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七 余部
三日間、晴れがつづき、四日目の午後から雨になった。
雨のなか、大倭騎馬隊は因幡の先の岩美の烽をすぎて、余部の郷に着いた。ここは松江郷から海岸ぞいに東へ三十六里、因幡の国境から五里あまり越の国へ入りこんでいる。
「もてなしもできませぬ。濡れた衣を乾かし、ごゆるりとなさってくだされ」
郷長の余部は布都斯たちを己の家に招き、騎馬兵を郷の家々に分宿させた。
「気比の地まで、海辺に戍と烽を築きたい。それと、まことにすまぬが、村人に頼んで、気比に使いを出してもらえぬか」
「わかりました。我が息子・杜撫孔をゆかせましょう。戍と烽は何里に築きまするか?」
そう聞くと、余部は息子を呼んだ。
「おおよそ三里おきに築きたい」
「では、この地に戍を築き、香住と竹野の二か所に烽を築くのが良いでしょう・・・」
余部の地の東二里に香住の地、その東三里に竹野の地がある。
気比の支配地は、竹野の東二里にある大きな川の流域から、さらに東へ三里の久美浜、さらに東へ九里にある大きな半島の突端までの海岸と平野部で広い。郷の中心は、竹野の東二里にある大きな川を浜辺から二里あまりさかのぼった一帯である。
しかし、この地には気比に従わぬ者も、蝦夷もいる。この者たちの武具は石器で、獣の骨と腱で作られた弓は強く、矢が突き刺さると石の鏃が折れて身体に残る。くれぐれも気をつけなされ、と余部は騎馬隊を気遣って話した。
「承知した。では、これから話すことを気比に伝えてほしい・・・」
余部の息子・杜撫孔が来ると、布都斯は説明した。
大倭騎馬隊が長門北部と伯岐、因幡の海岸に戍と烽を築く際、布都斯は、海岸に近い郷や村の長たちを大倭の上に任じて、人々を大倭の民と認め、大倭の国内を自由に行き来することと、自由に商うことを許可していた。
大倭の民になった人々は、大倭政庁の年市へ行き、商われる産物と人の多さに驚き、出雲を巡り歩いて騎馬兵と歩兵の数を知り、中海に舫う三十隻の軍船を見て言葉を失った。郷へ帰った人々は大倭の経済力と兵力を語った。
大倭に併合された郷や村から大倭の噂を聞かされ、山あいの郷長や村長は大倭に帰属することを望んだ。この郷長・余部も、大倭の勢力にすがりたいと願う一人だった。
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