二 思い

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二 思い

 和仁(わに)が隠岐へ渡って七年後の春。  上集(かむつど)えで、和仁が報告した。 「もはや高句麗の攻撃はありえぬ。兵も増え、海辺の監視と防備をさせても余裕がある。軍船をひきいて、(こし)へ遠征してはいかがか?」  大倭(おおやまと)に渡来した者や漂着した者によれば、この七年間、高句麗は全勢力を漢からの独立維持に使っていた。 「頭領。数ある国をまとめ、他国に攻め込まれぬ豊かな国を造ろうと皆が認めたことゆえ、いつなりと遠征してください!」  上々(かみがみ)が口をそろえて言った。  和仁が隠岐へ渡って以来、軍船はさらに三十隻完成している。騎馬兵二百四十騎、歩兵二千四百兵を運べる数である。 「ならば、遠征の日取りを決め、上集えで皆に知らせよう・・・」  と布都斯(ふつし)。なんだか気乗りしていない。  父・布都(ふつ)は、布都斯が後継ぎを誰にするか、思い悩んでいるのを察していた。 「どうした?気になることでもあるのか?」 「いえ、何もありませぬ・・・」  和仁が隠岐へ渡って以来七年で、須我の政庁の館で暮らす布都斯と(いね)に、第六子の宇迦(うが)と今年の節分過ぎ第七子・磐坂彦(いわさかひこ)が生まれ、子は八島野(やしまぬ)五十猛(いたける)大屋津姫(おおやつひめ)抓津姫(つまつひめ)布留(ふる)宇迦(うが)磐坂彦(いわさかひこ)の七人になった。  許曽志(こそし)(かみ)を務めながら、布都斯の側近として政庁の館で暮らす、下春(したはる)芙美(ふみ)にも許曽志で第三子の佐太彦(さたひこ)が生まれ、子は宇武加衣姫(うむがいひめ)綺佐加衣姫(きさかいひめ)をあわせて三人になった。  しかし、和仁と由良(ゆら)の子は水若酢(みずわかす)のひとりだけで、木次村(きすきむら)の上・尾羽張(おばはり)阿緒理(あおり)の子も樋速彦(ひのはやひこ)だけである。  芙美は布都斯の二つ年上の姉で、阿緒理は布都斯の二つ年下の妹である。そして布都斯の妻の稲は芙美と同い年である。  この上集えの内容は大森を通じて安芸(あき)中津(なかつ)宇佐(うさ)へ、そして、筑紫(つくし)日向(ひむか)阿波岐原(あはぎはら)伊奘(いざ)へ知らされた。折りしも、伊奘の娘夫婦、(なみ)(なぎ)に女子、日霊女(ひるめ)が誕生していた。
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