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3話:青井孝通編
授業も終わってスマホを確認すると、先輩からメッセージが入っていた。
『授業は終わったけど、松永に呼び出されちゃった。玄関で待ってて』
松永先輩に呼び出しって……台本の事だろうか。でも、演者じゃない俺にはあまり関係ない。道具なんかはそのまま使えそうだし、変更があれば松永先輩から個別に話があるはずだし。
大人しく玄関で待つ事10分、遠目に佐伯先輩が見えた。
「ごめん、待った?」
「あぁ、いえ」
それにしても、本当に目立つよな。遠くからでもキラキラオーラが分かるんだから。
そしてそこに並ぶのが俺みたいな地味。多分並んだ途端空気だな、俺。
「お疲れ様です」
「うん、お疲れ。あっ、先にこれ渡しておくね」
手持ちのカバンからガサゴソと出してきたのは、新しい台本。それを俺に渡してくる。でも、俺はあまり必要ではないのに。
「あの、俺演者じゃないんで台本は」
「え? だって、俺の読み合わせ手伝ってくれるんだよね?」
「え?」
あれ? そんな話したっけ? え? ってかそもそも、どうして一緒にいるんだっけ?
「役作り、手伝ってくれるんでしょ?」
「あ…………え? 読み合わせ?」
含む、の?
慌てて佐伯先輩を見上げると、にっこりと笑い返されてしまった。
「よろしくね、タカくん」
「…………はは」
マジかよ……。
「でもまずは、お鍋が食べたい!」
「あっ、はい」
約束してしまったんだから、そこはきっちり。隣をとても楽しそうに歩く佐伯先輩を見ると、なんだか毒気が抜ける。今日、楽しみにしてくれたのかな? と、思えてくる。そうだと、俺も嬉しいんだよな。
家の近くのスーパーで鍋の材料を買う事にした。佐伯先輩は俺の隣についてくるけれど、色々と見回している。楽しそうに目を輝かせて。
「まずは鍋つゆ決めましょうか」
「出汁とってやるんじゃないの?」
「時間があればそれもいいですが、今は失敗知らずな時短便利なつゆがあります」
案外しっかり料理を食べてきたんだろうな。だがしかし! 便利なものは使うべきだ。
鍋つゆコーナーは季節柄もあって充実している。定番の寄せ鍋、人気のキムチ鍋、こってり美味しい味噌鍋や、最近流行の豆乳、あご出汁。トマト鍋やカレー鍋もある。あと、今年はやたらと出汁しゃぶ鍋が出ている。ワイン鍋って、美味しいのか?
「うわ……凄く沢山あるんだね」
「どれがいいですか?」
「うーん、悩む……これ、面白いね」
そう言って真っ先に手に取ったのがワイン鍋って、冒険したいんですか。
「それは、やめましょう。味の保証ができません」
「ん? そうなの?」
「食べた事ないので」
「そうなんだ。あっ、でもこれがいいわけじゃないよ。面白いなって思って」
「時間かけると遅くなりますよ」
「あっ、それは困るね。えっと…………あ、これいいかも」
そう言って手に取ったのは味噌鍋だ。こってりとした濃い味が美味しいですね。
「了解です。それじゃ、野菜コーナー戻りましょうか」
カートを押しながら鍋つゆの後を確認。そうして野菜コーナーに戻ってきて、まずは野菜だ。
「白菜とキャベツ、どっちにしますか?」
味噌鍋なら多分どっちでも美味しい。俺的には白菜なんだけれど。
「タカくんはどっち使ってるの?」
「普段は白菜です、旬ですし。でも味噌ならキャベツも合うと思いますよ。甘みが出ます」
「そうなんだ。うーん、でも白菜か」
隣り合う二つを見比べて、佐伯先輩は白菜を手に取った。
「あっ、二人分ならそんなに量いらないんで1/8でいいです」
「そうなの?」
「はい、その分他の物入れますから」
キノコは椎茸としめじ。もやしとニラも入れる。後は人参だ。
「肉は豚バラ」
「鶏つくねって書いてあるよ?」
「いいですね。市販もありますし」
精肉コーナーで豚バラと、整形済みの生つくね(生姜入り)を放り込む。あとは……。
「シメ、どうしますか? ラーメンか、雑炊か」
鍋つゆの裏には「〆はラーメン」と書いてあるけれど、俺的には味噌雑炊も悪くない。まとめて炊いておいた米も冷凍してあるし、卵は家にある。
これは好みだからと先輩に聞いてみると、先輩も悩んでいるみたいだった。
「どっちも好き」
「米は冷凍のが家にあるんで、それ使えばいいですよ。ラーメンなら買っていかないと」
「うーん…………米!」
「じゃあ、これで全部ですね」
