラフな格好をした彼は、同じ演劇サークルの仲間の朝比奈由馬(あさひなゆうま)だった。長めのボブに、男にしては可愛い顔をした小柄な彼はなかなかにいい演技をする。将来的にもこっちの道を模索しているらしいと、他の奴が言っていた。 「わふ!」 「ん? お前のご主人様は朝比奈だったのか」 「わふ!」  へっへっと舌を垂らしながらも嬉しそうな犬の首元をワシワシと撫でてやると、喜んでいるのが伝わってくる。そうする間に朝比奈は犬のリードを手に取った。 「すみません、お手数かけました」 「いや、いいよ。散歩か?」 「はい。粗相を処理しようとした時にやられちゃって」 「なるほど。あまりご主人を困らせちゃだめだぞ」 「わふぅ」  クリクリと首元を更に撫でながら言うと、犬は小さく鳴いた。 「監督はランニングですか?」 「あぁ、まぁな。どーにも、台本の直しが迷走中だ」  グッと腕を振り上げて背中を伸ばす俺に、朝比奈は「あぁ」と気のない返事。サークルではもう少し愛想のある奴だったと思うが。 「本当に、BL劇にするつもりですか?」 「言ってしまったからな。これで男に女役やらせる事にしたら、佐伯にバカにされる。そればかりは腹が立つ」 「お二人、仲いいですよね」 「まぁ、高校時代からの腐れ縁だしな」  衝撃的な出会いでもあった。あいつ、席間違えて俺の机で爆睡してやがった。そこから、なんだよな。 「……配役、決めたんですか?」 「いや、佐伯以外は一旦白紙に戻す。台本直して配り直して、二週間後くらいにオーディションかな。合宿前には配役決める」 「……ですか」 「その為には台本今日中だってのに、BLってよく分からなくてな。参考に本を買おうにも、この時間じゃ本屋まで行くのがしんどい」  あと1時間で日付が変わる。駅前のデカい書店は開いてるだろうが、客の少ない時間にそういう本を持ってレジに行く勇気がまずな。絶対に後で店員に噂されるだろう。 「……よければ、貸しましょうか」 「え?」 「本。必要なんですよね」 「まぁ。って、お前持ってるのか!」  見た目に可愛い奴だとは思うけれど、まさかBL本持ってるのか。もしかして、そっちなのか? いや、別にいいとは思うが。 「俺、腐男子なんです。一人だし、よければこれからでも貸しますけれど」 「腐男子……か?」 「ちなみに、性癖は自覚ありませんが特別男が好きという趣向はしていませんので安心してください。読み物として、好きなんです」 「なるほど」  まぁ、そういう奴が圧倒的に多いだろうな。それに、貸してくれるというなら助かる。明日は午後からだから、徹夜して朝寝るでもいい。 「すまない、頼めるか?」 「はい。ここから5分くらいですので」  リードを持った朝比奈について一緒に歩き始めると、小柄さがよく分かる。当然か、俺が181cmあるんだ。 「どうしました?」 「いや、小柄だとは思っていたんだが。並ぶと余計にそう思えてな」 「監督は大きいですよね。少し羨ましいです」 「そうか? デカいだけと言われるけれどな」 「その人、見る目ないですね。監督、けっこう格好いいと思いますよ」 「!」  視線は合わないまま、朝比奈は真っ直ぐ前を見ている。その横で俺は耳が熱くなっていくのを感じた。  自分が非モテであることは十分理解している。高校時代付き合っていた彼女もいたが、そうそう長続きもしなかった。だから、「格好いい」なんて言われたのは随分久しぶりだ。 「そうか? あまりモテないんだが」 「王子が側にいるからですよ、きっと」 「あぁ…………それはな」  佐伯のキラキラしたオーラは周囲を霞ませる。が、本人はあまり他を霞ませている自覚はない。  それに、これを理由にあいつを遠ざけるのは違うと思っている。今でも親しい相手なんて数えるくらいだ。人間不信のきらいがある奴だから余計に、親しい相手に溺れる傾向もあるしな。 「でも、あいつは友人だからな」 「……ですか」  素っ気ない返答をする朝比奈の足が止まる。リノベーションマンションへと上がっていく彼について、俺も2階の一室を訪ねた。  あまり物がない、簡素な1DK。だがそこに大型の書棚が目を引く。  犬の足を丁寧に拭いてやってから、朝比奈に招かれるまま上がらせてもらった。 「読みやすいの、見繕いますか?」 「あぁ、頼む」  布のカバンを取り出し、書棚に向かう朝比奈はぱっぱと数冊を放り込んでいく。そしてそれを俺に渡してきた。 「こんな所だと思います」 「あぁ、有り難う」 「それと、ネットにはけっこう転がってますよ」 「……ん?」 「BL。