四 策

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四 策

 爾多村(ぬたむら)の田植えが終わり、須我村(すがむら)の田植えが終わった雨の日。  布都斯(ふつし)下春(したはる)尾羽張(おばはり)一甫(いるほ)蹈鞴衆(たたらしゅう)鉄穴衆(かんなしゅう)上々(かみがみ)をともなって、父・布都(ふつ)の館を訪れた。すでに佐久佐比古(さくさひこ)乾那有(かんだある)大足春(おたある)宇留賀(うるが)たち、主だった上々が集まっていた。  布都斯の叔父・佐久佐比古は松江郷(まつえのさと)安来郷(やすぎのさと)の上と青幡村(あおはたむら)(かみ)を兼任している。  乾那有は下春の父で、蹈鞴衆の村上(むらが)・布都に仕える、蹈鞴衆の技術指導者・村下(むらげ)であり、爾多郷(ぬたのさと)と爾多村の上でもある布都につぐ、もう一人の爾多村の(かみ)である。大足春は《おたある》下春の母の兄・伯父で、木次郷(きすきのさと)の加茂村の上であり、宇留賀は(いね)と尾羽張の弟で、仁多郷(にたのさと)の上と横田村の上を兼任している。 「待っておったぞ。まず、お前の策を聞かせてくれ」  広間の上座で布都は布都斯に言った。  布都斯はおちついてゆっくり話した。 「秋の収穫が去年並み以上なら、遠征する。時期は、秋の上集(かむつど)えの前だ。  因幡(いなば)より東の地は、余部(あまるべ)が支配している。余部は大倭(おおやまと)に好意的と聞いておるゆえ、余部の地まで(たむろ)(とぶひ)を築く。余部を大倭の上に任じて余部の地を大倭に組み入れ、気比(けひ)に、 『大倭の布都斯が、衛族(えいぞく)の探索と、徐族(じょぞく)の地を大倭に組み入れるため、話し合いに行く。ついては、(こし)の海辺に戍と烽を築きたい』  と使いを出す。  気比の地まで烽を築いたら、俺が騎馬隊をひきいて行き、気比と交渉する。  交渉がうまくいったら、次は濊族(わいぞく)久幣臥(くぬが)と交渉する」  余部は因幡東端から東の地を支配する郷長(さとおさ)である。そして、その先の地を徐族の気比が支配し、さらにその先を、濊族の久幣臥が支配している。 「秋は私が因幡の海辺の監視です。私が戍と烽を築いて余部を上に任じ、使いに出ます」  下春は説明した。  布都は佐久佐比古と乾那有、大足春の顔を見てうなずいた。 「噂では、気比も久幣臥も、非常に余所者を警戒しておると聞く。むやみに徐族や濊族の地へ入るのは危険じゃ。因幡の者たちと交渉したようにはゆかぬじやろう・・・」  遠呂智(おろち)は商いで、因幡、伯岐(ほうき)石見(いわみ)の民を支配していた。布都斯たちは遠呂智を討って民を解放し、民の同意を得て大倭を建国している。
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