九 気比

1/6
前へ
/44ページ
次へ

九 気比

 昼餉から一時(いっとき)ほどが過ぎた。  村人たちは八島野(やしまぬ)を乗せた輿を運び、騎馬隊とともに上流へ歩いた。  二里ほど進むと、東の山手に大きな広場を囲んで、竪穴土間に掘っ立て柱の茅葺(かやぶ)きの家が建ち並ぶ六十戸ほどの村が見える。広場の南にある高床の穀物倉の横に藁束が積みあげられ、軒下に根菜が吊るされている。この郷も大倭(おおやまと)のように豊作だったようである。 「あの家です」  真一(しんいる)が広場の北を指さした。  物見櫓(ものみやぐら)を備えた茅葺きの大きな家が、五尺ほどの高台から広場と周囲の家々を見おろしている。村に人影はなく、家々の板戸の隙間に、弓矢の狙いを定める男たちが見える。  騎馬隊が広場の中ほどへ進んだ。家々から百人ほどの男たちが出てきた。皆、弓弦(ゆづる)を引き絞って弓矢の狙いを騎馬隊に定め、弓を持たぬ者は青銅の剣を構えている。今にも(いくさ)になりそうである。 「気比殿(けひどの)っ。大倭(おおやまと)布都斯(ふつし)が話し合い来たっ。戦に来たのではないっ」  気比の家の前へ静かに馬を進め、布都斯が低姿勢に言った。  家の板戸が開き、剣を帯びた身の丈五尺あまりのずんぐりした男が出てきた。男は角ばった顎に細い目の、低い鼻が横に広がった面構えで、布都斯たちと真一たち浜辺の村人を見て、舌打ちした。 「これは、これは、大倭の布都斯殿。よう参られた。話し合いとは、いったい何であろう?」  と白々しい。 「我らの地を漢や高句麗に支配させぬため、我らは諸国をまとめて、大倭を建国した。気比殿に大倭の(かみ)を務めてもらい、この地を大倭として治めてほしい。我らは行方知れずになった衛族(えいぞく)を探している。この者が一族を探している衛族の長・一甫(しんいる)だ。  これらのことを伝えるために、使いを遣わしたが、我らは浜辺の衛族と蝦夷(えみし)に襲われ、我が子が、このように深手を負った・・・」  布都斯は輿に乗った八島野を指さした。 「・・・気比殿は、話し合い来た我らに、戦をしかける気か?」
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

34人が本棚に入れています
本棚に追加