「あっ、お酒欲しい。タカくんも飲む?」
「あぁ、いえ。ってか、先輩お酒飲むんですね」
そういえば、サークルの飲み会とか打ち合わせで佐伯先輩がお酒飲んでるの見たことがないかも。まだ1回しか参加してないけど。
「うん、好きだよ。お鍋にお酒って、なんかいいなって思ったんだ。よくさ、ドラマとかでは定番じゃない?」
「あぁ、かもですね」
「鍋なんて、大学入ってからした事ないしね。せっかくなら」
「え! そう、なんですか?」
大学入って鍋をした事がない? 俺なんて今年もう1回してる。夏に食べるキムチ鍋も美味しいんだよな。
でも……先輩一人暮らしで、料理もしないならそうなるのか。誰か呼んで……って、松永先輩といるところしか見たことがない。松永先輩って、確か実家暮らしだし。そうなったら、やらないのかな。
ちょっと、胸の辺りがキュッとする。そういえば、外食なんだっけ。一人、なのかな。それはちょっと、寂しいよな。
「あの、俺もお酒お付き合いします」
「え? でも、いいの?」
「はい。明日、休みですし」
実は本日金曜日。明日は午後からサークルの練習があるけれど、朝はゆっくりできるから。
「でも、あまり強くないんで1本だけですけど」
「うん! 嬉しい」
「!」
満面の笑みで返されて、俺の心臓は妙な感じでドキドキする。この先輩、本当に心臓に悪い。顔がいいから!
お酒コーナーで人気だという檸檬酎ハイを買った。当然一番弱いやつだ。先輩は同じ種類の一番強いのを買っている。嬉しそうだ。
「ねぇ、アイスも買っていい?」
「あぁ、はい」
アイスを二つ追加。俺はバニラで、先輩はストロベリー。これで買い物を終えて、先輩が荷物を二つ、俺は一つ。案外男らしいのかもしれない。
かくして俺の家に先輩が来て、珍しそうに見回している。そしてその目は突然輝いた。
「こたつだ!!」
「あぁ、はい」
実家から持ってきた小さめのこたつは冬の季節に重宝する。時々そのまま寝て、明け方にくしゃみと言う事もあるのだ。
先輩は大はしゃぎでこたつに入り込み、ちょっと哀しい顔をした。
「温かくない」
「電源入れてませんから。先に手を洗って、鍋の準備しちゃいますよ」
俺はさっさと手を洗って、お酒とアイスを冷蔵庫に放り込んだ。
「ってか、タカくん冷蔵庫大きくない? これ、単身用?」
「あっ、違います。二人暮らし用くらいで、ちゃんとチルド室もありますよ」
自炊もするから冷蔵庫はそこそこ大きいのを買った。これからも使うし。
先輩は開けたばかりの冷蔵庫の中身をチラリと見て目を輝かせている。常備菜と飲み物くらいしかないのに。
「これ漬物?」
「はい」
「こっちは蓮根きんぴら?」
「はい。好きなんで」
「一杯入ってるね。全部自分で作ったの?」
「佃煮は違いますけど、他は」
「本当に料理するんだね!」
……食べたいんだろうか? 鍋だけど。
「あの、鍋作ります?」
「作る! 手洗ってくるね」
よかった、当初の目的を思いだした。
丁寧に手を洗った先輩が俺の隣に立つ。広めとは言え男二人が立って作業するには少し狭い。まずは白菜を取り出し、芯を切り落としてそぎ切りにしてみせる。
「白菜の芯の部分はこういう風に切っていきますけど……できますか?」
「やってみたい」
「刃の進む方に手を置かないように押さえて下さいね。猫の手が基本です。押し潰さないように」
場所を譲って隣で見ていると、先輩は言われた通り恐る恐るという様子で切っている。おっかなびっくりだけれど、ちゃんと切れている。
「うん、出来そう!」
「では、お願いします。葉っぱの部分は適当に」
「うん」
その間に俺は予備を出して肉を切ってしまう。コンロに鍋を出して鍋つゆを入れている間に、先輩はちゃんと白菜を切り終えた。
「出来た! 次なに?」
「えっと、じゃあ人参をお願いします。ヘタの部分と先を切り落として、輪切りにして」
やってみせると、先輩はうんうんと頷いて見ている。輪切りにした人参の皮を剥いてから、俺はガサゴソと金型を出す。お花型の奴だ。
「これを真ん中にして、真っ直ぐ下におろすと……」
「あ! お花型だ!」
これで喜ぶなんて、子供というか……。でも、お弁当とか鍋だと彩りになっていいんだよな。
「余った人参の端っこは俺にください。今度刻んで違う料理に使うので」
「使うの?」
「はい。ピラフとか、スープとか。ちゃんと味が出るんですよ。食べられるんですから、勿体ないですし」
