宿屋で

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宿屋で

 森の奥の谷にだけは絶対に近寄ってはならぬ、とそれまで上機嫌でジョッキを煽っていた宿屋の主人は眉間の皺を深くして言った。 「そこに何があるんです?」 「凶暴で狡猾な魔女が住んでいるのさ。あんたみたいな若くて精のある男がもう何人とられたか」  料理を運んでいた恰幅のいい女将はジョッキを持って会話に加わると、主人の肩に丸太のような腕を乗せて大仰に嘆いて見せた。  三日三晩掛けて広大な草原地帯を越え、ヘレンの町にたどり着いたのは今日の昼過ぎのことだった。到着して真っ先に訪れた、町で唯一の宿に泊っている客は自分一人だけだった。部屋に荷物を置いてから町へ繰り出し、日が落ちる前に食料を調達して宿に戻ると、カウンターで暇そうに頬杖をついていた主人に夕食に誘われた。  幸い今日中に食べきらなければならないような食材は買っていなかった。それに、なぜだか食事というものは大勢でとった方が美味しい。あわよくばこの辺りの有益な情報や、酒にもありつけるかもしれない。俺は迷わず快諾した。  食事は楽しいものだった。主人は――他の多くの宿屋の主人がそうであるように――旅の話を聞きたがった。ある朝森の中で目覚めると隣に熊が寝ていた話を品のない冗談を交えてすると、大いにウケた。主人は女将を呼んで一等の葡萄酒を持って来させた。  楽しい時間はあっという間に過ぎ、いい具合に酔いが回って少し眠くなってきた頃、主人がその話を切り出したのだ。 
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