三 助言

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三 助言

 初夏。穏やかな日和がつづいた。  あちこちから蛙の声が聞こえる。  木々の若葉が芽吹き、水が温んだ晴れた朝。旅伏山(たぶせやま)の麓の爾多村(ぬたむら)の人々総勢五十人あまりが農具を担いで苗や種籾(たねもみ)の入った籠を積んだ馬をひき、馬鈴の音とともに田へむかった。  簸乃川(ひのかわ)の流域と、宍道湖にそそぐ簸乃川の支流の周辺は湿地が多い。これらに近隣の郷や村の水田がある。爾多村の人々と爾多村の(かみ)を務める布都斯(ふつし)の父・布都(ふつ)の水田も、多くが旅伏山の南麓から簸乃川までに広がる湿地にあり、村つづきである。  田に着いた村人たちが二組にわかれた。一組が水の溜まった田の土を鍬や鋤で起こしてやわらかくし、万鍬(まんが)(なら)した。もう一組が苗を植え、(もみ)を蒔いた。直播きである。  昼近く。田の水面に人影が写って、子供の声がする。  布都斯は土を起こす鍬の手をとめて顔をあげた。  (いね)芙美(ふみ)阿緒理(あおり)が子供たちを連れて畦道(あせみち)を歩いてくる。その背後に、村の女たちと布都斯の母・春奈(はる)、稲と尾羽張(おばはり)の母・(あや)下春(したはる)の母・都姫(とき)の姿が見える。  布都斯と下春と尾羽張の三家族は、四日前から布都や村人の田植えを手伝いに来ている。  この時期、海辺を監視する騎馬兵と、布都斯たちに仕える蹈鞴衆(たたらしゅう)鉄穴衆(かんなしゅう)もそれぞれの実家へ農作業にもどっていた。  海辺を監視する騎馬隊の食料は、大倭(おおやまと)郷々(さとざと)から支給されたが、騎馬兵の家族の食料は自給自足である。農繁期になると、布都斯は騎馬隊に海辺の監視をひかえさせ、騎馬兵を家族のもとへ帰して農作業させていた。
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