ジップロックにくず野菜を入れてもらう。椎茸の軸もちゃんと食べられるからそれも入れておく。
椎茸は真ん中に十字に切れ込みをいれて。
「もやしのヒゲ取りますよ」
「ヒゲって……これ?」
もやしの根の部分。これを切って水に晒しておくだけで食感が違う。俺がやるのを真似して、先輩ももやしを摘まんではヒゲをぷちぷち取る地味な作業を始める。
「これ、飽きるね」
「でも、これをやるだけでシャキシャキ食感になるんですよ」
「そうなの?」
取っては水の入ったボウルに放り込む。一人でこれをやると時間がかかるけれど、二人だと流石に早い。あっという間だ。
「後はニラを適当に切って、煮込むだけ!」
既にいい感じに煮立った鍋に白菜の芯、人参、きのこ類、肉を入れてまた一煮立ち。白菜の葉の部分、もやし、ニラを入れてグツグツしたらできあがりだ。
「卓上IHを用意するので、器と割り箸お願いします」
一緒に買ってきた使い捨ての器と割り箸を先輩がガサゴソ出してくる。俺はその間に卓上のIHコンロを出してそこに鍋をセッティングする。グツグツ煮える鍋から美味しそうな匂いが立ち上ってきた。
「美味しそうだね。もう食べていい?」
「はい。それでは」
「いただきます」
こたつを挟んで取り箸で鍋から具材を取り分ける。野菜と肉とをバランスよく。それを受け取った先輩は何の疑いもなく箸をつけて口に入れる。そして嬉しそうに咀嚼している。
正直、心配だった。手作りの物が食べられないという先輩がこれを食べてくれるか。でも、嬉しそうな顔で「美味しい!」と言うので安心した。
「どうしたの、なんかほっとした顔して」
「ちゃんと食べてくれて」
「ふふっ、楽しいね。料理って、面白いね。指も切らなかったし」
「はい」
ホクホクした顔で肉団子を摘まむ先輩を見ていると、こっちもほっこりしてくる。俺も摘まんで、賑やかな食卓を思いだした。
「今度また、一緒に食べたいな」
「はい」
「また一緒に作ってもいい?」
「いいですよ。また教えます」
「うん、お願い」
そういえば、弟や妹も最初こんな感じだった。最初はもやしのヒゲ取り、エンドウ豆の筋取り。そんな所から始まったんだった。
「そうだ、お酒もあるんですよね」
「そうだね、出そうか」
「あっ、俺取ってきます」
冷蔵庫からお酒を二本。俺のはアルコール度数も低い。飲んでみると檸檬と蜂蜜の程よい甘さで飲みやすかった。
「美味しいです!」
「えー、いいな。俺にもちょうだい」
「あっ、いいですよ。今コップ……」
缶を置こうとした、その手を掴まれて引かれる。意外と強い力で引かれた先には、佐伯先輩の唇がある。
「っ!!」
「あっ、本当に飲みやすいね」
「んっっ!」
この人、なに? 距離感バグってないか? いや、男同士で回しのみとかしてたけれどさ、俺の腕掴んでそのまま飲むって、それでいいわけ?
心臓がバクバクいっている。僅かに伏せられた目、睫毛が長い。唇、ふにっとしてそう。
「タカくんも飲む?」
「え?」
「俺の。飲んでみる?」
そう言ってプルトップの空いた缶を渡されて一口。瞬間、むせた。
「うっ、強いですよぉ」
「そう?」
俺が飲んだのを気にもしないでグビッと飲み込む佐伯先輩を、俺は呆然と見ている。この人、天然で隙だらけな気がしてきた。絶対に危ないと思う。
お酒を飲みながら鍋を食べて、〆に雑炊まで食べたら腹が一杯だ。正直もう入らない。
「食べたね~」
「ですねー」
「こたつ気持ちいいね~」
「そうですねー」
鍋も片付けて二人、向かい合ってこたつの住人になっている。腹が苦しくて動く気になれない。机に頭を預けていると、不意に髪に触れる指を感じてそちらを見た。
楽しそうに、佐伯先輩が俺の髪に触れている。優しい目で。
「タカくんの髪って、柔らかいね」
「そうですか?」
「うん。気持ちいい」
そんな事、自分では感じないんだけれど。今自分で触ってみても、特別柔らかいとは思わない。
でも、まぁいいか。先輩が満足なら、それでいいんだろう。
「なんか、こたつが人をダメにするって分かる気がしてきた。これは動けないね」
「でもダメですよ、ここで寝たら。風邪引きます」
「じゃあ、寝ないように何かしないと……あっ、そうだ!」
何か思いついたのか、佐伯先輩がカバンから台本を取り出してくる。それをこたつの真ん中に置いた。
「読み合わせしようよ、タカくん」
「え!」
読み合わせって…………台本の! いや、無理無理無理無理無理!!
