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4話:佐伯春信編
翌日、午前中にタカくんの家を出て一回帰宅した。
こう、賑やかな時間を過ごした後で帰るガランとした自宅は、とても冷たくて寂しく感じる。前の時間が楽しければ楽しい程、終わったしまった感じがしてしまう。
この時間が嫌いだ。世界に、俺しかいないような錯覚に陥ってしまう。
なのに、他人を自分の領域に簡単に入れる事ができない。俺の世界はいつも、狭い中でしか動かない。
シャワーを浴びて、着替えて。少し仮眠を取ろうとベッドに寝転がっても、上手く寝付けない。布団の中が冷たくて、昨日のこたつは温かったと思いだして体を小さく丸めた。
分かっている、これは物理的な冷たさとかじゃない。寝心地は絶対に今の方がいい。でも、あそこはとても温かかったから。
そんな事を言っても仕方が無い。目を閉じて、無理矢理寝る。体を横たえるだけでも休まるんだから。
午後からのサークル練習の冒頭で、松永からオーディションの話が出た。俺が主役であるのは変わらず、他は二週間後にオーディションをするそうだ。
ふと、昨日の事を思いだした。お遊戯会よりも下手くそなタカくん。でも、俺がリードした時は悪くなかった。飲まれてくれて、自然と体が動いていた。あれでセリフもついてきたら、きっと神父の役もできるだろうに。
思って、悪い事を考えた。俺はタカくんが神父でいいと思っている。それなら、巻き込んでしまおうと。元々難易度は低い。長セリフは俺と密着している時が多いから、俺が覚えておけば教えてあげられる。困った時は「おぉ、主よ。どうかお助けください」と言って祈ればいい。これ、セリフ飛んだ合図なんだ。
そうだ、読み合わせと称して少しずつ慣してしまおう。
そんな悪い事を考えていると練習が始まる。俺はセリフもほぼ頭に入ってるから、比較的のんびりできる。だからタカくんを目で探したのに、姿がなかった。
「あれ? 松永、タカくんは?」
側にいる松永に声をかけたら、思い切り首を傾げられた。
「タカくんって、誰だ?」
「えっと……あー、メガネの」
「青井か?」
「そうそう!!」
まずい、タカくんって呼んでるからフルネーム忘れる。青井孝通くんだ。ちゃんと覚えておかないと。
「青井なら別部屋だぞ。背景のセット作ってるはずだ」
「えー」
「お前、青井に迷惑かけてないだろうな。あまり困らせるなよ」
「そんなんじゃないよ」
ホント、失礼。別に困らせてないし。…………多分。
思いだしてみると、けっこう一方的だ。もしかして、困らせてたかも。迷惑……だったかな。ファーストキス奪っちゃったし。嫌……だったよね。男だって、そういうの大事にしたい人はいるし。
思ったら、焦った。楽しかったけれど、もしかして嫌われたかもしれない。笑顔だったけれど、本当は嫌々だったんじゃないかって。
「? 佐伯?」
「あっ、えっと。俺、タカくんに用事ある」
「は? いや、今は迷惑だろ。あいつが頑張ってる時にお前が行って邪魔するなよ」
「あ……」
そう、だよな。俺も集中してる時に切られるの嫌だ。
でも、なんか急に不安になってきて落ち着かない。この気持ち、どう消化したらいいんだろう。
悶々とする。こんなの、知らない。多分、会うのが一番だけれど。
「……体、動かしてくるわ」
「? あぁ」
こういう時は少し体を動かしたほうがいい。ストレッチをして、柔軟をして。鏡の前で簡単なダンスレッスン。程よく体が温まって汗をかいたところで止めると、横からタオルが差し出された。
「えっと……朝比奈?」
「お疲れ様です、先輩!」
ニコッと満面の笑みを浮かべる小柄な青年は覚えている。朝比奈由馬、このサークルでは演技の上手い方で本人も頑張っていると思う。顔も可愛いし。時々俺に演技指導を仰ぎに来る。
「先輩のダンスって、軸がぶれなくて綺麗ですよね。僕、どうしても軸足がふらついちゃって」
「あぁ。裸足でやってみたら? 足裏の感覚を鍛えたらいいよ」
筋力とかもあるけれど、足裏でバランスがちゃんと取れるようにならないとブレる。足指のストレッチも俺はしてるし。
「そうなんですね! うわぁ、参考になります」
