1話:青井孝通編

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1話:青井孝通編

 青井孝通(あおいたかみち)、18歳。某大学の建築学科に通う大学1年生。見た目平凡、成績真ん中、特徴黒縁メガネという、どこにでもいそうな学生だ。  そんな俺は一つだけ、大学生になってチャレンジした事がある。 「えっと……人数分の飲み物は買ったし……よし!」  頼まれた買い物メモを再度確認した俺は校内のミーティングルームへと急ぐ。ミーティングルームって言ってもだだっ広い教室で、机を片付けてしまえばただの箱。主にサークル活動に使われている。  俺が大学生になってチャレンジした事。それは、サークル活動だった。  両親共働きで下に妹と弟がいたから、中学も高校も部活動はしていなかった。だから大学生になって一人暮らしになったのを期に、一度くらいはそういう活動もしてみたいと思い入ってみた。  入ったのは演劇サークル。とは言っても、俺は演技なんて全然できない。魅力的だったのは、背景の舞台セットや小物作りという裏方仕事の方だった。  建築学科なんて場所にいれば、大がかりな物を組んでみたいという思いは多少あると思う。昔から器用だったし、手を動かすのは好きだった。丁度マネージャー兼雑用を募集しているというので入ったのだ。  俺が入ったサークル『夢旅団―M-RYODAN―』は全員で10名程度の小規模なサークルにも関わらず、夏と冬には近くの市民ホールを借りて公演をするくらい本格的なサークルだった。  お客さんも入るし、お芝居も毎回オリジナルの新作で頑張っているしで、夏公演の時はちょっと感動した。  ただ、少々困った問題も抱えているんだけれど……。  頼まれた飲み物を買ってミーティングルームに入った俺は、そこで何やら修羅場になっているのを見て遠い目をした。 「監督、やっぱり私これ以上は続けられません!」 「そんな。なぁ、せめて冬の公演が終わるまで待ってくれないか? 君が最後の女子部員なんだよ」 「続けられません! ごめんなさい!」  練習用のジャージを着た女子が顔を隠して走ってきて、俺の横を凄い勢いで通り過ぎていく。後に残るのはもの凄く重い空気だけだ。 「なんで……どうしていつも…………! 佐伯!!」  黒髪を刈上げた銀縁眼鏡に長身の先輩が、額に青筋立てて一人を睨み付ける。今にも絞め殺しそうな眼光なのに、向けられている方はまったく気にもしていない様子だ。 「俺のせいじゃないし」 「どうすんだよ、最後の女子だったんだぞ!」 「いいんじゃない? あの子、ド下手くそだったし」 「女子だよ!!」 「胸があるか無いかの違いじゃない?」 「んなわけあるか!!」  こういうのを、糠に釘、暖簾に腕押しっていうんだろうな。  この半年ばかりで何度も見てきた光景に、俺は内心溜息をついた。  このサークルには絶対的な主役がいる。  佐伯春信(さえきはるのぶ)先輩、21歳、あだ名は王子。そのあだ名に相応しくキラキラした綺麗な先輩で、背も高い。有名女優のお母さんと、脚本家のお父さんという芸能の家に生まれたまさに王子。  でも何故か本人は芸能の道には進んでいない。趣味としてこのサークルにいる。  その側で青筋立てているのが、松永幸太(まつながこうた)先輩、21歳。このサークルのリーダーであり、脚本家であり、演出家であり、総指揮であり、演者でもある。あだ名は監督。  この人もけっこう格好いいと思う。背は佐伯先輩よりも高いし、顔は精悍って感じで。銀縁眼鏡に切れ長の目で、ちょっと鋭い。そして脱ぐと意外とマッチョだ。  お二人は高校の時から一緒で仲もそれなりにいいらしいのだが、どうにも佐伯先輩がマイペース過ぎて、松永先輩が世話を焼きすぎる。アンバランスだよな……そしてたまにこうして爆発する。 「冬の公演はカップルも多いから恋愛劇だってずっと言ってるだろうが!」 「だって、辞めたいなら止めるのもさ」 「さ~え~き~ぃぃ」  もう一段階爆発しそうな雰囲気に周囲の部員はオロオロしている。にも関わらず、その中心にいる佐伯先輩が霞みたいで全然ダメージがない。これ、怒ってる側は腹が立つよね。  「いつもだよ」と、他の先輩達が言っているんだけれど、どうやら4月のサークル募集の時は沢山人が集まる。今年も確かにそうだった。  その目的はだいたい、佐伯先輩だ。女優の息子ってだけで注目度が高いのにこの王子様ルック。口数が少なくミステリアスというのもある。  サラサラの長めのボブは色素が薄いらしくて天然の茶色。目の色も確かに薄くてキラキラしている。色白で、モデルみたいに手足が長くて、顔立ちもとても整っている。  