「俺、小学校のお遊戯会でも木その1ですよ!」
「大丈夫だよ~」
何を持って大丈夫と言うのこの先輩!
俺の焦りなんて気にもせず、先輩は冒頭の部分を指さす。夜の教会で、神父とヴァンパイアが初めて顔を合わせるシーンだ。
「ここからね。タカくんから」
「うぅ……下手くそでも笑わないでくださいよ」
もう、こうなったらやるしかない! 多分拒んでも押し切られる気がする。
息を吸って、俺は一生懸命台本を読んだ。
『コ、今宵ノレ、礼拝……ハ、スデニ終ワッテェ』
「え、ちょっと待って。もう少し緊張解いて。ね? どうしたらそんなカチコチになるの?」
「だって!」
舞台を見るのは好きだ。でも、演じるとなれば話は別だ。どうしたらすらすら出てくるのか分かりもしない。
でも佐伯先輩は笑っている。ニコニコと。
「会話と同じ。俺と話をするような気持ちで。ニュアンスが変わらなければ多少違ったっていいんだよ」
「そんな!」
「じゃあ、シーンを変えて俺が演じてみるよ。あっ、動きも少しつけるからね」
ざっと台本に目を通した佐伯先輩が、中盤くらいでページを固定して読み込む。そして俺を立たせて、その前に立った。
スッと息をする、瞬間飲み込まれる。にこにこしていた目が妖艶に輝き、顔には苦しみや悲しみ、そして愛しさのようなものが浮かぶ。それらと戦っているような目だ。
『私と君は相容れない。出会ってはいけなかったのだ』
苦悩を滲ませるように眉根が寄り、手首を掴まれる。その握りの強さに驚いてしまう。鬼気迫るような空気を全身に浴びている。俺は自然と恐れるように一歩引いたけれど、佐伯先輩はそれを許してくれない。繋ぎ止めるように俺を離さない。
『私の短慮だった。出会ってしまった。そして君の真っ直ぐな心に射貫かれ、己の存在を呪う事になってしまった。何故、君は人間で神父なのか。何故私はヴァンパイアで、君の敵なのだろうか』
「はっ、離して……」
『離しはしない、どうか聞いてくれ。私は君を愛してしまった。君の血ではなく、君の心が欲しくなってしまった』
掴まれている手を強引に引かれ、抱き留められる。ドキドキとうるさい俺の心臓の音が聞こえてしまいそうで恥ずかしい。離れたくて腕を突っ張るけれど、佐伯先輩はより強く抱きしめてきた。
『拒まないでくれ、イーデン。君に拒まれたら、私の心は潰れてしまう。息を吸うこともできなくなってしまう。君と、君の信じる神に誓おう。私は今日を限りに人の血を飲まない。それが君といるために必要な試練だというなら喜んで受けよう。だから、どうか離れて行かないでくれ』
切ない響き。演技と分かっていても感情を引きずられる。力が抜けて、胸元に縋るように抱きついた。飲み込まれて、上向かされて近づいてくるイケメンに反応できない。
そのまま触れるだけのキスをされて、離れていっても、俺は呆けたままだった。
「どう? 俺ちゃんとリードしたでしょ?」
「………………!!」
パッと体が離れて、俺は目の前がチカチカしている。何が起っていたの? 何が起ったの!! え、今キスした? 俺、キスしたの!!
「あ、俺、の……初めて……」
「え?」
「ファースト、キス…………」
「…………あ」
「あって!!」
「ごめん!! あの、ごめんね。えっと……あの、本当にごめん」
慌てて謝り倒す先輩に、俺はぷんすか怒ってみせる。だって、そうでもしないとこの空気に耐えられない。もの凄く甘くて切ない空気、どうしろっていうのさ。こんな一世一代の愛の言葉、俺には受け止めきれないよぉ!
「アイスあげるから!」
「……二口ください」
「うん、いいよ」
もう、いつもの先輩。少しふやけた感じの笑顔を浮かべる先輩だ。
でも、危険だとわかった。この人の読み合わせに付き合ってたら、俺はこの人に引きずられてしまいそう。恋をしてしまいそう。それくらい、この人の演技は怖い。俺の意志とか根こそぎ攫っていってしまう。
うん、逃げよう。俺じゃこの人の読み合わせ、力不足だ。
でも、もう少しだけ。嬉しそうに冷凍庫からアイスを持ってきて、俺に「あ~ん」なんてしている先輩は憎めないから、もう少しだけこのままでいたいとも思ってしまう。
「あっ、タカくんのアイスも一口ちょうだい」
「先輩、戯れが過ぎます」
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