ニコニコ笑う朝比奈を見ていると、なんだかキャラがブレて見える。こいつはきっと、こんなキャラじゃないと思うんだ。無理してるだけじゃないけれど、取り入りたいのかなって思う。こういう声を、よく聞いたから。
「先輩、主役ですよね? 相手役、誰がいいんですか?」
隣に座って飲み物を差し出してくるのを受け取って飲みながら、頭の中にはタカくんが浮かぶ。純朴というイメージがぴったり。垢抜けない、不器用で、でも真っ直ぐな人物像がぴったりだ。
「実は僕、神父のオーディション受けようと思っていて」
「え? 朝比奈は合わないよ」
「え?」
瞬間、凍り付いたような顔をされた。もしかして俺の推薦があればオーディション有利とか思ったのかな? 俺は口を出さないのに。
「朝比奈は演技力もあるし、癖のあるキャラを演じる方が際立つと思う。悪魔の役なんて、ぴったりだと思うけれど」
そう、この劇には悪魔も出る。ヴァンパイアの知り合いで、ヴァンパイアが神父に惚れた事が面白くなくて村人を殺して回る。そして、神父を殺そうとする。
悪戯好きで気分屋で、悪魔らしい悪魔。けれど最後には神父の純愛には届かない。
朝比奈は、ショックを受けたような顔をする。それでも笑っている。これが、他の猫かぶりのおべっかとは違う所。こんな風に言ってもこいつはかじり付いてくる。堪えて、踏ん張って、歯を食いしばってついてくる。母から言わせると、これが芸能界では必要なのだそうだ。
「先輩がそういうなら、そうなのかも。ダブルで受けてみようかな」
「大変だよ?」
「でも、やってみたいので」
「……そう」
まぁ、頑張りたいと思うなら頑張ったらいいと思う。レベル的に松永が朝比奈を演者から外すはずがない。ちゃんとやれるんだから、それなりに難しい役を当てるはずだ。
「一旦休憩! あと、オーディション受ける役決まってるならエントリー受け付けるぞー」
「あっ、僕行ってきますね」
「あぁ、うん」
行ってしまう朝比奈を見送って、俺は立ち上がる。そしてやっぱりタカくんが気になって、もう一つの教室へと足を向けた。
レッスン用の教室の他に、倉庫として使用する場所を借りている。小物や背景セットが置いてあって、小物作りなんかは大抵そこで行っている。
中を覗くとそこにはタカくんだけで、机に向かって背中を丸め、何かをしている。こっそり近づいて上から覗き込んだら、何やら装飾を作っていた。
「それ、十字架?」
「うひぃぃ!」
びっくりした猫みたいな感じで振り向いたタカくんの、ちょっと間の抜けた顔が面白い。耳も少し赤い。恥ずかしいのかな?
「あははっ、びっくりした?」
「も、驚かせないでください!」
「ごめんごめん。姿が見えなくてさ」
不思議だよね、さっきまで不安だったのに今はそんなのどこかいっちゃった。ただ、顔を見ただけなのに。
「何か用事でしたか?」
「ううん。何してるのかな? って」
「装飾作ってたんです。背景の塗装が乾くまで少し時間がかかるので」
離れた所を見ると、背景が平らな場所に置かれている。森の背景だ。
「上手いよね。これ、タカくんが書いてるの?」
「はい。元になる写真とかを参考に、舞台なので少しオーバーに書いてます。スクリーンも使いますけど、合わせ技で立体感がないと」
「君が入ってから、仕事が丁寧だよね」
「そう、ですか?」
なんか、ムズムズしてる。嬉しそう。まぁ、自分の仕事が褒められれば嬉しいのが当たり前だよね。可愛い。
耳まで赤くなって、嬉しそうにしているのを見るとザワザワする。気づいたら、抱きしめてた。そこで、気づいた。
「あの、先輩?」
パッと手を離して、その手の持って行き場所が分からなくて困った。こんなの、初めてかもしれない。
「先輩?」
「あっ、ごめん。なんかね、タカくん可愛いなって」
「えっ」
「え! あっ……えっとね……」
タカくんの顔が赤くなっていく。それを見ている俺も、顔が熱い気がする。空気、なんか変になっちゃった。どうしよう。
思っていたらドアが開いて、松永が顔を出して首を傾げた。
「佐伯、少しいいか?」
「あっ、うん。じゃあ、またねタカくん」
「あっ、はい」
よかった、助かった。でも、どうしたんだろうな俺。こんなの、今まで知らなかった。
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