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「魔女?」
思わず素っ頓狂な声を上げると、主人は真剣な面持ちで頷いた。その様子はとても無知な旅人をからかってやろう、という風には見えない。
「しかし、谷を越えなければ森の向こう側へは行けませんよね?」
「森を抜けるには、森の中を北東へずっと進むんだ。二日もあれば谷を回り込んで平野に出られるだろうさ」
主人は何度も頷きながらそう言った。まるでそれしか方法がないと決まっているかのように。
俺はしばらく考え込むように黙っていたが、心はすでに決まっていた。
「さああんた、もうそれくらいにしておきな。寝るんだったらとっとと寝室へ行っとくれ邪魔だから」
女将に強く両肩を叩かれて、いつの間にか船を漕いでいた主人はむにゃむにゃと何事か呟きながら席を立った。どうやら酒宴はお開きらしい。
鉄板の土産話を披露したとはいえ、タダで夕食をご馳走になるのはどうも性に合わない。皿を集めて立ち上がろうとすると、お客様はそんなことしないどくれなどとまくしたてる女将に背中を押され、あっという間に食堂を追い出されてしまった。
さすが、ぼんやりした主人に替わって実質宿屋を取り仕切っているだけある。
仕方なしに客室のある二階への階段を上りながら、俺は考えていた。
元々明朝には森を抜けるために町を出発する予定だった。森の中を北東へ進み、平野部へ抜ける道筋ももちろん悪くはない。ただでさえここへ来るまでに特に景色も変わり映えのしない草原を三日も歩いているのだ。たった二日で森が抜けられるというのなら、それはむしろ御の字というものだ。
しかし、俺の脳内はとっくに別の思考に占拠されてしまっていた。
森の奥の谷。
その底に住む、凶暴で狡猾な魔女。
それは、とても面白そうだなと。
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