素人さんのが大半なんで、当たり外れはあるかもしれませんが」 「…………あ」  そうか、そういうのも確かにあるな。  思い至らなかった自分が多少恥ずかしい。そもそも俺は本は紙派で、ネットでそういう読み物を探す事があまりない。が、こういう時は便利なんだろう。失念だ。思わず口元を手で撫でると、朝比奈がやんわりと微笑む。「仕方ないな」と、言わんばかりに。 「返却、いつでもいいので」 「あぁ、悪いな」 「いえ」 「あっ、今度お礼」 「いいですよ、監督にはサークルでお世話になってますから」  笑いかけてくれたのは、ほんの一瞬。でもその一瞬がひどく印象的に残る。 「さっ、台本書かないと間に合いませんよ」 「あ! 悪い、また今度!」 「えぇ」  送り出されて、俺は本を抱えて自分の家に戻ってくる。まだ日付は跨いでいない。とりあえずはとベッドに腰掛けて借りた漫画を開いた俺は、少しずつその世界観を理解し始めた。  男が男に惚れてしまった葛藤、というのは分かる気がする。普通は戸惑うだろう。それでも、その人を好きになったのだと分かる。悩み、こんな事言えないと思う度に押し寄せる純粋な愛しさと、諦めきれない苦しさ。 「これは……確かに読み物としても十分いいな」  男女ならなんの障壁もない。惹かれ合えば思いを伝え、上手くいけば付き合える。それは社会的にもその形が当然という認識がされているからであり、とても正しい形だからだ。  だが、同性では当然ではない。最近認識が寛容になってはきているが、まだまだこれが「当たり前」ということにはなっていないだろう。  だからこその苦しみ、その苦しみを越えて結ばれるという純粋な愛がある。  が、ここからが俺にはカルチャーショックだった。  思いを伝え合った二人の濃厚なセックスシーンに、俺は目のやり場がない。切ない顔をして相手を受け入れる主人公や、男の目で男を抱く相手の様子。局部に寄るような描写や、喘ぎ声、濡れ感。さっきまでの胸に迫る心理描写とはまた別種のものが展開される。 「う…………わぁ…………」  考えれば納得はした。尻の穴しか、突っ込む場所ないよな。あと、当然相手にもついてるよな。お互い舐め合う……のか? うぁ、これは……。  付き合ってからも色々と困難がある。相手の男に迫る女子や、両親に理解されずに苦しむ様子。離れてしまえば楽なのかもしれないが、互いに想う為に離れられない辛さ。そして感じる愛情。  途中、数度あるエロシーンで頭が真っ白になるものの、最終的に幸せになっていくのは好ましい。  読み終えて、2時間くらいが経っている事に気づいたけれど、俺の頭の中はしっかりBLを掴んだ感じがあった。 「よし、やるか」  劇ではあんな生々しい濡れ場は入らない。匂わせて暗転でいい。そして神父だけじゃなく、佐伯の役にも変更を入れなければ。  ただ、今あるシナリオのパワーバランスは変えない。あくまでリードは佐伯で、神父は少し気が弱い。悪魔を倒すエクソシストでも、魔を払う騎士でもなく、田舎町にある小さな教会を預かる神父だ。 「いいぞ、進む」  ヴァンパイアは神父を食おうとする。聖職者を食らえばそれだけ力がつくからだ。  神父は純粋に、訪れるヴァンパイアを人間と思い接する。温かく素直で純粋で、誰を疑うこともない優しさで包むように。  心地よい空気に触れたヴァンパイアの方が先に惚れる。純朴な神父の人柄を好く。そして神父もまた、いけないと分かりながらも惹かれていく。 「キスくらいは入れてもいいか。フリ、だしな」  あと、クライマックスも用意しておこう。 「よしよし、間に合うぞ」  一気に書き上げた俺は通しで読んで頷く。主役のヴァンパイア、同じく主役の神父。準主役には悪魔と、神父の友人。教会に訪れる人物や、ヴァンパイアの被害を訴える者もいる。ヴァンパイアを倒そうとする村長の息子なんかも。  やっぱり今回も人数がギリギリだ。大きく公演をするわりに少人数なんだよな。 「はぁ…………」  それにしても、役作りにと佐伯が連れて行ったあいつ、大丈夫だろうか。確か1年の青井……だったな。舞台セットと小道具がやりたいと言った奴だ。仕事が丁寧で気も利くから、かなり助かるんだが。今頃、振り回されてなきゃいいが。  珍しく佐伯から近づいていった相手だから少し様子を見るが、あまりに辛そうなら佐伯に言っておかないといけないだろう。  時計は午前4時。シャワーも浴びていなかったのを思いだした俺はのそりと動き欠伸ひとつをして、バスルームへと向かっていった。
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