六 遠征

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六 遠征

 出立の朝。  雲ひとつなく晴れ渡り、松江郷(まつえのさと)中海(なかうみ)の岸は、騎馬兵と見送りの人々と、軍船に食料を積む兵士でごったがえした。 「くれぐれも、八島野(やしまぬ)を頼みますよ!」 「わかっている。(いね)、子供たちを頼むぞ」 「はい。八島野も、父上の言いつけを守るのですよ!」 「わかりました。母上、皆様、行ってきます!」 「下春(したはる)、気をつけるんだよっ!」 「芙美、子供たちを頼みます」 「布都斯(ふつし)様、醸した酒から酒精を集めました。焼酎です。傷の毒消しになります」  一甫(いるほ)が鞍の麻袋から、数本の壷を取り出した。  大倭(おおやまと)の民になって七年、一甫と弟の則徐(そくじょ)は不自由なく大倭の言葉を話すようになった。 一甫の通訳を務めていた漁師の(へい)は本人の希望もあり、則徐に代わって五年前から隠岐に渡って和仁(わに)のもとで通訳を務めている。  和仁が隠岐へ渡った後、後任として西利太(せりた)(かみ)になった一甫は、この七年間で西利太に多くの窯を築いて器作りを指導し、蹈鞴衆(たたらしゅう)鉄穴衆(かんなしゅう)衛族(えいぞく)(くろがね)の道具や銑物(ずくもの)、穀物や茣蓙(ござ)など郷々(さとざと)の特産物とともに、器も商うようになった。この焼酎も、一甫が特殊な器を考案して酒精を集めたのである。 「壷は一甫が持っていてくれ」 「承知しました」 「この日和じゃ。早く着くかもしれぬ。儂らが見えたら、ただちに狼煙(のろし)をあげてくれ」  十五隻の軍船は四日後に船出する。伯岐(ほうき)因幡(いなば)(たむろ)(とぶひ)に近い()(うら)に寄りながら、五日かけて八日後の朝、気比(けひ)の地の河口に着く予定だ。天候が良ければ予定より早く着く。 「わかりました義父上」  布都(ふつ)尾羽張(おばはり)が答えた。 「騎乗っ!」  四騎馬中隊の騎馬兵八十人が騎乗した。 「出立っ!」  一族や郷の人々、兵士に見送られ、騎馬隊は中海の岸を東へむかって出立した。  長門北部から石見(いわみ)、出雲、伯岐、因幡の東端まで、海岸には大倭騎馬隊(おおやまときばたい)の戍と烽が築かれているが、因幡から東は(こし)の国と呼ばれ、海岸ぞいに余部(あまるべ)の支配地、気比の支配地、久幣臥(くぬが)の支配地、陸は()の国と呼ばれる蝦夷(えみし)の地で、何処も大倭騎馬隊に未知の地である。
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