まぁ、お近づきになりたい女子がもの凄く多いんだけれど。この人、とにかく他人に興味がないのかもの凄く素っ気ない。ミーハー根性だけの女子は一ヶ月後にごっそり抜けた。もう少し根性入っている女子もまったく脈無しと見ると離れた。そうして離脱を繰り返し、今日辞めた彼女が最後の生き残りだったわけだ。 「もう台本も出来て、本読みも始まってるんだぞ! 小道具や背景も作り始めてる! 公演は2ヶ月後なんだぞ!!」 「うーん、今から変えれば?」 「そんな時間も予算もあるかボケ!!」 「松永、頭の血管切れるよ?」 「お前が原因だ!!」  うん、確かに。  こうなると時間がかかるし、多分今日はもう動かない。分かっている先輩達がこっそりと離脱しようとし始めている。まぁ、俺は演者じゃないから気楽なもの。作った物が無駄にならなければそれでいい。今回のはけっこう上手く出来ているんだ。 「それなら、誰かに女役やらせたら? 胸だって、作ろうと思えば作れるし。昔は男が女性役やってたでしょ」  一瞬、松永先輩の頭の血管が切れた音がした気がする。  静まりかえる室内。そこに不気味な松永先輩の笑い声が響いた。 「? とうとう飛んだ?」 「もう……知るか……。分かった!! 台本はこのまま使ってやる! この冬の公演はBL劇だ!!」 「……はぁぁぁ!!!」  どよめいたのは佐伯先輩を除く全男子部員だった。とばっちりを受けた彼らがガヤガヤするなか、ビシィィ! と佐伯先輩に指を突きつけた松永先輩が血走った目を向けている。 「お前がそこまで言うならこれでいくぞ! 今流行だしな、BL! 女子受けするしな! 男相手にキスシーンぶち込んでやる! 主役はお前だぞ佐伯ぃぃ!!」  なんか、えらい方向に話が流れている。松永先輩、知的な方なのにたまにぶち切れてとんでもない事をする。その相手が9割、佐伯先輩なんだよな。  とはいえ、俺はまだ安心していた。だって、俺演者じゃないもん。相手役に選ばれた人はお気の毒だけど、相手は佐伯先輩だから耐えられるだろうし。ある意味役得かもしれない。なんせ、顔がいいから。  佐伯先輩はキョトンとして、顎に手を触れて少し考える素振りをする。こんなのも崩れないんだな、イケメンって。 「まぁ、いいんじゃない?」 「……へ?」 「え、BL劇」 「え、いや……佐伯?」 「あぁ、でも俺そういう役やったことないから、気持ちとか分からないか。役作りとか、気持ち作っておかないと」  ……マジか、佐伯先輩。  本当に頓着をしない先輩だと思っていたけれど、ここまで気にしないなんて。ちょっと異常?  言い出した松永先輩の方がすんなり受け入れられて熱が冷めた感じになっている。止めるなら今なんだろうけれど、案外プライド高いから言い出せない雰囲気もある。  そして気になるのが、何故か佐伯先輩の目があちこち動いていて、俺を見てピタリと止まった事。そしてあろうことか、俺の方へと近づいてくる。足長い、歩幅違いすぎる。  そんな事を考えている間に、先輩は俺の目の前で止まった。 「え……と??」 「……うん、悪くないか」 「え?」  何が? 「ねぇ、メガネくん。俺の役作り手伝ってよ」 「え? 役作……り?」 「聞いてたでしょ、BL劇。俺、男相手の恋愛なんて経験ないし想像つかないから、気持ち作れないんだ」 「…………はぁ」  俺も分かんないっすよ。だって、恋愛未経験の彼女いない歴=年齢の陰キャですから。  え? 何を求められてるのか分からない。この人、本当に分からない!! 「だから、君が俺と恋人ごっこしてくれない?」 「………………え」  あれ? 目の前にいるのは宇宙人さんですか? どうして、なんでそんな事になるわけ? 五千歩ほど譲って、どうして俺なの??  処理速度が追いつかないままパニックになっている俺の腕を軽々と掴んだ佐伯先輩が、何故か俺を連れたまま教室を出て行こうとする。焦ったけれどこの先輩、案外力が強い! 細いのに!! 「じゃ、メガネくん借りてく。先上がるから、よろしく」 「お…………おい、佐伯!!」  松永先輩の動揺しまくった声を無視する形で、俺は佐伯先輩に掴まれたままドアを閉められてしまった。 ◆◇◆  意味が分からない。  現在俺は荷物を回収されて大学を出てきた。佐伯先輩は俺の手を離さないまま歩いていて、正直周囲の目が痛すぎる。 「あの……先輩?」 「ん? なに?」 「あの、手が……」 「逃げるでしょ?」  そりゃ、逃げたいですよ。  いくら先輩が美形でも、いきなり恋人ごっことか意味が分からない。何より俺、そういう趣味はない。 「あっ、お近づきの印に夕飯奢るよ。どこがいい?」 「え? いえいえ!!」 「いいよ、自己紹介もまだだし。俺、メガネくんの事知らないしさ」 「いや、だから!」  