一 日向の伊奘

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一 日向の伊奘

 西州(さいしゅう)日向(ひむか)阿波岐原(あはぎはら)に豪族・伊奘(いざ)の館がある。  節分を過ぎた冬のある日。  中津の宇佐の配下が、広間の炉の前に座る伊奘にひれ伏した。 「遼東から長門に漂着した漢の奴婢(ぬひ)衛族(えいぞく)を、安芸(あき)が我が主のもとへ連行しました。奴婢たちは、高句麗が遼東を攻めたため、()をめざして逃亡したと申しておりまする」 「逃れた奴婢が全て流れ着いたのか?」 「四隻で船出して、長門にたどり着いたのは一隻。大森の知らせでは、一隻が出雲に流れ着き、二隻が東へ流れ着いたはずと申している由に」  石見豪族(いわみごうぞく)の大森は安芸豪族(あきごうぞく)・安芸の配下である。 「そうか。出雲なら安全だ。他所へ行けば、五年前の漢人のように行方知れずになる」  六年前の秋。 出雲の鉄穴衆(かんなしゅう)の豪族・遠呂智(おろち)が、不当な商いで、蹈鞴衆(たたらしゅう)布都斯(ふつし)の許嫁・(いね)を人質にした。怒った布都斯は下春(したはる)尾羽張(おばはり)を従えて遠呂智を討ち、鉄穴衆を配下にして鉄穴場(かんなば)がある西利太(せりた)を支配した。下春は布都斯の親友で、尾羽張は稲の弟である。その後、布都斯は稲を妻にし、下春は布都斯の姉・芙美(ふみ)を妻に、尾羽張は布都斯の妹・阿緒理(おあり)を妻にした。三人は義兄弟となった。  そして五年前。  遼東で暮す漢の宮廷ゆかりの人々が高句麗の台頭を恐れ、筑紫(つくし)をめざして遼東を船出した。一行は航路を迷って出雲にたどり着き、出雲で丁重にあつかわれた。翌日、筑紫へむけて出航したが、行方知れずになった。漢人を丁重にあつかった布都斯と下春たちの噂は、大森から安芸と宇佐を通じて伊奘の耳に入った。  その後まもなく布都斯たちは、遠呂智が商いで支配していた出雲、石見、伯岐(ほうき)、隠岐を統一して、出雲の須我に政庁を置き、須佐に支庁を置いて、大倭(おおやまと)を建国した。布都斯と下春が二十歳、尾羽張が十八歳の年である。  大倭を建国した布都斯と下春は、民を守り民の暮らしを豊かにするために、兵力を整えて民に商いを奨励し、村長たちを(かみ)と呼び、上集(かむつど)えして(まつりごと)上議(かむはか)りする上の制度を布いた。尾羽張は木次郷(きすきのさと)の上と木次村(きすきむら)の上を兼任した。
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