むしろ知らなくて当たり前ですけれどね!  こっちの動揺とかはまるっと無視して、佐伯先輩はグングン進んで行く。俺は一刻も早く公開処刑状態の今から脱したくて、目に入ったファミレスを指さした。 「ここ! ここにしましょう!!」  俺が指さしたのはごく普通の、全国展開もしているチェーンのファミレスだ。  でも、佐伯先輩はお綺麗な顔を傾げている。もしかして、お口に合いませんか? 普通に美味しいですけれど。 「え……と?」 「ここ、ご飯屋なの?」 「…………え」  ですよ?  とても不思議そうにしげしげと見つめる佐伯先輩に俺の方が困惑する。でも、キラキラの目が少し輝きを増した気がした。 「うん、面白そう。入ろうか」 「あっ、はい」  面白いものはないです。はい。  程なく席についてメニューを開いた先輩は、もの凄く驚いた顔をして俺を見ている。何がそんなに驚くところなんだろう。 「安い! え、この値段で間違ってない? ゼロ足りなくない?」 「普通ですよ!」  この人一体どんな所でご飯食べてるんだ!!  なんか子供みたいにはしゃいでいる先輩を呆れながら見て、俺はさっさと決めてしまう。まぁ、奢りだし。 「俺、ハンバーグとグリルチキンのセットにします。先輩は?」 「うーん、悩む。そうだな……じゃあ、同じので」 「ドリンクバー付けます?」 「ドリンクバー??」 「! ジュースをいくらお替りしても定額っていうサービスです」  知らない人いるのか、今の時代に!!  でも、いたんだな。 「へー! 凄い太っ腹なサービスだね。少し話もしたいし、付けようか」 「……ですか」  もう、何も言うまい。俺はドッと疲れた気分でタッチパネルを操作し、注文を終えてしまう。 「飲み物取りに行きますよ」 「え? でも店員さんきてないけれど」 「タッチパネルで操作して注文したんで、大丈夫です」 「そうなんだ。凄いんだね」  ……後で、色々聞いてみよう。  とりあえず先輩を連れてドリンクバーに行って、機械の操作を教えて戻ってきた。疲れすぎてジュースが美味しい。 「ちゃんとジュースだね」 「当たり前ですよ。先輩、普段どんな場所で食事してるんですか」 「個室のあるレストランかな。騒ぎになるといけないから、知ってる店だけ」  あはは、芸能人っぽいね。 「こういう店、来た事がなかったから。やっぱり、君で間違いなかったな」 「え?」  それは、どういう意味でしょうか?  先輩がにっこりと笑う。俺は嫌な気しかしなくて、ちょっと怯えた。 「君が一番、俺に興味なさそうだったからさ」 「あ…………」  そういうの、分かるんだろうな。  確かに俺は佐伯先輩に興味がない。住む世界の違う相手に憧れを抱くなんて事がない。月とすっぽんどころか、天使とミミズくらい違うと思っている。例え同じ空間にいても、そんな雲の上の人は俺の世界には不要なんだ。 「大体の奴が俺に話しかけてくるか、話しかけたそうに視線を送ってくる。でも、君とは目が合ったことがないんだ」 「まぁ、縁のない人ですし。俺、演者じゃないんで」 「だからちょっと、興味があった。憎悪や嫌悪もなく俺を見ない君はどんな人なのかなって」 「憎悪や嫌悪って。そんな極端な」 「極端だよ。勝手に好意を持ったり、好奇心の的になったりする。嫉妬、叶えられない事への憎しみ。そういう目って、分かるんだ」 「……」  なんだか、寂しそうな顔をする。独りぼっちみたいだ。  俺は、ちょっと思い違いをしていたのかもしれない。いつも中心にいる佐伯先輩は人気者で、色んな事が優遇されているように思っていた。  でも実際は他人の目を気にして、自由に振る舞えないまま寂しい思いをしていたのかもしれない。  ファミレス来た事ないくらい、色々不自由してたのかも。 「だからさ、巻き込んじゃった。いい機会だからお近づきになってみようかなって」 「…………」  前言撤回、この人やっぱり自由人です。  それでもなんだか、間にある壁みたいなものが薄くなった気はする。不意に差し伸べられた手を、俺はマジマジと見た。 「改めて。俺は佐伯春信、文学部3年。君は?」 「青井、孝通です。建築学科1年」 「青井くんか。恋人ごっこなら、ちょっと他人行儀だね。タカくん、でいいかな?」 「!!」  不意に向けられる甘い笑みに、俺の心臓は跳ねる。やっぱりこの人凶悪だ! 顔がいい!! 「青井でいいです」 「えー。じゃあ、俺の事は『ハル』って呼んで」 「佐伯先輩で」 「もう、融通の利かないガチガチ君だな。でも俺は、『タカ』って呼ぶからね」 「も…………」  お戯れが過ぎます、先輩……。
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